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京都 五条楽園『サウナの梅湯』②〈サウナデビュー陶酔編〉

どきどきしながらその扉をあけるとひたすらにあつあつの熱があり、もんわりと木のにおいがした。一歩足を踏み入れれば自分の輪郭が即座にかあっと熱を帯びるのがわかる。

部屋には誰もいなかった。とりあえず真ん中あたりに座ってみる。3人か4人も入れば満員の小さな部屋は薄暗く、角に巨大なストーブのようなもの。入り口付近に砂時計が置かれていたのでとりあえずひっくり返したが、砂時計なんてふだん使わないのでこれが何分の砂時計なのかよくわからない。幸い、壁掛け時計もあったので、そちらを頼ることにする。師に教わった通り、まず6分、ここにいてみようと思う。

ストーブのようなものを見つめるも何も起こらない。砂時計の落ちていく砂を見つめるもつまらない。正直暇と思った。スピーカーからムーディーな古い歌謡曲のようなのが聞こえてくる。この古めかしいデザインのスピーカーはずいぶん立派にみえるけれど、熱でおかしくならないのだろうか。温度計を見たら90度近いようだった。心配。人が1人入ってきた。痩せているおばさん。扉をしめるなりまだ微妙に落ちきっていない砂時計をくるりとひっくり返してしまうと、慣れたかんじでストンとストーブの近くに座り、脚を広げ腕を組み、うーんと唸って目を瞑った。

どぎまぎしながらただ座っているうちに、わたしもずいぶん汗をかいた。顔がびしょびしょになってるのがわかる。腕、肩、胸、おなか。全部に水玉の汗がふきだしている。太ももから膝へ、ひざから足首へと汗が流れ落ちる。

そろそろ6分経っただろうか。暑いし手持ち無沙汰で時間感覚がつかめない。砂時計はもうわたしの時間ではなくおばさんの時間を刻んでるので、壁の時計を見上げてみると、もう目に汗が入るわ、染みるわ。おまけに普通の時計だとばかり思っていたそれはずいぶん速いスピードでぐるぐるぐるぐる針をまわしている。よく見たら12分計と書いてある。そんなのあるのかい。はじめて見たよそんなの。衝撃により、最初に時計の針がどこを指していたか一瞬にしてすっかりぽっかり忘れてしまった。頭がぼうっとしている。そのまま呆然と、長針が2周くらいするのをただ見ていた。

はっとして、立ちあがる。そういえば、はだかである。はだかではっとするなんてことは人生であんまりない方が良いと思う。少しふらふらするも平然を取り繕って扉を開ける。そこにはなつかしいお風呂屋さんの風景があった。湯や桶が床のタイルにぶつかる心地よい音が四方八方へはねかえり、高い天井のどこまでも湯気でやさしく霞がかかっている。ただわたしの火照ったからだの中だけがどくどくと波打って、この世界の中心になったかのような、無敵で、獰猛な気分だ。

気付けば目の前にある水風呂に手桶をぬっと差していた。しんとした水面はゆらゆらと光りだし、わたしは桶いっぱいに汲んだ水を思いきって膝にかけた。つめたい!! と叫ぶ隙もないほどはやく気道がヒッとなる。しゃがんだまま硬直して、流れ落ちた水が床を流れていくのを目をかっぴらいて眺めていると、あんなに冷たかったはずの部分がほかほかしてくることに気付いた。からだの芯まで熱いから、ちょっと冷たくても大丈夫なのかもしれないと思って、そのまま腰に、お尻に、腕に、肩に、ちょろちょろ水をかけてみる。冷たいけれど大丈夫だ。胸のあたりにかけるときはさすがにヒイッとなったけど、たくさんかいた汗が流されるのも心地よく、しまいには頭からざぶんと被ってしまった。

汗を流したところで、水風呂に入ってみることにする。手すりにつかまって、つま先から浸かっていく。浴槽内の段差にしゃがみ、腰のあたりまでは余裕だったけど、それ以上はかなりの思い切りが必要だった。素潜りでもするかのように大きく深呼吸をして、素潜り動画をスロー再生するが如くゆっくり身体を沈めていく。浴槽はかなり深く、あっというまに胸のあたりまで入水した。浴槽の中、へんてこりんな立ち姿のままわたしはみるみる冷やされて、さっきまでの血沸き肉踊る獰猛なこころはどこへやら。神様になだめられ改心した堕天使のような、透き通って清らかな心地なのだった。凍てついてとげとげしていたはずの身体はいつのまにやら薄く滑らかなベールに纏われ、身体から溶け出した火照りを包み込んでわたしをバリアしている。もう何も怖くなく、冷たいことや熱かったことも何の問題とも思えない。次第に周りの音は遠ざかり、呼吸のたびに身体の中を一切の血なまぐささもない清涼な空気が巡る。血管はしおらしく縮まり、世界は揺れ、脳みそがほぐれていく心地がする。瞼をとじるとその全てがはっきりと見えた。ぐるぐる、ぐるぐる、頭から首の後ろにかけて脳と混ぜこぜに、手も、脚も混ぜこぜに。身体の表面がバリアされているのをいいことに、すべてが混ぜこぜになっていく。本当にこんなことになっていいのだろうか。快楽は後ろめたくも快楽で、これはいっそこのまま吸い込まれてしまう方が良いと思う。満を辞してさようなら、身体と精神のさようなら、さあ、いざ、とゆっくり瞼を開けると、そこにはラメの飛び散る亜空間。そしてわたしは流れ星の如く、その宇宙のような亜空間に溶けていったのでした。


とかいってわたしは水風呂の中の段差に腰をかけ、口もとを弛ませたまま恍惚と高い天井を見つめていた。夢見心地とはまさにこれ。このままずっとここに居られると思っていた。けれどその夢も長くは続かず、亜空間はしゅるしゅるしゅると収束していった。そこへクロスフェードするようにざぶん、ざぶん、と水の音がだんだん大きく聞こえてくると思ったら、背後で見覚えのあるおばさんが水風呂の水を汲んでは豪快に頭からかぶっていた。おばさんが手桶を水風呂に突っ込むたびに水面はぐらぐらと波打ち、わたしを包んでいたバリアが脆く剥がれるかのように容易く破られていく。これはやばい、お腹こわしながら風邪引く、と瞬時に判断を下したわたしの脳と身体はしっかりと原型をとどめていて、ほどけているところなど一部もなかった。覚醒したロボットよろしくわたしはざぱんと水から上がり、おばさんに一礼してから手早く身体をふいて脱衣所に戻った。買っておいたペットボトルの水をゴクゴク飲みながらベンチに腰掛け、一連の出来事を思い返しながらわたしはとんでもなく興奮していた。これが噂にきく〈ととのい〉か。あれが〈羽衣〉か。サウナとは、こんなにもすばらしいものなのか! と。

それから私は同じことをもう2度繰り返し、猛烈な感動と共にお風呂屋さんを出た。ロビーでコーヒー牛乳も買った。優柔不断なわたしはサイダー水やビールなどにも惹かれつつ、この時ばかりはいつになく冴えた決断力でまっすぐ即座にコーヒー牛乳を選択できたのだった。ここ数年で類を見ないポジティブな気持ち。今にも走り出したい気分だ。サウナの入り方を伝授してくれた師にも即、報告。師曰く、

「水風呂でととのっちゃったの?! 水風呂の中じゃなくて、その後の休憩でととのうんだよ!!」

まだまだ甘い、とのことだった。ちょっと間違っていたみたい。水風呂に入りすぎたのか? わからないけど最高の気分であったことに変わりなし。これから何度だってサウナに行けば良いのです。道はこれから。こうしてわたしのサ道は開けたわけです。宵宵々山の夜、旅先の京都にて。

祭の気配に浮き立つような町の華やぎに、人々の頰は上気してほんのり紅く。それを見てえぐれるほど羨ましかった真昼の、わたしの顔色はどんなだっただろう。今この町のだれよりもわたしの心は(サウナ効果で)華やぎ、頰は(サウナ効果で)上気してほんのり紅く、おまけに(サウナ効果により)いつになくツヤツヤ。サウナってすごい。信仰します。

#サウナ #サウナー #サ道 #銭湯 #京都




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