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自殺するには、体力が要る。




Q.自殺するために必要なものってなんだと思う?

 普通、こんな質問を受けることはないし、平時は考えることもないテーマだと思う。

 「そもそも、死ぬことについて考えるのなんて、明日の生活のことを考えなくても生きられるような環境にある中高生の子どもや、暇を持て余した大学生など、生命力に溢れた若者がやることで、ちゃんと生活費を稼いで税金を納め生き続けなければならない大人が考えることじゃない。大人はそんなことを考えるほど暇じゃない。

 死ぬことなんて考えずに金を稼ぐことこそが現実的であり、死について考えるだなんて妄想的で、一円にもならない無意味なこと」

 そんな感覚が世の中にはある。


 でも人はいずれ死ぬし。大人になるーーつまり年を重ねても老い支度もせずに、どうせ明日も生き続けるだろうと漠然と生きることこそあんまり現実的じゃないと思う。それと同時に、年老いてからの病気や老衰によって寿命に死なせてもらうことだけを考えるのも楽観的かもしれない。生きてりゃ不慮の事故や、病による早逝、それこそ人の手によって殺されることもある。

 だから、自分の死について想像もつかない今からでも、死についてある程度考えておくことは、悲観的に見えるかもしれないけれど、丁寧に生きるということだとあたいは考えている。たとえば保険に入ることも広義ではその一つだし、遺書や所持品の引き継ぎ方を残すこと、いらない物を捨てておくこと、定期的に誰かと連絡を取り合うことも一つの備えだと思う。


 そして、話が飛躍するようだけれど、もしも自分が自ら死を選ぶとしたらどういう状況なのか、ということも余裕がある時に一度考えておきたい。

 自分という人間は、何を失ったら死を選ぶのか、何を押し付けられたら死にたくなるのか、何があったら自殺という行動を引き起こしたり得るのか。それともその絶望の中で生きるのか、生きるとしたらどう生活するのか。

 想像もつかない現状から自分の終わりについて考えてみるのも、それはこれからも生きるための必要な想定だとあたいは考えている。


 

人は、理由が無いと自殺しない。


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