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優しくてポジティブな言葉って、乗り過ぎたらヤバい「タダ乗り論」や。




「大丈夫、あなたはもう頑張らなくてもいい」


「生きてるだけでえらい」


「自分の弱さを許してあげて。みんなであなたを支えるから、たくさん人を頼って」


 ……という感じのポジティブで、優しくて、とことん前向きで。

 自身のダメさに悩む人間をふんわりと包み込んで「ダメなままでいいんだよ〜」と自己肯定を促す主旨の言葉を、昨今は巷でしょっちゅう見かけるようになった。

 いわゆる《全肯定ポジティブ論》だ。


 例えばTwitterのバズってる自己啓発ツイートでも、あるいはインスタのゆるふわしたキャラクターアカウントでも、Youtubeのメンタル系インフルエンサーや若者に人気のYouTuberでも、海外の活動家や日本の芸能人ですら、こういった論調で大変ポジティブな発言をしているのを見かける。

 それはもうまるで聖人みたいに「君は何をしても大丈夫。生きてるだけで偉い」って言ってくれるけど、この前ベッドの上で強めの屁こいたら普通にうんこも漏らしたあたいもほんまに大丈夫なん? って聞きたい。詰め寄って問いただしたいわ。



 もちろん、みんなが口揃えて同じポジティブワードを言ってるわけではない。それぞれキャラクターによって言ってる内容にも特色や特徴がある。

 何かを成し遂げたスポーツ選手や、あるいは逆境で生きるマイノリティや、病気や事故から生還した人だったり、なんか凄そうなギャルや(蔑称だけど)オネェなど、《なんか説得力がすごい人》ってのには色んな種類や属性がある。だから言ってることが似ていても、なんとなく印象は異なるし、それぞれの経験や人生観を踏まえた哲学をひしひしと感じる。

 なのでそういった《発信者のキャラクターを構成する背景や論調の違い》によって支持する層も、影響力の大きさや発言の重さも、そして受け取る人間の反応も変わって、同じポジティブ論でも好き嫌いが分かれてくる。何にも成してないあたいが言うより、野球のイチローが同じことを言った方が広く支持されるように。



 けれど、ネットに漂うポジティブ論は、表面や発信者が違えど、どれもこれもとにかく《言葉を受け取った人間を全肯定する》ということを狙ったものであるのがほとんどだ。

 人権的なことでも当たり前のこと言ってるんだけど「生きてるだけで偉い」なんてまさしく存在の全肯定だろう。それは対象を選ばず生きとし生ける全ての人間を肯定する。うんこ漏らして泣きながら家で酒飲んでるあたいも漏れなく肯定してくれるのだ。うんこは漏らしたけど。


 ここから、なぜポジティブ全肯定が《全人間を対象とするか》を説明していく。

 話を外堀から埋めていくので、やや遠回りな解説になるけれども、まずネットではある特定の属性を持つものや、誰もが不平不満を感じやすい特徴や状況というものを、特権的だったり侮蔑的だと痛烈に扱うことによって拡散や賛同を得やすいという性質がある。

 例を挙げるなら《上司や教師、偉“そう“な階級の人間や、国と政府と役人》というヒエラルキー上位にあるものへの鬱憤、つまり権威的なものへの批判を超えた破壊的な憎悪。もしくはボリュームゾーン(中間層)より立場が低く弱い集団への庇護や融通を卑怯だと断ずる差別感情。ここには在日外国人や生活保護者、性的少数者や障害者などへの差別的な扇動なども含まれる。

 それらは喧伝されやすく、波及しやすい。なぜなら社会を構成するほとんどの人が特権階級でも上流階級でも無いし、全ての被差別属性を網羅して持っているわけでも無いので《ネガティブ論で論われる自分より上の人間と、自分より下の人間》に囲まれているわけだから。

 つまりざっくりいうと、ネガティブな言葉は《特定の何かだけを敵にした時、バズりやすい》という特色がある。

 そこには「自分に敵意は向けられていない」という絶対的な安心感と「誰かをみんなで敵にして戦っている」という罪悪感の希薄化がある。ゆえに自分たちの無力さや悲壮さから目を逸らし、鬱憤を晴らすためのガス抜き的な役目を担っていることもある。

 もちろん集団の力を活用すれば、例えば労働組合やストライキ・デモによる職場の労働環境の改善や、政権交代・独制の解体など民主主義的にポジティブな結果を生み出せることもある。そしてそれが集団的な多様性の健全なあり方なので、そこを非難する意図は無い。あたいは別に多くの保守やリベラルのあり方を揶揄したいからこれを例に出したわけではない。

 右翼でも左翼でも、あるいはノンポリでも、強烈な利己主義者が介在したら、そういった集団の力を悪用してヘイトに繋げ、分断を図り、自分だけが得をする手法を罪悪感なく行える者がいるので、こういった批判的な論調で論っただけですわ。

 身近な例で言うと(全て蔑称的なので使いたくも無いけど)「ネトウヨとパヨク」だとか「フェミとインセル」なんて対立を煽られて、その炎上や軋轢によって衆目を集め広告収入を得るアフィリエイトなんて、まさしくそういうネガティブバズりの良くない利用法かもね。


 そして逆にポジティブな言葉は《あんまり個人を特定しない》という特色がある。

 というのも、もしも限定して賞賛を贈れば、受け取り手が「自分のことではない」とヘソを曲げてしまうからだ。なんであっても褒め言葉は聞いてる人間も巻き込んで疎外感を排除した方が心地が良くなる。なんなら「みんなを褒めてる」よりも「あなたを褒めている」の方がその効能は大きい。

 金メダルを取ったオリンピック選手も、ノーベル賞を受賞した科学者や作家でも、日本人であることと同族であることの誇りを強調して祝福をあげれば、聞いてる人間も「自分事」で気分が良くなるってことも少なくないでしょ。

 だからポジティブな言葉は「あなた事」にするためにも、理解を示したふりしてでも強制的に受け取り手を《弱者であり被害者》だと断定して、情けの対象にする。そしてそれを全救済するためにも《全てを許す》みたいなスタンスを取るのだ。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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