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サイコロシアン・ルーレット #14
「ラルフさん、何か一言!」
「一警察官として、あなたが裏切った人たちに何かありませんか!」
「合衆国市民が見ているんですよ!」
「ラルフさん! 謝罪の言葉は!」
「ラルフさん!」
詰問とフラッシュの洪水に、ラルフは何も答えない。ただ黙ってその場を立ち去る。カーテンの奥、署内の同僚はこの不器用な男の今後を祈った。誰かが手を汚さなければならなかった。それだけだからだ。
正義には2つの線がある。1つは法。明文化され、極めて理解しやすい。もう1つは情。暗黙のうちに引かれ、形となって見えることはない。彼が踏み越えたのは前者であり、守ろうとしたのは後者だった。懲戒免職は法が与えて然るべき罰だ。彼はそう考えていた。
通りすがりの罵詈雑言を浴びながら、ラルフは故郷に、クアドンに帰っていった。他の行き先は思いつかなかった。誰とも会わぬまま、懐かしい帰り路を行き、背が伸びるたびに刻んだ傷の残る古木の隣を曲がり、実家の前に差し掛かる。何かが落ちているのが見える。拾い上げると、それはアルバムだった。どの思い出からも、彼の顔だけが切り取られていた。
「これは……」
視線。見上げる。2階の彼の部屋の窓、赤い目をした母親と目が合う。窓が閉ざされる。ラルフはゆっくりと踵を返した。よくよく周りを見ると、同じような目がいくつもの窓から向けられていた。帰る場所はなくなった。行く場所もどこにもなかった。
◆ ◆ ◆
「で、変えられたのか?」
野良犬のように歩き回ること8時間。気づけば彼は旧友の……正確にはその親父の自宅で夕飯をご馳走されていた。憧れだった暖色のシャンデリアの光は、今の彼には居心地が悪かった。
「いや、何も変えられなかった」
「だが、やるべきことをやったんだろ?」
「……ああ」
ラルフは水を飲む。ゴルデルはニンマリと笑った。よく笑う男だ。唇を湿らせると、ラルフは語り始めた。
「……悪党ほど法を活用できる奴はいない。アンタは昔、そう言ったな。本当だったよ」
「……」
「奴らは法を犯さなかった。誰かの体を借りて犯罪をやり続けた。つながりの証拠なんてなかった。少なくとも、手が届くところには。だから」
「違法捜査か」
「ああ。……仇は討ったさ」
それからラルフは、己の罪を静かに述懐した。それはギャングの親玉に話すにはあまりに似つかわしくない話題だった。けれども彼は友人であるヴィーコの義父であり、今のラルフに残された、ただ1人の目上の男であり、そして唯一の相談相手だった。
彼はラルフを肯定も否定もしなかった。目を見て話を聞き、ときおり頷いて見せる、それだけだった。それだけでラルフは、積み重なっていた感情が整理されていくのを感じていた。
「……これからどうする?」
ゴルデルは問いかける。互いの皿の上は空っぽだ。お手伝いさんが淹れてくれたコーヒーから湯気が立っている。
「分からない。でもほとぼりが冷めたら、どこかで働き口を探すさ」
「何をするんだ?」
「決まってない。スーパーのレジだとか、車を磨いたりだとか。選ばなければ仕事はあるさ」
ラルフは自嘲げに言った。
「ホントは選びたいんだろ?」
「……俺にその資格はないさ」
「なら俺が選んでやる」
ゴルデルは手の指を組み、ずいと身を乗り出した。
「ウチに来い、ラルフ」
思いがけぬ言葉に、ラルフは目を見張った。ゴルデルの顔は真剣そのものだった。乾いた笑いが口をついて出た。
「……本物の犯罪者になれって? 法を踏みにじれと?」
「それでも守りたいものがあったんだろ?」
「……」
ラルフは押し黙った。言い返す言葉は思い浮かばなかった。
「なあラルフ。この町には網が必要なんだ。法の網の目をくぐり抜けた悪を絡めとる、もう一つの網がな。だから俺は親父の後を継いだ」
「アンタ……」
「外に網を張るには、法の網から抜け出さなけりゃいかん……そういうことさ。ウチに来い、ラルフ。お前の正義が必要なんだ」
ゴルデルは手を差し伸べた。……ラルフは即答しなかった。それから3日ほど彼から借りた部屋で悩み続けた。そして最終的にファミリーへ入ることを決めた。それが彼らの出会いだった。
彼はゴルデルを、親父を信じていた。親父の語る正義を信じていた。一般的に悪と呼ばれる行いにも、彼は喜んで従事した。そこには町を守るものとしての誇りすらあった。……それが変わったのは、いつ頃だっただろう?
ファミリーの庇護の下、初めて人の命を奪った頃から? 町で偶然出会った母から罵声を浴びせられた頃から? ドレッドの兄を衰弱させ、死なせてしまった頃から? ……正義のためとはいえ、忌むべきドラッグをファミリーが扱い始めた頃から?
「なあ、ヴィーコ。お前は親父を信じられるか?」
いつの日か、彼は親友にそう尋ねたことがある。その時は間が悪く、答えは得られなかったが、つい先ほど得られた。だが彼はヴィーコのように一途に親父を信じ続けることは出来なかった。だから彼のことを調べはじめた。町に張り巡らされた陰謀の糸をたどり、ただ一つの真実を追った。
そしてたどり着いた。けれどもそれは、あらゆる意味で遅すぎた。
◆◆◆
ラルフはほとんど無造作にダイスを放った。カラカラと冴えない音が鳴る。人生を締め括るには味気のない品だ。出目は『5』。
見守るキムとアイシャは息を呑む。対照に、ラルフは安堵していた。彼にとっては『6』の次に良い出目だったからだ。
「最悪一歩手前ですか。ま、ほぼ確実に死ぬでしょうけど」
ミハエルが言った。ラルフは笑顔で答えた。
「そうだな。じゃあ言い遺す時間をくれないか」
「あまり長いのは困りますよ」
慈悲を掛ける快感に口元を歪め、ミハエルは許可した。ラルフは振り返った。
「さて……なあキム」
「……はい」
キムは突然の指名に驚きながらも答えた。
「俺はな、お前に期待してるんだ。お前の真っ直ぐさに。だから、ファミリーの……いや、この町のあとのことは頼んだ」
「いいえ」
「何?」
ラルフは意外な返答に目を丸くした。キムは真っ直ぐに彼を見て、唇を震わせながら言った。
「生き残ってください、ラルフの兄貴」
「はは……もしもの話さ。生き残ったら笑い話にでもしてくれ。で、次。アイシャ。お前はな、もう少し優しさを見せろ」
「もう見せてます」
そっけない言葉にラルフは苦笑する。すっかりファミリーに馴染んだ彼女だが、こういうところはまだ子供で、それが心残りだ。
「もっと分かりやすく頼む。大丈夫。今のお前ならできるさ」
「はい」
「そして……親父」
「……」
義理の親子は少しの間、無言のうちに向かい合った。ラルフはゆっくりと、最低限の言葉で告げた。
「残念だ。……アンタの下でもっと働いていたかった」
「……ああ」
ゴルデルは目を伏せた。ラルフの理性は、話をそこで終わらせるべきだと結論付けていた。だが道に迷ったあの日のように、気づけば彼は続きを口に出していた。
「もう俺もいい歳だけどさ。良い娘を見つけたんだ。その娘との子も……その子自身が望むなら……ファミリーに入れてさ。一緒に網の目の外を守る、そんな親子になってみたかった」
「そうか……どんな娘だ?」
「内緒だ。正式に紹介したかったからな。けど……そうだな。荒事の似合わない、優しい子だよ」
「お似合いの相手だな」
「ありがとう。……じゃあ、そろそろ始めるよ。そっちの兄さんも待ちくたびれる頃だしな」
ニヤリと笑い、振り返る。銃弾を込める手つきに迷いはない。俺は俺の信じるもののために、この命を使う。悔いは……ない。銃口をこめかみに当て、引き金を引いた。
ガァン!
弾丸が吐き出され、ラルフのこめかみを貫いた。誇りと祈りを遺し、彼の命は散った。
それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。