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はじめまして「もとき」です。

ブログやTwitterで簡単な自己紹介は掲載していますが、
「もときって一体何者?」と思っている方も多いのではないでしょうか?

(多くない?え?需要ない??)

今さらながら、なんとなく思いつきで踏み込んだ自己紹介をしてみたいと思います。

興味のある方だけ読み進めていただければと幸いです。


もときってどんなやつ??

2023年現在、外資系製造業でインサイドセールスとして働いています。

組立作業員として入社し、社内公募でインサイドセールスへ異動!したのも束の間、仕事を抱えすぎて休職してしまいました。

ちなみに、外資系企業の前はEVバイクのスタートアップに1年間勤めていました。

詳細は別のnoteに書いてありますので、興味がある方はご覧ください。
※有料部分に実際の社名も書いてあります。

さらに、サラリーマンをしながら、6年ほどWebライターとしてひそかに活動しています。

ここまではブログやTwitterでも紹介しているので「あ~、はいはい」となってくれる人もわずかにいるかな??

プライベートでは、専業主婦の妻と子供3人のお父さんとして、家族第一で幸せな毎日を送っています。

せっかくnoteに自己紹介を書くので、ここからはさらにさらけ出して
「もとき」という人物を紹介します。

ポテンシャルは決して高くない、ほどほどなサラリーマンですが、
少しでも共感していただける方がいれば幸いです。

もときの戦闘力はいかほど?

神奈川のやや海側で生まれ育ち、ごくごく普通の家庭で育ちました。
何を隠そう、私自身のスペックも「THE普通」なのです。
どれくらい普通かというと、

・中学の成績はオール3
・高校は地元で中の下のランク
・高校の成績は300人中150位くらい
・専門学校の成績は120人中60位くらい

という素晴らしいくらい「普通」の学生時代を歩んでいました。
ちなみに徒競走もだいたい5人中3位くらいです。
身長も172cm、65kgと日本人のど標準。

とりあえず私のスペックをご理解いただけましたでしょうか?
TwitterやYouTubeで見かける、自称凡人の方々に負けていないと思います。

仕事は二の次!20代前半は車と遊びに捧げる

専門学校卒業後、学校の勧めでなんとなく板金屋に就職しました。

整備士の専門学校に通ったのに、板金屋に就職するとかすでにずれてるな~と我ながら思います。

しかも、夏休みの体験入社で面接が免除されるという、今思えば怪しすぎる入社の流れでした。(その後、痛い目をみることになります)

なんとなく入社した会社でうまくいく訳もなく、すぐに地元の整備工場に転職しました。
そして面接当日、足を運んだ整備工場は求人の会社とは違うという、信じられないミスをおかします。笑

面接する会社の住所を間違えるなんて、今では絶対に考えられませんね。
のんびりと整備士を5年ほど経験したのち、父が勤めていた非鉄金属の工場に転職することになります。

一部上場企業で「子供の頃の生活が送れればいっか~」という浅すぎる理由で入社を決意。
20代前半の私は、仕事に対してとんでもなく意識の低い人間でした。

製造業への転職が凡人を変えた

上場企業の製造業に勤めて、私の人生はガラッと変わりました。

充実した教育体制に加えて、私よりも意識の低いゴロツキが多い職場でしたので「普通」にしているだけでスター選手のような扱いでした。

当時、私は職場の最年少で、周りはやる気のないパソコンが苦手なおじさんが多く、非常に重宝していただきました。

入社2年目からは「改善活動のリーダー」「労働組合の執行委員」「製品評価のリーダー」と徐々にステップアップし、自分では気づかなかった才能を知ります。

きっと両親も「もときがリーダー⁉執行委員⁉」と思っていたかと思います。
学生時代は委員会活動すら避けてきましたので・・・

年功序列制度の企業で給料アップの無理ゲー

組合の役員になれば、会社のことをより深く知ることができるかな?と乗り気ではなかったものの引き受けました。

そこでガチガチの年功序列の制度設計を目の当たりにし「ここで頑張っても給料は上がらない」と確信します。

ベアや昇給で数千円上げる努力をするなら、副業した方が早いという決断をし、週末は地元の先輩の会社で日雇いバイトを始めました。
(これはこれで楽しかった)

Webライターに出会うのは労働組合を退任してから

労働組合では広報部長として4年間活動しました。

退任後「せっかくのライティングスキルを腐らせるのはもったいない」と思い、ネットでライティングスキルを活かせる仕事はないか検索していたところ、ランサーズに出会います。

ここから一気に自分のスキルが開花します。

ランサーズで着々と実績を積み重ね、週末のアルバイト代や、生活残業で稼いでいた金額にまで収入がアップしました。
ここまでくると、非効率な働き方で残業代を稼ぐのがバカバカしくなってきます。
結果的に就業時間内に成果を出し、評価が上がるという棚ぼた効果を体験しました。

副業のお陰で本業で成果を出すというモデルケースですね。

副業で生活が変わった?

サラリーマンとWebライターの二足のわらじで活動して、早6年経過しました。

副業収入のお陰で少しは生活に余裕が生まれましたが、なにより「心の余裕」が一番のメリットです。

「いつでも会社を辞められる」「会社が潰れてもなんとか生活できそう」というように、会社にぶら下がって過ごすことがなくなりました。

過去に一週間ほど入院したことがあるのですが、Webライターであればベッドの上でも仕事できますしね。(入院の内容によりますが)
妻も無理してパートで働く必要もなく、家事や子育てに専念できると感謝してくれています。

私の場合、決して副業をはじめて本業が疎かになった訳でもなく、むしろ気持ちに余裕をもって働くことができています。

同僚の給料が気になったり、上司の顔色を伺うこともなく、ハッピーな気持ちで働いています。

ちなみに、私の得意なジャンルは以下の通りです。

・転職
・車
・副業
・釣り

SEOライティングではオールジャンルで執筆を行っています。
リサーチしてライティングするので勉強にもなります。

お仕事のご相談は随時受け付けておりますので、お気軽にご連絡ください!

副業から「複業」へ

Webライターの仕事が軌道に乗り始めると、もはや「副」の仕事ではなくなってきました。

チャットワークのグループで仕事の進捗を共有したり、Webミーティングで打ち合わせしたりと、本業顔負けな動きになってきます。

そこから「副業」というお小遣い稼ぎ的な考えから、お金をもらうプロとして「複業」と呼ぶようにしました。

私の人生は行き当たりばったりですので、特に今後のビジョンなどはありません。
愛する子供のために、「家族」を軸に向こう10年は過ごすことでしょう。

ここまで読み進めてくれたそこのあなた、人生楽しんでいますか?
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

良かったらブログもやってますので遊びに来てください。


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