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「親と仲がいい」ってのも酷なことだよな。


 好きだから辛いってこともあれば、嫌いだから楽だってこともある。





 この歳にもなってくると、周りの同年代や少し歳上の友人から「親の介護どうする?」「もう高齢だからそろそろ施設も考えてる」「親がもし認知症になったら」「両親とも年寄りだからコロナ禍になってから会えてない」だとか、そういう話を聞くようになった。

 来年、自分がどうなっているかも分からず、住処も仕事もずっと同じところで続けられるかも定かでない時代で、それでも確実に訪れるのは“人の老い“だ。

 そして老いの果ては死であり、多くの人間にとってそれは自分よりも先に親へと訪れるものだ。だからみんな差し当たって自分ではなく自身の親の最期のことを思案する。


 あたいもこういった話題については思うところがある。

 あたいの場合、親族は姉と甥以外ほとんど繋がりがなく、実親である母とも絶縁状態と言ってもいい。ちなみに父はあたいがガキンチョの頃に自殺しているのですでにいない。


 母ちゃんとはずっと顔を合わせていなかったが、絶縁してから十年近く経ってコロナ禍が訪れた際にひょんなことで再会を果たした。だけれどそこでも改めて相容れないことが理解できたので、勘当は今でも揺らぎない。あたいと彼女は他人であったほうが都合のいい人間だった。

 それでも法律上は親子であり、あたいには母ちゃんに対して“生活扶助義務“とやらも一応発生している。「血縁関係がある人間同士で助け合って自助しなさい」みたいな内容の民法だ。まぁこれはほとんど死文化してるらしいので、仮に母ちゃんが生活保護を申請することがあっても、あたいや姉ちゃんが必ず支援しなければならないわけではないようだ。その他に、母ちゃんの抱えている借金等も血縁関係上話が回されてくるだろうけれど相続放棄するつもりだ。

 だけどもし、母ちゃんが認知症になったり、体が動かなくなって入院したり、事故や病気で寝たきりになった場合、その時はあたいもさすがに「関わりたくない」という個人的な感情だけで突き放すこともできなくなってくる。

 たとえば母ちゃんが人様に迷惑をかけるようになったら? あたいにはそれを「自分には関係が無いことだから」と無視することもできない。

 もしも母ちゃんが認知症などで介護が必要になったら? あたいは正直、自分の経済的状況も不安定だし、母ちゃんを介護できるほどの愛情も義理ももう持ち合わせていない。だけれど母ちゃんが施設にも入れず、保証人もいない状態で身動きができなくなっていると分かれば動かざるを得ない。もう二度と顔を見せるなと言われてるのに、会いに行かなければならない。お互いに顔を見たくなくても、面倒と現実だけは見る時が来るだろう。

 何より怖いのは、姉ちゃんが責任感を感じて「自分が介護する」と言い始めた時のことだ。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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