「ふつう」の芸術って「ちびまる子ちゃん」なのかもしれない
「ふつう」とはなんでしょうか。
これらは特に関係のないツイートですが、頭の片隅に残っていて、探して並べてみました。
自分はいつからか「ふつう」という言葉を使っています。
これらのツイートはその「ふつう」に含まれる多様なものを感じました。
特に、最初のツイートに関して全面的に同意するわけではありませんが、昨今のアートでも社会問題やマイノリティを扱うことは当然であり、また、アートはそうした問題を訴求する方法となっています。
しかし、一方で多くのマジョリティ(一般人)はわざわざ見たくも、知りたくもない現実に向かい合いたくないでしょう。むしろ、「殴られた」とすら思うわけです。また、現代アートのアーティストが社会問題やマイノリティを食い物にしている事例も多くあります。
私個人の意見としては、現実の重いものを直接人目に触れさせるのは「芸の術」ではないと思っています。飢餓で苦しむ子どもの写真は、否応もなく私たちの心をうづかせます。それは暴力に確かに近い。しかし、それは報道写真であって、芸術性やアートは関係ないと思っています。もちろん、社会問題やマイノリティを扱った素晴らしい作品があるのもまた事実です。そして、芸術はマイノリティのものであり、マジョリティのものです。
話は長くなりましたが、「ふつう」の芸術、アートがあってもいいでしょう。
なにもおこらない「ふつう」
みんなが変であるという「ふつう」
かっこつけない、気取らない「ふつう」
を讃歌すること。
そんな「ふつう」を肯定できるとき、芸術やアートは小難しいものではなくなるのではないでしょうか。
…それこそ、「ちびまる子ちゃん」なのかもしれません。
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