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開拓星のガーデナー #8

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ミラン・カスバートは偉大な植物学者だった。常に先鋭的で向学心に富み、時代の最先端を走り続けた。地位や名声にこだわることはなく、ただ学問の未来のために尽くした。誰もが認める優秀な人間だった。父親としては、どうだっただろう。

ルチアは彼が40の時に、妻と引き換えに生まれた娘だ。たった一人となった家族に、彼は惜しまぬ愛情を注いだ。叱り、学ばせ、笑わせ、叩き、買い与え、喜ばせた。溶かした鉄を型に流し込むように育てた。

それは彼の愛情だった。厳しく、不条理で、辛い現実。その中で幸せを勝ち取るためには、強くあらねばならない。

ルチアが成功を収めると、父は賞賛した。失敗すると、火が付いたように激しく叱責した。親子の間には、いつの間にか純然たる取引関係が生まれていた。期待に応える見返りに、愛情を与える。

それも彼の愛情だった。そういうビジネスライクな関係は、大人と大人の間では自然と生じるものだ。だから、若いうちに慣れるに越したことはない。それが彼の教育方針だったのだ。

植物学者としての父は、徹底した現場主義者だった。娘はその役に立つため、あらゆる技術を学んだ。のちにガーデナーと呼ばれる作業用人型重機もその一つだ。彼女は作業員に混じり、大人顔負けの働きをした。

ルチアは常に父と共にいた。職場が地球から宇宙へ移っても、仕事が剪定から戦闘へ変わっても。父に付いていけば、するべきことは自然と見つかった。それは自然なことであり、父も、周囲もそれを歓迎した。未来のことなど考える必要はなかった。

だから、父を失ったその時、彼女は……


◆ ◆ ◆


深く息を吸い、ゆっくりと吐く。感傷的になりかけた気持ちを切り替える。

後は託した。後のことはきっと、彼がやってくれる。それが成功するか失敗するかは分からないけれど、とにかく私は、課された義務の半分を済ませた。

めきめきと音を立て、巨大な足が振り下ろされる。私は大げさに後ろへ飛び、それを回避した。泥飛沫が跳ね上がり、数本の木々が巻き込まれ、宙を舞う。滅茶苦茶だ。こんな相手と、どう戦えというのか。

「遅いんだよ! お前はァッ!」

勇ましく叫び、大きく踏み込む。右へ逸れた一本のツルが、運のない木を真ん中からへし折り、吹っ飛ばした。ふざけた威力だ。左方からもう一本。機体を回転させ、紙一重で回避。再び巨大樹獣の足と肉薄。有効打を与える手段は、まだ思いついていない。

それでも、生きている限りは勇敢に戦わなければならなかった。けたたましい笑いを上げ、やみくもな乱打を足へ打ち込む。ほとんどが弾かれるが、それは計算の内だ。

背後からツルの迫る気配。潰れたモニターはアテにならない。勘に任せ、音だけでタイミングを見計らう。3……2……1……右へ避ける!

パァン! 乾いた音が鳴った。期待したよりも、はるかに小さな音だった。

「……ハハッ、駄目か、これも……!」

私は努めて笑った。後ろからのツルは、頭上をしたたかに引っ叩いた。数個の木片が、パラパラとこぼれ落ちていく。

ツルによるフレンドリー・ファイア。あの威力を見れば、有効かと思えたが……結果はこの程度だ。人がハエを叩けば、当然ハエは潰れる。だが同じ威力で他人を叩いても、潰れることはない。

「何かないか、他に……!」

つい先ほど突き立てたナイフは未だ頭上にあった。悠長に取りに行く時間もないし、手の届く場所でもない。ナイフを使った戦術を選択肢から捨てる。

残りは何がある。ガーデナーの武器は主に3つだ。1つ目は燃料噴出孔を備えた腕を打ち込み、体内に燃料を流し込み、爆破する爆砕拳。これは却下だ。そもそも打撃が表皮を貫通できない。そして仮に打撃を通せたとしても、燃料の問題がある。

樹獣は大半の植物と同じように、根から栄養を吸収することもできる。このとき栄養を運ぶために通るのが、全身に張り巡らされた『導管』だ。爆砕拳はそこに無理やり燃料を流し込むことで、樹獣の全身を可燃物で満たす。後は着火して、内部から破裂させるだけだ。

だが、これほどの巨体であれば、全身を可燃物で満たすには、明らかに量が足りない。仮に機体に搭載された燃料全てを打ち込んでも、全身に回るころには薄まり切ってしまうだろう。それでは爆破など夢のまた夢だ。

2つ目はナパーム弾。これも同じだ。弾数が限られている上に、火力が足りていない。表面を少し焦がして、それで終わりだ。

3つ目の小型ナイフは、そもそも手元にない。あとは奥の手の燃料噴射。ガーデナーの動力である高濃度のオイルを噴射し、火力を補う機能だ。しかしこれも……リスクを度外視しても……圧倒的に火力が足りないのだ。

「……ッハハハ」

……どうあがいても、無理だ。巨大樹獣が再び右足を振り上げる。ツルでの攻撃ではラチが開かないと踏んだのだろう。先ほどよりもコンパクトな所作で、足を打ち下ろした!

ズゥゥゥゥゥゥゥゥン………!!!

ビリビリと空気が震え、地面が揺らぐ。回避には成功した。攻撃は鈍重で、避けるのはそう難しくはない。問題は攻撃に付随する震動だ。姿勢を崩せば、もたつく。ガーデナーも所詮は機械。人間ほど楽に体勢を復帰はできない。その隙と攻撃のタイミングが一致すれば、狩られる。

踏みつけは先ほどよりは衝撃が弱い。だが、私を叩き潰すのに十分な威力は、依然として保っている。私は次に取るべき行動を、頭の中で探ろうとした。だがその瞬間にはすでに、巨大樹獣は左側の足を振り上げていた!

「……ッ!」

左足が打ち下ろされる! 右足が振り上げられる! 絶え間なく起きる震動が、回避運動を容赦なく妨げる! 私はまだまともに動けるうちに、木々の隙間へと逃げ込んだ。だが巨大樹獣は容赦無く、森を蹂躙していく!

震動がますます強まり、回避が困難になっていく。私は逃げた。逃げて、逃げ続け……ついに耐えられなくなり、近場の木に手をついた。

一度体勢を崩してしまえば、あとは脆いものだった。立ち上がるためのタイミングを失ったまま、震動は徐々に近づく。処刑の順番を待つ死刑囚のような気分だった。

「あはは……」

乾いた笑いが漏れる。もう、いいだろう。私は勇敢に戦った。それでも敵わない。だから、仕方がないんだ。

背後の木々は、いつの間にか無くなっていた。丸みを帯びた影が、私の機体を包んでいた。課せられた役目は立派に果たした。だから。

(……もう、終わってもいいよね……?)

ゴォォォォォッ!

突如、前方で火の手が上がった。赤い炎の光が、私を包んでいた影をかき消した。巨大樹獣の足がほんの数メートル先に振り下ろされ、震動で飛び上がりそうな機体を反射的に抑えつける。

「何が……」

着信。切ったはずの通信が、誰かからの連絡を伝えている。私は呆然としたまま、それを受け入れた。

◆ ◆ ◆

「ルチア!」

通信が復活し、モニターに憔悴したルチアの姿が映る。

「お前……」

「無事か! 良かった……」

「何で来たんだよ! 早く逃げ……」

「僕は!」

目を見開き、彼女の言葉を遮る。続く言葉はまだ浮かばない。でも……

「僕は! 僕は……!」

遠くでは、未だに巨大樹獣が暴れまわっている。僕は通りがてらに燃料を噴射し、適当に木々を焼き払った。それがデコイとして機能しているのだ。

ルチアは息を呑んで僕を見ていた。緊張で震える喉奥から、僕は言葉を絞り出す。

「僕は……ニンジャじゃない……!」

「お前……?」

「ニンジャの子孫でもない! ただの人間だ! 卑屈で、夢ばっか大きくて、怖がりっぱなしだ! でも!」

グッと言葉に詰まる。何を言えばいいのか、頭の中に熱が回り、論理的な筋道が浮かばない。でも。それでも……!

「君は! 死のうとなんてするな!」

「!」

ルチアが目を見開いた。やはり予想は当たっていたのだろう。

「死んでほしくないんだ!」

「……黙って聞いてりゃ、勝手な事ばっか言いやがって……!」

「死んでほしくないんだよ、ルチア!」

「うるさいんだよ、お前は!」

ルチアが怒鳴りつけた。僕は怯まなかった。彼女の目をじっと見て、続く言葉を待った。

「何も知らねえくせに! わた、私が、どういう気持ちで今まで……!」

「……!」

「それなのに、お前は! 合理的だったろ!? 囮で死ねば丸く収まるんだよ! お前がダメでも、他の連中だっていんだろ! 自分の役割ってもんを……」

「それでも! 死んでほしくないんだ!」

「何でだよ! 理由を言ってみろ!」

「君に死んでほしく……」

「お前は! 私に何を求めてるんだ!?」

「ただ生きていてほしいんだ!」

「……!?」

ルチアは絶句した。無理もない。でも、この思いを伝える言葉は、それしか頭に浮かばなかった。彼女は、弱いというには強すぎて、親友というには付き合いが浅すぎて、仲間と呼ぶには非道すぎる……かもしれなかった。納得させるための理屈をいくらこねようとしても、僕自身がそれを拒絶した。

それでも。……それでも、伝えたかった。だから、僕は。心の奥底から、湧き上がってくる感情を。洗練も精査も思考もしないままに。

「死んでほしくないんだよ! ……ルチア!

思い切り、叩きつけた。

「……」

ルチアは黙ってしまった。僕は静かにそれを見ていた。あと、どれくらいこうしていられる? モニターを確認しながら、会話の体を保つ。

「……お前」

ルチアがポツリと言った。

「……なんだよ。わかんねえよ。大人なら根拠を出せよ……」

「ごめん。でも、僕は……」

少女はゆっくりと顔を上げた。呆然とした表情のまま、涙だけが溢れていた。息を呑む僕に、嗚咽に歪んだ声で、彼女は言った。

「馬鹿かよ、お前……」

「うん。たぶん、そうなんだ」

「たぶんじゃねえだろ……」

炎の明かりが消え、煙が残る。巨大樹獣は踏み荒らした焼け跡に顔を近づけ、何らかの審美基準を満たしたらしい焼け残りをかじり始める。今なら逃げられるか。デコイをもっとばら撒けば。僕は一瞬そう考え、それを切り捨てた。

拠点に帰還するための装置を使えば、否応無く目立つし、身動きも取れなくなる。十分な距離を稼げなければ、その隙を見逃してくれるとは思えない。そしてそれだけのデコイを作るための燃料など、もう残っていないのだ。……覚悟を決めろ。二人で生きて帰るために。

「ルチア。一緒に戦ってくれ」

「戦う……? 私に戦って欲しいのか……?」

ルチアが目を瞬かせる。その通りだ。だが、違う。彼女を助けたのは、何かをさせるためじゃない。

「違うよ。……君が生きるために戦うんだ」

「どう違うんだよ……?」

「それは……あとで一緒に考えよう」

上手く説明できる気はしなかった。それを彼女に教えるには、まだ時間がいる。

巨大樹獣に損傷はない。当然だ。あの炎は目くらましに過ぎなかったのだから。それでも燃料の消耗は激しく、残量メーターは少ない。ナパームもすでに全弾撃ち尽くしている。絶望的な状況。

「だから、今は。一緒に」

「……ちょっと待て。すぐ終わる……」

ルチアは目を閉じ、深呼吸した。再び目を開けた時には、彼女は戦士の顔に戻っていた。

「それで……どうすんだよ。戦って勝つ気か? 何とかして逃げるのか?」

目の端に涙を残したまま、ルチアはいつもの調子で言った。僕は苦笑いして答えた。

「ひとつだけ……僕に、作戦があるんだ」

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。