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父と喧嘩してプチ家出。

父が40歳の時に私が生まれた。
今は67歳。
自営業をしており、数年前に店を閉めた。母曰く倒産に近いらしい。
私が幼少期の頃からずっと働き詰めで、朝は6時から夜は21時まで働きに出ていた。
小学生の頃までは休みの日に公園んで遊んだり、父方の実家に行くなど一緒の時間を過ごした思い出がある。
しかし、中学生になると部活などで忙しくなり、思春期にも突入し(これを言い訳にするのはよくないが)会話はほぼ無くなった。
この頃から誕生日を忘れられ「おめでとう」と言われなくなった。

「お疲れ」
「ただいま」

会話はほぼこれだけ。

高校時代も似たような感じ。
大学生になると実家を出たため、帰省した数回、私が話しかければ話すと言った関係性だった。
電話やLINEで会話もしたことはない。

ある程度の年齢を重ねて、会話という会話をしていなかった。
父は娘に興味を示していないと感じていたが、同様に私も関心がなかったのかもしれない。
仕事ばかり行く人、それしかできない人。
仕事以外には本当に何もしない人だった。
タバコにはお金を使っていたが、趣味もなくそれ以外にお金を使っていることもあまり見たことはない。

事件は祖母の葬式の日に起きた。
家族葬ではあったが、祖母と仲の良かった母の親友を数人呼んだ。
近くない距離であったが、駆けつけてくれた。
帰り際、外は寒く、時間も夕暮れ時。

「ありがとうございました」
と、頭を下げてお礼を言う姿を後ろから見ていた。

・・いや、その姿を見たかった。

実際は、
「はは、ありがとうございます。遠いところから」
ズボンのポッケに手を入れたまま、ニヤニヤした表情で声をかけている。

なんや、その態度は。

怒りに怒った。
人に対して行う態度ではない。
まして娘が後ろから見ているのだぞ。
このような葬式の会場で振舞う親の姿、将来自分がすべき姿として、手本を見たかった。
情けなくて情けなくて、殴りたかった。逃げ出したかった。
その人の娘と思われたくなかった。

自分が社会人になって、周りの大人が普通にしていることが、できないこと。
叫び泣きながら、父に気持ちを伝えたが、「なぜ歳下から態度について言われないといけないのか」と。
全く理解していない。

数ヶ月後、友人にこのエピソードを話した。
「まあ、その世代は年上のいうことが当たり前として生きてきただろう
からねえ。私たちの中では普通って思っていることが、普通じゃないんだろね」と言われた。

なるほどな・・・。そう考えたのか。
40歳違えは常識にも違いが出るだろう。
でもな・・・、挨拶するってどの時代でも大切なことだよね。

父の姿を見るとあの葬式の出来事が思い出されるため、夏の帰省は、初盆や母に会うために実家の近くまでは戻るも、家には入らずに、近くのゲストハウスに泊まった。

なんて頑固なんだ。お金をかけてまで家に帰らないなんて。
アホじゃん。笑笑

頭の中では理解しているが、大げんかして、早々と顔を見たくなかった。
イライラするのだ、思い出すだけで。
親であろう、イライラする人と一緒に過ごすのは人生の無駄な時間だと思う。
違うのだろうか?

自分が、年を重ねて、社会人になって、親を見ると
「こんな人だったんだ・・・」(悪い意味で)
「え、常識ない。」
「同僚だったら、マジで嫌い」と思うことがしばしばある。

自分が変わるにつれ、今まで好きだった人がそうで無くなったり、
そこまで気にしていなかった人のことが気になり始めたりと、価値観が代わり、付き合う人が変わると、1番近しい人を見る目も変わってくるのではないか。

それが親のとき、関係性をどう持っていくのだろうか。
もちろん、大前提に、私をこの世に生み出してくれたこと、育ててくれたことに対しては大感謝している。

しかし、一度抱いたこの気持ちをどのように処理していけばいいのか難しい。
結論は出ないのかもしれない。

周囲の友人は家族関係がよさそうな話しか聞かない。
こんな気持ちをどうしたらいいのか、わからず書いてみた。

終わり。


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