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作家は苦手だけど、作品は好きだということ。



「この人のことフォローはしてないけれど、本はほぼ全巻持ってるわ」


 ずっと前に、あたいのツイートへの引用ツイートにこういったことが書かれているのを見かけた。

「フォローしてないけれど、本はほぼ全巻持ってる? なんやて?」と、あたいは二度見した。本を買うくらい愛読してくれているのなら、なんでフォローしないんだろう。そういう疑問を抱いた。

 フォローするのは無料だしクリック一つでできるお手軽なことだ。なのにそれをせずに有料の書籍を買い集めるだなんて、経る手順を飛び越えて、前後関係も逆転しているように思えた。

 そもそもあたいの本は基本的にTwitterに投稿した漫画や、noteや出版社のwebサイトなどで更新した記事・文章を元にまとめ上げて出版している。もちろん完全書き下ろしや大幅加筆の作品もあるけれど、紙媒体での連載はしていないので、作家としての露出はネットを除けば本屋さんに置いてある著作のみに限られる。つまりあたいは典型的なweb専業作家なのだ。

 なので本屋さんやメディアの紹介などで偶然出会わない限りは、基本的にネットの投稿をたまたま見かけた・あるいはリツイートで流れてきた等があたいの作品への導入としては多いのだろう。

 また、あたいの出版に関しては出版社さんから、

「もちぎさんの場合、まずはSNSのフォロワーやファンの方に向けてのファングッズのような形で初動を見込んで出版します。後々は口コミなどが波及してツイッターなどで繋がっていない本読みの方々に読まれていくことを目指して販促していきましょう」というような目論見を聞いている。

 あたいとしてもその見通しには賛同している。SNS発の作家や著者というのは、フォロワー数やその層を基準にして創作物を上梓しているので、純然な作家よりもSNSとの関係性や相互性が関係してくる。Youtuberの本や、タレント本なども同様の分野だろう。あたいなんて本の奥付にもTwitterやYoutubeやnoteのQRコードを印刷しているぐらいで、作品とSNS発信は独立しつつもある程度は地続きな面もあると考えている。

 web作家の中でもとりわけ“SNS作家“であるあたいの本は、残念ながら売れ行きもまだまだ芳しくないので“作家“としての知名度は無いに等しい。認知してくれていても、まだせいぜい《本も出しているSNSの人》くらいの付随的なイメージだろう。いずれノーベル賞作家になるつもりだけれど道のりはちょっと長い。

 ごく稀に「本屋や図書館で見つけて読み、それからSNSをフォローしました」「大学の講義で紹介されていたので読みました」というメッセージも届いたりする。これはほんと珍しく、とてもありがたく光栄だし、いち本読みとしてはなんか照れ臭く、嬉しい。置いてくれている図書館や教育機関にはゆうパックで投げキッスを送りたいくらいの感謝の念を抱いている。

 そしてそういう場合でもやはり、あたいの本はSNSインフルエンサーの書籍であり、あたいのSNSでの活動も読み物の一環として選んでくれたと解釈していいだろう。作品の多くが自伝・エッセイであることにも大きく関係しているけれど、あたいの作品は作者であるあたいの主義思想が前面にあるものが多いので、どうしてもあたい自身の人間性と地続きになっている。だからあたいのことが嫌いな人ならそもそも読まないし、読んでくれているということはあたい自身やあたいの発信テーマの範囲に興味関心を持ってくれている人がほとんどだ。

 じゃあなぜ、あたいの本は読んでくれているのに、あたいのSNSはフォローしない・見ないのだろうとあたいは考えた。おそらく暗数として見逃してきただけで、最初に見かけた例の方のように、《フォローはしていないけれど新刊が出れば買うこともある》というような人は実は多いのだろう。


 たとえば、エッセイは《作品》として読むけれど作家の人間性には興味がないから、日々のツイートや飼ってる動物の写真とかには興味が無いし、とりとめないつぶやきもとりわけ見たくもない、といった理由なら少しわかる。あたいも好きな本や作品は多くあるけれど、作者のSNSやブログを身漁ったりはしない。そこまで日常的な姿に興味はない。

 あるいは書籍だと順序立てて書かれているから、SNSを遡るよりもお金を払ってでも本を買って一から読む方が楽という人もいるだろう。どうしてもパソコンやタブレットより小型なスマホの画面だと漫画も読みづらいので紙の大判書籍を買っているという人もいるのかもしれない。

 でも皆が皆そういう理由で著者のSNSをフォローしていないのだろうか。書籍を全て買い集めるほどの関心あるSNS作家のアカウントなのに? Youtuberの本を買う人のほとんどはチャンネル登録者なのように、SNS作家の本ならばまずはフォローして無料の部分の作品や最新作を眺めようともならなかったのだろうか。フォロー自体は簡単であり、とにかく《無料》ということが大きいのに。


 あたいは面倒な性格なので、気になったらもうどうしようもない。もっと違った理由も存在するんじゃないのかと気になって調べたり、周りの人に聞いたりしていた。大体は「好きな作家とかアーティストとかそもそもあんまりいないし、いてもファンクラブに入ったりSNSを追っかけるほど熱中してない」というようなものだった。

 けれど、あたいはまだモヤモヤと考えた。何か言語化できないけれど、もっとこの感情や動機を深掘りできそうな気がすると思った。


 そう思っていた矢先に、別の人のツイートだけれど、この問題の核心にも通じるようなつぶやきが流れてきた。


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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄