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「落下の解剖学」を観に行った

リタイア生活を株式投資で楽しむモト3の妄想エッセイ

先日観た「落下の解剖学」は久しぶりに面白い映画だった。フランスのグルノーブル近郊の山小屋で、視覚障がいの男の子を持つ夫婦が暮らしている。事件は、夫が2階から落下して死亡しているのが発見される、という単純そうな話から始まる。

警察が来て調べた結果、妻が容疑者となり裁判にかけられる。妻が本当に犯人なのか、あるいは事故なのか、自殺なのか、他に犯人がいるのかが裁判で争われる。

裁判での検事と弁護士の尋問のやり取りが私には興味深かった。検事側が新しく出してきた証拠では、妻が犯人に違いないと私は確信してしまうが、その後で弁護士の反論を聞くと、やっぱり犯人ではないと思ってしまう。

死体の解剖結果、関係者の証言内容、録音されていた会話の内容など、その事実は事実として正しいのだろうが、その解釈にはいろいろな見方が出来る。

私の様な素人は、検事や弁護士の「解釈」をそれぞれ聞いていると、どちらも正しい解釈に思えて犯人が分からなくなってしまう。振り回されてしまうのである。

それがこの映画の一番面白いところであり、迫力のあるところだ。2時間半の間、集中して字幕を読んでいるとちょっと疲れてしまったが、結末までの一語一語が興味深く、観終わった後も余韻が残った。正しい裁判だったのかと、、、。

「事実は解釈によって歪められて理解される可能性がある」、そんな恐ろしい世界があることを垣間見たような気がした。

この映画の中で私には嬉しいことがあった。容疑者である妻は、ドイツ生まれで英国に移り仕事をしていた。フランス人の夫と知り合い、フランスに住むことになったという設定になっている。だから裁判でのややこしい場面での妻の証言はフランス語から英語に切り替わる。

この妻の話す英語が私にはこの上なく聞き取り易く美しく思えた。発音はもちろん、表現や言葉のチョイスも上品で、日本人が学校で習うまさにクイーンズイングリッシュだと思った。

いくつか知らない単語も出てきたが、映画の音声と字幕がこれだけ一致する瞬間は初めてだった。自分の英語力もまんざらではない、と一人嬉しさがこみ上げてきた。

日頃、アメリカやイギリスのネイティブの話す英語の映画ばかり見ていると自分の英語力の低さに落胆し、フラストレーションが溜まることが多い。そんな私にこの映画はちょっとした嬉しさと励ましを与えてくれた。感謝したい。
<了>




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