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三軒茶屋『駒の湯』

バスの中に日傘を忘れ、営業所で預かってくださるとのことだったので、乗り継いで若林のほうまで。蒸し暑い東京の夏。燃え上がるような夕焼けで、無事傘を受け取ってもすぐに帰る気になれず、少し散歩をすることにした。

世田谷区の住宅街を歩くのがけっこう好きだ。ひとくくりに世田谷区といってもエリアごとに若干毛色が違って、でも共通項としてかならず「東京の暮らし」の匂いがある。別に都内だったらどこにいても東京の暮らしなんだけど、世田谷のそれってどこか特別で、ちょうどよく東京に根付いている。都会じゃないけどちょっぴりハイソで、田舎じゃないけどのんびりしていて、下町っぽさとはまた違う人情味もある。わたしの暮らす杉並区より花屋が多い。心に余裕のある人が多いのだろう。

わたしも世田谷区民になりたい。世田谷のどのへんにしよう。三茶とか住みやすいんだろうけど、わたしの嫌いな人だいたい三茶に住んでるな。あいつのくせに三茶に住みやがって、とか色々考えながら適当に歩いていたら三茶に着いていた。三茶まで来てしまうと正直帰るのが大変なのであちゃーと思いつつ、右手はすかさずiPhoneをポケットから取り出して【三軒茶屋 サウナ】でGoogle検索していた。最近は行く先々で現在地付近のサウナを検索してしまう奇病にかかっており、ひどい時は行きの電車の中で沿線のサウナを調べあげ、帰りにどこかサウナに寄れないか計画を練ってしまう。

検索の結果、駅の近くで『駒の湯』というのがヒットした。調べると、水風呂がキンキンに冷えているとサウナーの間で話題の銭湯らしい! 三茶に流れ着いたこともサウナの神様のお導きかもしれない。せっかくなので行ってみることにした。

大通りを跨ぎ、路地を少し入ったところに駒の湯はあった。見たところ普通の町の銭湯の風貌。外に大きなたぬきの置物がいて出迎えてくれた。靴を靴箱にしまい、中に入ろうとするとさらにたぬきがもう2体。ああいうたぬきの置物って、ひとつ買うと止まらなくなるのかね。

たぬきが気になりながらも受付でサウナ利用であることを伝えてお金を払うと、サウナ用のタオル等が入ったビニルバックを渡された。サウナ別料金の銭湯に来たのが初めてだったのでどう振る舞うべきか不安だったのだけれど、このビニルバックがサウナ利用者の証になるみたいだ。

明るく掃除が行き届いた脱衣所は、常連らしきおばあさん達で賑わっていた。壁の高いところにテレビがあって、ミーアキャットの特集をやっているのをみんなして見上げている。「かわいいわねえ」「えらいわねえ」とベタ褒めしていると思いきや、1人が「でも大勢で並んでると不気味ねえ」と言い出し、「あらほんとねえ」「目がこわいわねえ」と急に恐れだす。唐突に誰かが「お先に〜」と出て行句と「おやすみ! 」「暑いから気をつなさいよ!」と明るく声を掛け合って、すぐまたミーアキャットに何か言う。おばあさんたちは入り口に並んでいるたぬきの事はどう思ってるのかなと思いつつ、わたしは服を脱いでロッカーにしまった。L字に並んだロッカーの上には『白雪姫』に出てくる小人の置物が6体並んでいて、そのうち5体が同じ小人だった。

お風呂場はまあまあの広さで、壁沿いと中央に洗い場がある。髪とからだをさくっと洗って、まず湯船に浸かる。浴槽は小ぶりながらも、電気風呂やバイブラバスなどバラエティ豊か。けっこう熱いのに長いこと浸かってお喋りしてるおばあさんたちがいて賑やかだった。それにしてもおばあさんが多い。客の8割がおばあさんだ。そうこうしている間にも来るわ来るわおばあさん。ひとり出て行けばふたり入ってくるおばあさん。洗い場はあっという間におばあさんでいっぱいになった。

熱湯のなかで圧巻のおばあさんラッシュに目を丸くしているうち、からだは充分すぎるほどぽかぽかに予熱されていく。おばあさんがどんどん湯船に来て混んできたので、逃げるようにサウナへ入室した。

サウナはコンパクトで、4人も入ったらぎゅうぎゅうになりそうだ。座るところは2段で、L字になっている。中には誰もいなかったけれど、L字の角のところの上段にはカバーのついた本が置いてある。ヌシみたいな人がいるのかな、と思い下段のはしっこに座った。サウナ好きな友達が言うには男のサウナには大抵そのサウナのヌシがいて、だいたいおじいさんで、いつ行ってもいちばんいい場所に鎮座しかなり長い時間粘っているらしい。

しばらくじっとしていると扉ががばっと勢いよく空いて、30代前半くらいのお姉さんが1人入ってきた。お姉さんはひょいっと段を登ってL字の角のところに座り、そこへ置かれていた本を読み始めた。こんな熱いところで本なんて読んで話に集中できるのかしら。そもそもサウナの中に本持ってきていいのだろうか。 梅湯とテルマー湯はそういうの禁止と書いてあったけれど、ここでは黙認されている様子だ。足をのばして威風堂々と読書するお姉さんはよほどの熟練と見た。ヌシだろうか。かっこいい。三茶に住んでるのかな。

お姉さんの存在が気になるけどいかんせん部屋が狭いしあんまり直視するわけにもいかず、気になりながらも見つめないように時を過ごす。テレビが無いかわりに有線かなにかが大音量で流れているのでそれを聴いていたが、なぜかずっとゴリゴリの演歌だった。普段演歌は富士そばで流れてるのを耳にするくらいで、こんなにしっかり演歌と対峙するのは初めてだったが、案外悪くない。歌いっぷりがストイックで、歌詞も切実。サウナとの相性は良いと思う。ただ読書との相性はあまり良くないと思う。お姉さんは出たり入ったりを頻繁に繰り返していた。

演歌を丸2曲聞いてサウナを出た。これでもかというくらい汗をかいた。サウナの温度計は82〜85度くらいを示していたけれど、部屋が狭いからか、もしくは演歌効果か、もうちょっと熱く感じた。出てすぐのところのシャワーを冷水にして汗を流し、大評判の水風呂へ。

水風呂の浴槽は横に長く、小上がりになっている。ちょっと棺みたいだと思ってしまったけど、座って足を伸ばせるのは良さそうだ。つま先からゆっくりと入っていき、浴槽の縁に頭を置いてからだの力をすーっと抜く。冷たいけれどキンとしない。天然氷のかき氷にするんとダイブしていったみたい。纏う羽衣も滑らかでシルクのよう。棺みたいなのに入って羽衣纏って、ほとんど天に召されたようなものだ。湯けむりはピンクに染まった夕焼けの雲。その雲の上をゆらゆらと漂う。評判が良いのも納得の、いつまでも入っていたくなる水風呂だ。つい口元が緩んでうっとり顔になっているのが自分でもわかった。

そろそろ出なくちゃな〜、でももうちょっと入ってたいな〜、なんて思いながらうっとりしていると、なんとなく視線を感じ、あたりを見回したら真正面の洗い場でからだを洗っているご婦人と目が合ってしまった。婦人はずっと微笑んでこちらを見ている。水風呂でやたらうっとりし続けてる人がいたから笑っちゃったのかもしれないなと気付いて、途端に恥ずかしい。するする隠れるように水風呂から退散した。

浴場に露天や休憩スペースはないようなので、身体をふいて一度脱衣所へ戻り、ベンチに腰掛けた。脱衣所では相変わらずおばあさんたちがおしゃべりしている。近くのスーパーの野菜の話、だれだれさんの娘さんの話、病院の若い先生の話、しまむらの肌着の話、などなどとめどない。おばあさんたちの声の重なりや緩やかな抑揚を、扇風機がごうごうと風で均していく。古き良き銭湯の女湯の脱衣所の、絵画のような眩しさがこれからもずっと在ることを願うように、扇風機はゆっくりと首を振り、空間を慎重に撫でている。

なんとなくからだの芯がゆらゆらしてきて、わたしも扇風機の風に均されそうになる。ベンチにおしりをぴったりくっつけて座っているはずなのに、放り出され、たゆたうような心地がした。梅湯で初めて経験したような、グルングルンきてトランスする感じには到達しなさそうだけれど、ゆるやかなととのいだ。これはこれで悪くない。戻ってくる時もいつものような「ハッ!!! ここはどこ?!?!!」な感じではなく、空中浮遊から妖精の如く軽やかに着地して、さあ参りましょうとそのまま2セット目のサウナへ歩き出す感じであった。

休憩場所を湯船の縁、洗い場の椅子、と変えつつ3セットどの回もゆるやかにととのった。サウナは今回は特に時間を計らず演歌を3曲〜4曲ずつ聞くスタイルで行ったのだけれど、だいたい2曲めのサビくらいの時点でとんでもなく汗だくになっていた。今までサウナに入った中で、というか、人生で1番たくさん汗をかいた気がする。ヌシっぽいお姉さんも毎度汗だくだくで、それでも読書を続けて本をびしょびしょにしていた。最初こそこの状況でよく本なんか読めるなあと思っていたけれど、3セットご一緒したらなんだか羨ましくなってきた。灼熱の中はだかで汗だくになってする読書は強烈な読書体験になりそうだ。町田康あたりを持ち込みたい。

お風呂上がりにロビーでビールを買った。瓶のコーヒー牛乳と迷ったけど、身体中の水分がすっかり入れ替わるくらい汗をかいたので、この新鮮な状態のからだに冷たいビールを注いでみたくなった。入り口のたぬきに心の中で礼を言い外に出るとすっかり日も暮れて、暑さも昼間より幾分やわらいでいる。夜風の囁く中、缶をプシュッと開けてキューっとまずひとくち流し込む。至福だった。お化粧もぜず、洗いたての髪からシャンプーの匂いをさせながら、缶ビール飲み飲み道を行く。もうすっかり三軒茶屋に住んでいる人の気分だ。駒の湯に沿う路地を抜け、商店の並ぶ賑やかな大通り。駅前ではいくつもの通りが交差し、頭上には首都高の高架がうねっている。ビールを飲み干したわたしはいつもよりちょっと強気で、そんじょそこらの世田谷区民よりも世田谷の暮らしをしていますよ、って叫びたくなりながら電車を乗り継いで杉並へと帰ったのでした。渋谷乗り換えのとき、すっぴんで歩いてる女なんて周りにわたしぐらいで情けなく、さっきは調子に乗っていたな、と思いました。

駒の湯

アクセス:東京都世田谷区三軒茶屋2-17-13(三軒茶屋駅から徒歩7分くらい)
営業時間:15:30~0:00
定休日:月曜日、第1・第3火曜日
アメニティなど:シャンプー・ボディーソープ貸出有。ドライヤー2分20円。
サウナ:別料金。82度〜85度。格納式。(女湯)
水風呂:21~22度(いつもは15~17度くらいらしい)。水質◎なめらか。(女湯)
湯船:バイブラバス、超音波ジェット、電気風呂がひと続きになってる。(女湯)
富士山:描いてない!と思いきやちっちゃく描いてある。(女湯)
ビール:売ってる。


※ところで、サウナーの間で「キンキンに冷えている」「17度以下は確実」と大評判の水風呂。もちろんとても気持ち良かったけれど、最後に温度計を見たら21〜22度を指していました。滑らかな肌触りの水質にはさすが世田谷区の水! とテンション上がってたんだけど、これが噂通りキンキンに冷えていたらもっとバキバキにととのっていたのかな、と帰りの電車でふと思ってちょっと悔しい。
調べたら、あまりの酷暑が続いたため冷却のための設備が不調だった模様。湯を沸かすより冷やす方がずっと難しいことに気付いた。人を好きになるより嫌いになるほうが難しいのと同じ。
最近は寒くなってきたし冷たさも戻りつつあるようなので、近々再訪するつもりです。



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