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批判に対して「あんな奴ら、気にしちゃダメですよ」ってファンや周りが言い始めたらコンテンツは終わりよ。



まずはじめに、ごめん。

タイトルでは物騒にも「こうなったらコンテンツは終わりよ」なんて言ってるけども、別にそれだけで本当にコンテンツが終わりってわけではない。
ちょっと短絡的に言い過ぎた。


どんな分野でも、どのコミュニティでも、こういうことはよくあることだと思う。

ファンや周りの人間が、コンテンツに向けられた批判やアンチコメントに対して積極的に反論したり、運営や発信者側などに対しては応援のコメントを送ったり。歴の長いファンとアンチ同士で長年バチバチやってるジャンルもあるわな。
そんな構図はみんなもしばしば見たことがあるだろう。

思うにもうそれはコンテンツの様式美みたいなもんだったりする。
人気があってファンがいて、盛大に盛り上がっているコンテンツなら大なり小なりこんなもんだ。
だからそれ自体は珍しいことでも無い。

また、そういう擁護的な行動がファンの定義の一種でもあったりするので、その行動自体をここでは否定はしない。
(もちろん逆に“擁護してこそファン“だ、とも言わないけど)

この記事ではその先の《擁護によって生まれる弊害》についてだけを書く。
コンテンツを作る人にも、なんらかのコンテンツを応援している人にも読んで欲しい内容になると思う。





まずそもそも別に、ファンやサポーターの一部が、アンチと呼ばれている人たちに抵抗するようなそんな対立の渦中にいようと、あらゆるコンテンツはほとんど問題なく存続している。

例はここでは具体的には挙げないけど、まぁだいたいの作品や有名人とかはそんなもんやと思う。むしろそういう諍い(いさかい)がある方が人気が高いと見られることもある。
映画のレビューサイトやAmazonのレビューでも、ほどほどに絶賛的な好評価と、内容のしっかりした低評価と、嫌いっていう感情論が先行した罵詈雑言レビューがぼちぼち入る方が大勢の人間に注目されているんだなと分かるし、熱気がある。それと同じだ。

しかもファン自身も、アンチ意見に対して抵抗することでますます結束や熱意を高めたりしていることがある、とあたいは見ていて思う。
サポーターやファンクラブなどの一部がアンチに対して異様に白熱化するのもその流れだろうね。過激的ではあるが一種の愛と言っていいかもしれない。

だからか、中にはアンチ意見との対立と、コンテンツの擁護をすることにアイデンティティを実感するファンだっている。
「この行いはファンなら当然であり、自分こそがファンの鑑だ」と信じている人たちのことだ。
それが良い悪いかどうかで言うと何とも言えないが、危うい状態だ、とは思う。


たしかに、そういう方々がコンテンツのコアなファン層と化しているって一面もあるだろう。コンテンツ側からすれば経済的に活動を支えてくれている有難い方々だし、根強い支援者でもある。

しかし、そこから過激に陥ってしまった一部ファンを放置しても、客層を先鋭化させてしまい、外集団を寄り付かせ辛くなるリスクがある。古参からのファンがにわかファンを嘲たり、運営も認めていないような不文律のルールを強いたりするのもファンの先鋭化で陥ってしまった例だろう。

難しく言ってしまったが簡単に身近な例で言うと、飲み屋や夜の店で常連客が場を取り締まってしまい、そのせいで一見さんが入りづらいところが多々あるが、まさにそういう空間のことだ。ちなみにゲイバーでも時間帯によっては稀によくある。

そんな風にコンテンツ運営側が操舵をミスれば、熱烈なファンですら経営やコンテンツの存続を脅かす《諸刃の剣》になりうるのだ。だから運営側も注意喚起を行ったり、ファン内部でもアンチ同様行き過ぎたファンに対しても注意を行なって自浄作用を図っているのをよく見る。
関係ないけど諸刃の剣って言葉、なんか鬼滅の刃っぽいな。


さらに言えばそういう争いに疲弊してファン自体を辞めてしまうことも、ままあるだろう。アンチ意見にも一部ファンの苛烈さにも疲れてしまって、コンテンツを愛する気力まで奪われてしまうのだ。
癒しを求めてハマったコンテンツで疲れて傷ついたら辛いだろうなとは思う。
だからあたいは自分のファン(約48億9800万人)に対して「気ままに気軽に、自分に余裕がある時にあたいを応援してね」と伝えているのだ。

あたい自身も、自分のせいで嫌われるのは仕方ないと思えるけど、別の要因に引っ張られて嫌われたらちょっと悲しいしね。


ただ、ファンにもそのような種類の人がいるように、ファンから「アンチ」と呼ばれる人も一枚岩でもないことには留意したい。


そんでもって、ファンが「アンチのような奴らを気にすることは無い」と言った時に、発信者やコンテンツ運営側がその言葉を真に受けてファンの方だけを見れば色んな危険性を抱えてしまうこと、またその時にはコンテンツが終わりを迎える可能性が生まれることを、この後は書いていこうと思う。


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