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映画「VORTEX」を観て思うこと

リタイア生活を株式投資で楽しむモト3の妄想エッセイ

重く、苦しい映画だった。まさに、人間の最期はどう生きるべきか、というテーマの難しい内容だった。

都会のアパートで暮らす老夫婦。妻は元医師で、現在は認知症を患っている。夫は心臓病を抱えながらも、自宅で本の執筆に忙しい。そんな老齢の夫婦はどのように暮らすのが最善なのだろうか?

息子は、ドラッグ中毒のためなのか生活は安定せず、両親の面倒は見れない。息子は、両親に対して夫婦で老人ホームへの入居を進めるが、夫は拒否する。

老夫婦の生き方に私は共感する部分が多かった。最期の日まで、自分の家で自分らしい生活をしながら生きたいという思いは人間の自然な欲望だ。

老人ホームに入れば、妻の面倒は職員さんがみてくれるのは分かるが、それは老夫婦にとって本当に良いことなのか。夫は自分が妻の面倒を見ることの大切さを感じている。完璧な看病より、不完全でも自分が看病することが夫婦の最期として大切なことではないだろうか。

夫も老人ホームに入れば、自宅にいるような自由な生活は出来ないことを知っている。本や資料は持って行けない。もう執筆作業ができないことは耐えがたいことだ。生きていることの目的がなくなってしまうのだろう。

生きていることの本質を考えさせられる。老夫婦にとって大切なものは何か。いままで共に生きてきた人や物や環境に囲まれて生きることは大切なことだ。

歳をとると断捨離することが流行っている日本だけれど、それは老夫婦にとっては自分たちが生きてきた過去を否定するようなもの。死んだ後に相続した子供たちが始末すればよい。生きている老夫婦の尊厳を大切にしてあげたい。

私の義父は介護施設に入っていて、週末は実家に帰宅する。妻は実家の義父と毎週電話で話をするが、時々「もう死にたい」と漏らすらしい。

介護施設では、完璧な介護がされてるのだろうが、逆にそれは義父から楽しみや自由を奪っているようだ。ここの部分のバランスは難しくて、部外者には立ち入りようがない。

さて、私はどうするか? とりあえず断捨離を考えることはもうやめよう。自分の過去と決別するのではなく、共存することを大切にしたい。押し入れの中の荷物には、他人には分からない、自分だけの思い出と歴史がある。

私の場合は、「VORTEX」から断捨離というテーマを連想してしまったが、この映画は生きる目的は何なのか、大切なものは何なのかということを私に考えさせてくれた。

自分の人生の最期は、どうやって過ごすか? まだ、自分の答えは定まっていない。白い病院のシーツの上で死ぬことが正解とは限らない、と今は思っている。
<了>



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