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【SNS分析①】レンタルなんもしない人さんから見る、「もっと愛想良くすれば仕事が増えるのに」と言われるような、人間性と仕事の分離パラドックス。



(ダラダラと長い前置き)

 SNSを見てると、いろんな奴がいて、いろんな面白いことがあるなと感じる日々です。世の中にはあたい以外にも変な人がいっぱいや。大変態時代やね。


 というわけで、SNS発信で作家デビューし、ネット上で活動を続ける一般人のあたいが、SNSで話題になっているクリエイターや有名人・作家・コンテンツや流行をあたいなりの目線で分析していきたいと思います。

 ただ、いわゆる炎上している渦中の人や、喧喧諤諤とした議論真っ最中のコンテンツにいっちょ噛みして対立を煽るようなハイエナ的な記事じゃなく、なるべくあたいの好きなコンテンツや、すげぇと思った人の卓越した部分バズってる要素を言語化して抜き出していく実用的な備忘録になればと考えています。


 そういった分析記事にしようと考えた理由として、SNSの特徴ーーとりわけ負の側面を助長するようなものを書きたくない、って思っていることが第一にありますわ。

 匿名掲示板・ネットコメント・SNSにおいては特に《怒りの伝播や対立を煽る言説・センセーショナルかつ差別的な表現》というものが話題になりやすく、そして発信者の狙った空気感(分断や対立)を作りやすかったり、大衆を煽ることでインプレッションを稼いだりしやすかったりと、扇動することにより誰かが利益を得やすい構造が目立ちます。

 そんな分断を生み出す発信でできる味方というのは「自身が認めている考えを主張している限りは支持する」という監視的な味方であり、また敵対する人は「今後どれだけこちらが納得できる意見を有しても許さない。ずっと敵視し続ける」という不可逆の敵対意識を持ち続けます。つまり周りからフラットな目線と立場をとる人間がいなくなるわけやね。

 だからあたいは絶対的な敵も作りたくないし、限定的な味方も欲しくないから、せめてネットという開かれた場所でくらいはフラットな意見をふらっと言い合えるような、そんな空気感を一人せっせと作りてぇと考えているのです。

 それに、こんな美人ってだけの胡散臭いあたいのnoteをせっかく購読してくれてるんだから、なんかタメになったり、読後に「読んでよかったな」「おもろい視点を知れたな」「自分とは違う知見を得られたな」「やっぱこいつおもしれぇわ……」となってくれた方があたいもweb作家冥利に尽きると思っています。

 また、取材や許可も通さずに題材として取り扱ったコンテンツや人物に対しても一定以上の敬意を持ちたく、それを好む人の価値観を腐したくもないので、なるべく批判はあっても否定をするような物言いはせずに書くことを誓います。

 前置きの最後に。
 それぞれの記事の主題になっているコンテンツや人物に前情報や知識がなくとも、社会学や経済学、SNSマーケティングやインフルエンサービジネス・アカウント運用、心理や人間活動全般への興味関心といった、「人のことをもっと考えたい」という人にも楽しんでもらえるような記事にするよう努めるので、のんびり読んでいってもらえたらと思います。あとどうしようもなく暇な人も読んでいけばいいと思う。


 ではまずは、第一弾「レンタルなんもしない人」さんについて。

https://twitter.com/morimotoshoji

【なんもしないサービスを提供する人。ゲームの人数合わせ、花見の場所とりなど「ただ居るだけで(ごく簡単な受け答え以外は)なんもしない」依頼をTwitterで募集している。レンタル費用は国分寺駅からの交通費と飲食代(かかった場合のみ)と、依頼料10,000円。】

【サービス内容のほのぼのさとゆるさとは裏腹に、わりとズバズバと媚びない物言いをする人で、エゴサーチしてアンチコメントや彼に懐疑的な一般アカウントの意見にも反応することもある。そんなちょっとインフルエンサー(営業アカウント)らしからぬSNS運用が賛否両論を巻き起こすことも多い。なんもしないけれど、我が無い訳ではない、なんかおもろい人】



 レンタルなにもしない人さんはなにもしない人だ。なにもしなくていいけれど、ただ純粋に人の存在が一人分だけ欲しいーーというありそうでなかった供給の鉱脈を掘り当てた。最初は無報酬で活動していたけれど、現在は報酬を受けている。

 けれども、その仕事に「何もしないなんてそんなの仕事じゃない」と批判する人もいる。でもまぁ「何もしない」をしていると思えば、それは特殊な供給を提供しているってことだし、それを需要する人もいるだろうと思う。哲学みたいな話になっちったな。とにかく彼の活動内容を事前に了承した人がお金が報酬として渡していれば、それはもう仕事なのだ。

 そしてレンタルさんが波紋を投じているのはその仕事の形態だけじゃない。彼のアカウントのあり方もたびたび話題になっている。

 その「何もしないけどそばにいる」という、人に寄り添った仕事内容とは打って変わって、わりと好戦的な彼の性格と剣呑としたSNS運用(エゴサからのレスバトル・論争など)に「インフルエンサーの営業用のアカウントでよく一般の人と論争したり、自分を認めない人間をこき下ろすよ。弱いものいじめだし、客が減るだろ」と批判したり、「愛想良くないと仕事きませんよ」と彼個人の意見の封殺を試みる人もいる。(中には仕事の成果だけ呟いて、個人的な意見は呟かないでいいと「なにもしないこと」を提案している人もいた)
 
 たしかに、SNSではフォロワー数が増えてファンネル(支持者)やクラスタ(集団)ができはじめると、一般アカウントの一意見に対して公に対応を行えば、数の暴力で相手の意見を一蹴できてしまう権力勾配・不均衡性があるのは間違いない。一見は自身の手を汚さずに、フォロワーの中でもシンパ的な人達から力を借りて相手のアカウントに集団攻撃するようなことも可能なのだ。

 なので「有名人ならばもっと平和にアカウントを活用しろ」という指摘には納得できる。あたい自身もフォロワー数が増えたことには有難みを感じつつも、一転して数の暴力として利用し、他者への攻撃や分断の武器にはしたくないと思い、慎重に受け止めている。指摘の通り、フォロワー数が増えてくれば自身のアカウント運用の危険性に自覚的であることは必須だろう。かつてあたいが「ちんちん」と呟いただけでいいね数が4000超えた時は驚愕して戦慄した。あたいは、あたいのフォロワーがこわいよ……。

 また、そもそもレンタルさんのように、エゴサーチで自身に対する意見を見つけ、それを公然と反論したり言及するのは、相手からすれば「攻撃された」「急に晒された」と受け取られてしまうことは容易に想像できるだろう。ていうか実際、エゴサから見つけた意見に言及する際の彼自身の物言いには、全てでは無いが煽りや攻撃を付け加えている節すらある。相手のことを「うんこ」呼ばわりしていたこともあった。

 だけどまぁ公開アカウントで批判すれば、それは相手がインフルエンサーだろうと目に入ってしまうことは免れないのが《公開の場で書く》ということだし、「有名だから反論しない」という押し付けてしまうのも有名税を免罪符に相手をサンドバッグにしてしまうことだ。
 
 そういった風潮に抵抗するようにバンバンと反抗するレンタルさんは「有名になったからって品行方正な優等生の振る舞いをするわけでもなく、自分が気に入らなきゃガンガン突っ込む」というある種の有名アカウントにおける労働改革のような運用方法だなとは考えられる面もある。もちろん彼の今までの行いや炎上騒動を擁護したり評価するわけじゃない。

 とにかくあたいがまず彼のアカウント運用方法で感じ取ったのは、有名であろうと彼自身で考えている《個人アカウントでの運用の自由と責任の範疇》で使用している、ということだ。

 あたいとしてはネットの言論の自由は《なんでも書いていいわけではなく、内容によっては責任を取る必要がある》ということであり、公開アカウントでの意見は本人に届くこともあるという《公開の責任》はあるし、インフルエンサーも批判や意見されることを活動している限りは自由な言及を《了承する責任》がある、と考えている。

 そして批判の内容が行き過ぎていれば誹謗中傷として訴え、発言者も《謝罪する責任》があるし、同様にインフルエンサーが個人相手に反論や攻撃的な言及を行うことで評判を落とし仕事を失ったとしても、その方針を自身で選んだ《選択の責任》があると思う。

 つまり、レンタルさんは確かにみんなが想定するインフルエンサーらしからぬ言動を取るけれども、自身が「有名人だからって黙ってないよ」と選んだ運用方法であり、なおかつ人気商売に差し支えがある程度出たとしても、本人が覚悟の上なら、それは誰にも止めることもアドバイス(という名の指示)をすることもできない範囲の自由の行使なのだ。もちろん意見を言うのも批判するのも自由だけれど、その通りに反映して思いのまま方向転換することに期待してはならないだろう。


 それにしても、ネットは開かれた場所で、誰にもアカウントの運用方法を指図される権利は無いーーということは周知のことでたびたび話題になる(たとえばイラストレーターのアカウントに「絵だけ載せろ。ご飯や日常ツイートはいらない」と指示すれば多くの人から反感を受けるし、芸能人やアーティストの政治発言に「政治発言やめろ、幻滅する」とタブー視して制止すれば、ある程度は批判されるだろう)

 なのにそれでも「あぁこの人はこういう人なんだな」と割り切れずに、相手を批判や糾弾する権利を超えてーーコントロールするような支配欲に至ってしまうことがあるのはどうしてだろうと考える。(もちろんこれはレンタルさんの方針や人間性を許容できずにブロックしたり批判した人を指しているのではなく、行き過ぎたアドバイスや個人攻撃に転じている人を想定している)

 それは、実際の世の中には、自由や多様性よりも強力な同調圧力による「こうあるべき」という規範に重きがあることが関係していて、いろんな仕事があってもいいと自由を語るわりには「Youtuberは仕事じゃない」「〇〇は仕事として認めない」と言ってしまえる風潮があったり、他人の仕事に対して顧客じゃなくても口出しできてしまう開かれ過ぎた場所(SNSや掲示板などの匿名性のある場所)が規範性を助長してしまっている節もある。

 そして何より、このインフルエンサー運用論ーー有名人や商売人なら愛想よくすべきという考えは、結果ではなく過程や、その場の雰囲気や、「営業してくれた人物の愛想がいいから買った」「なんとなくこの人からなら買ってもいいと思えた」というふわふわした目に見えない《人間性という基準》が非合理な選択を生み出すことを、実はみんなが重視しているという事実が浮き彫りにしている。


 これ自体はあたいも否定や批判をしようとは思っていない。ゲイバーという水商売をしていたから理解しているし、コロナ禍では「水商売なんて不要」と言われたので理解しているけれど、実際にアルコールは体を壊すだけだし、飲み代は生命の維持には関わらないから無駄な出費かもしれないし、夜の街での人と人のつながりは非合理に見えるかもしれない。

 けれど人間は合理性だけでは動かないし、生きられない。なので非合理な「人間の温もり」「なんとなくその人には癒される」という理由で、心の栄養補給を行い、そこに対して対価や報酬やーー価値を見出すのだと思う。

 つまり世の中には無駄が多く、人は無駄があってこそ生きられるので、仕事という結果以外の無駄ーー愛想よさを求めてしまうのが人間という生き物であり、レンタルさんが「なにもしない」という仕事を提供しているにも関わらず「愛想よくする」というある種の無駄さが求められている構図は、実はこの世からブラック企業や過剰なサービスやクレーマーを生み出す原因の素地になっている節がある。

 このことに関してさらに深掘りしていく。


 

「バイトに過剰な接客対応を求めるな、必要な仕事ができればそれでいい」

「嫌なら利用するな。嫌なら見るな。嫌なら関わってくるな」

 どちらの意見も、今のネットでは極論扱いではなく、むしろ先進的でわりと支持されている考えだ。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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