サイコロシアン・ルーレット #13
海。青い海。海にいきたい。海にかえりたい。海にはぜんぶがある。
クラークは椅子に自堕落にもたれかかったまま、涎を垂らした。途端に頭痛が襲った。
「ヒィーッ!」
頭が割れるように痛い。頭蓋骨の中をムカデが這い回ってるような不快感。脳を節足が刺し回すチクチクした痛み。跳ね起きた勢いでテーブルに頭を叩きつけ、ダイスが跳ねた。
「……誰ですか、あんなの選んだ馬鹿は」
ミハエルは嘆息したが、選んだのは彼自身である。せっかくのゲームだから、怯えていなければつまらない。そう思って薬を抜いておいたのだが……結果はこれだった。
「アルベルト君、薄いの……あ、死んだんでしたっけか。ははは」
クラークが身悶えする。ラルフはすでにテーブル上の銃を取り上げていた。万が一のことが起きれば全て台無しになる。
「売り物に手を出す売人は二流、って奴ですねぇ。……そちらの誰か、薬持ってません? 薄いの」
(ねえよ、あんなもん)
キムは心中で吐き捨てた。ゴルデルは落胆を隠そうともせずに言った。
「ない。……そのままやってもらうしかあるまい」
「仕方ないですねぇ。クラーク君、そういうわけですので」
ボスの声は彼には届かない。認識が甘かった。そう後悔する余裕すら、今の彼には残っていない。1度だけ。たった1度試すだけ。キツくなったらゴルデル・ファミリーの海賊版でいつでも止められるそうじゃないか。俺だって辛いんだ。ちょっとした気分転換さ。だから1度だけ。その1度だけで、彼の生殺与奪の権利は、全てミハエルの手に渡った。
海。海。青い海。おれがとけていくばしょ。いたい。おれをうけいれてくれるばしょ。だれにもきずつけられないばしょ。かゆい。いたみからすくわれる。わらいごえがきこえる。
クラークの思考は混濁する。過去と未来が倒錯する。景色がぐるぐると回る。彼は頭を覆うように抑え、幼子のような声を上げて泣き始めた。
(……あんな男じゃなかった)
キムは歯噛みした。同じハイスクールの同じクラス。意中の女の子がらみで喧嘩もしたこともあった。それでも翌日には気持ちの良い笑みを向けてきた、そんな男だった。
クラークが売人に堕ちるまでの過程を彼は知らない。それが余計に怒りを生む。人の心を狂わせる薬への怒りを。クアドンの住民を地獄の苦しみに突き落としながらも、他人事のように笑うあの男への怒りを。
(待ってろ。もうじきお前は終わりだ)
キムが義憤を滾らせていたその時、ミハエルが言った。
「クラーク君。薬ですよ」
中毒者の泥濘のような思考を、ミハエルの声が割った。ピタリと泣き声が止み、焦点の合わない目がミハエルを注視した。
「くすり」
「やるべきことをやれば、薬を差し上げますよ」
「くれるのか」
「ことの後、ですけどね。さ、銃を返してやってください」
ラルフは銃とクラークを交互に見た。
「……大丈夫か?」
「ははは、逆らえませんよ。そういう風に出来てますから」
研究者は楽しげに笑った。銃を差し出されると、クラークはそれを引ったくった。
くすり、くすり、くすり。青い海にかえれるくすり。しってる。ずつうはつよくなる。いそいでとめないと。
焦燥。クラークは銃口をこめかみに突きつけ、引き金を引く。カチッ。カチッ。乾いた音。当然何も起こらない。弾が入っていないからだ。
「まずダイスを振るんでしたよね?」
子供をあやすようにミハエルが言った。クラークはダイスを探した。ラルフは床に落ちていたそれを拾ってやった。
「う、うう……!」
ダイスを落とす。碗の外に涎が垂れる。『2』。弾丸を込める。
くすり。はやくおわらせないと。
震える手で銃口を頭に。引き金を引けば薬が貰える。
ひきがねをひけばくすりがもらえるんだ。
クラークは安堵した。そして引き金を引いた。
カチッ……
乾いた音が鳴った。カチッ。カチッ。続けて2度。3度。
「終わりましたよ」
ミハエルが言った。その声は、クラークの耳にはまるで聞こえなかった。
だってくすりがでてこない。
彼は4度引き金を引いた。
ガァン!
「……はぁ。失敗でしたねぇ」
馬鹿なクズだ。ミハエルは吐き捨てる。床に転がったゴミには目を向けようともしない。彼はゴルデルに笑いかけ、尋ねた。
「これ、どうします? 勝敗」
「そちらの勝ち、でいいだろう」
「締まりませんねえ」
「過程はどうあれ、奴はやった。そこは弁えねばならん」
「ははは」
ゴルデルは目を伏せ、ミハエルは苦笑した。ラルフは銃を回収し、哀れな男の見開かれた目を閉じてやった。
それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。