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サイコロシアン・ルーレット #19(完)

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なるほど、こういう手段に出たか。ゴルデルは黙想する。この場はあくまで手打ちのための非武装地帯。ミハエル自身が拳銃を持ち込めば、それは徹底抗戦の意思表示となり、抗争は収まらないのだ。ゆえにあの女を介した。

だが……何故だ。ゴルデルには理由が分からない。欲に駆られたか? 信用を失ったか? 確実なのは彼が敵になったことだけだ。ならば、始末せねばなるまい。

だが、あの二丁目の拳銃にはゴルデルの細工は行き届いていない。拳銃を検めさせるか? 否、奴もこちらの銃の細工は知っている。無駄に首を絞めるだけだろう。遠隔操作により彼を屠る……実行予定の皆無だった計画は、既に破綻した。少なくともこの場で、あの若造に落とし前をつけさせるのは不可能だ。

面倒な。ゴルデルは臍を噛む。キムというカードを切るのは、予定よりだいぶん早くなりそうだ。この場で生殺与奪の権利を握るのは、あの小さなダイスだ。あれもミハエルの用意した品であり、操作は行き届かない。にも関わらず、老練の男は不敵な笑みを崩さなかった。

(小僧。ギャングの用意した選択肢に『勝利』などあると思うなよ)

「さあ、そろそろ始めましょうか。何か言い遺すことがあるなら聞きますが?」

ミハエルが勝ち誇るように言った。ゴルデルは鼻で笑う。

「いや、遠慮しておこう。それはむしろお前さんに必要なことだろう」

「私は死にませんよ。死ぬのはあなたです」

「拳銃は同時。ならダイスはどちらが先に振る?」

ゴルデルは取り合わなかった。ミハエルは唇を噛む。裏切り者。対等と言いながら、僕を下に見ていた男。この男に舐められるのは我慢ならない。

「……では、私から。構いませんね?」

ゴルデルは無言で頷く。ダイスの破壊は選択肢にはない。そんなことをすれば、今までのゲームに不正があったことを暗に認めることになるし、何より無意味だ。この場で動かせる駒はキムとアイシャの2つだけだが、それも動かす必要はない。ミハエルは静かにダイスを滑らせる。『3』。予定通りの出目だ。ゴルデルがその後に続く。『6』。なるほど、こうなるだろう。

「ああっ!」

キムが思わず呻いた。アイシャは固唾を呑んで見守る。聞こえこそしないが、中継の向こうの構成員たちもまたどよめいた。

「はは……残念ですねぇ、タリエイ・ゴルデル。こんなところでお終いですか」

「……」

ミハエルはニタニタと笑った。さあ、お前の首を掴んだぞ。命乞いでもしてみせろ……とでも言いたいのだろう。こういう手合いに最も効果的なのは、意に介さないことだ。

「よもや、待ったとは言いませんね?」

「ああ。さて、弾を込めようか」

「……!」

ゴルデルはゆっくりとケースに手を伸ばし、開く。指先でわずかにフタの角度を変える。これは微調整だ。

先の落下から拾い上げる時、ゴルデルはケースの中がカメラに映らぬよう、角度から逆算して位置を決めた。ゆえにこうしてイカサマができる。

黒いスポンジに埋め込まれた弾丸、そのうちの1つを指先で押す。すると秘密の機構が働き、弾丸が下へ沈み込み、もう1つの弾丸が入れ替わりに現れた。入れ替わりの瞬間は手の甲に遮られ、誰の目にも映らない。ゴルデルはそれを何食わぬ顔でシリンダーに装填し、他の5つは普通の弾丸で埋めた。

中に仕込まれていたのは、不発弾。安っぽい奇跡を演出するための仕掛けである。ファミリーには代々こういう小道具が伝わっているが、その存在を知るのは当代のボスと、僅かな、ラルフのような最側近のみだ。最初から彼はこういう可能性を考慮していた。ゆえに準備をしておいたのだ。

「さ、お前さんの番だぜ」

ゴルデルは堂々とケースを押し、ミハエルに渡した。若造は舌打ちしながら弾を込めていく。3発。互いにシリンダーを回す。ゴルデルの拳銃は不発弾の地点で止まる。ミハエルはこめかみに拳銃を突きつける。

「それでは、さよならといきましょうか。哀れなご老人」

「ふ……」

ゴルデルは冷笑する。

「いいか若いの。人生は最期の瞬間まで、何が起こるか分からんもんだ」

「ほう、感動的ですね。散って行ったあなたのお子様たちにも聞かせてあげたいほどですよ」

「ああ、お前さんがあの世に行ったら、言伝よろしく頼むぜ」

不敵な笑み。冷笑。挑発。その全てが茶番。真摯な狂気を演出するための茶番に過ぎないのだ。生死を分かつ引き金に力を込める瞬間、ミハエルはゴルデル亡き後のファミリーをいかに制圧するかを、ゴルデルはミハエルを如何に始末するかを腹の底で算段していた。

そして二者は、同時に引き金を引いた。





  ガァン!

ガァン!  






「あっ……」

アイシャがぽかんと口を開けた。彼女の目の前で、鉛玉は父のこめかみを貫通し、半透明の赤い尾を引いて壁へ向かっていく。覚悟はしていた。そのつもりだった。だがそれは、あまりに受け入れづらい光景だった。

「えっ……?」

一方、キムもまた驚愕していた。憎き悪鬼の脳天を、鉛玉がぶち抜いた。夢にまで見た光景だった。だが、計画は破綻したはず。それを見られるのはもう少し先のはず。

彼らの困惑を待たず、二者の体は衝撃と重力に従い、床へと叩きつけられた。左右に傾いた頭から赤いドロドロとした液体が、倒れた水差しのように溢れ出し、絨毯に染み込んでいく。見開かれた目。即死だ。

「親父さん!」

「親父!」

だが2人は真っ先にゴルデルの元へと駆け寄った。体を揺さぶる。無意味であることは分かりきっている。それでも。この現実が現実でないと証明してほしかった。

「何があったんです!?」

黒服のドレッドが思わずドアを開け、中へと踏み込んだ。ドアの影から恐る恐る覗き込んだタグチも、その光景を見た。彼は息を呑んだ。思わず言葉が口に出ていた。

「死んでる……! 2人とも、死んでる!」

廊下のシンシアはそれを聞いた途端、膝から崩れ落ちた。動揺と混乱の声が会合の間から漏れ聞こえてきたが、彼女の耳には届かなかった。壁に背中を預け、放心したように口を開ける。終わった。何もかもが、終わったのだ。

(ああ、分かってる。成功にせよ、失敗にせよ。そこで俺は終わりだ)

歳の離れた恋人。ラルフの言葉を彼女は追想する。影も映さぬ暗闇の中。防弾曇りガラスに囲まれた狭い車内だけが、彼らが感情を表せる唯一の場所だった。決意を秘めた瞳が真っ直ぐに彼女を見つめる。愛した男の瞳が。止められるはずもない。

(親父はファミリーを、いや、クアドンを裏切った。2人のどちらが生きていても、この町はドラッグから解放されない)

ラルフは調査の果てに真実にたどり着いていた。無論、彼はミハエルとゴルデルの立てた計画の仔細は知らない。だが彼らの水面下の協力関係を考えれば、『ブルーオーシャン』の製法を握るミハエルを、ゴルデルが殺すはずがないことは明白だった。ならば、この狂ったゲームの本当の狙いはどこにある? 2人に共通する利益は? 彼はおぼろげな推測を行った。そして結論に基づき、行動を決定した。

(だから……?)

(2人とも殺す。……奴ら自身の計画を利用して)

ミハエルの計画を利用し、ゴルデルを討つ。ゴルデルの計画を利用し、ミハエルを討つ。彼らは緻密な計画を立てていた。だがそれは同時に、自らの行動を記した台本を作るようなものだ。それはラルフにとっては絶好の、そして最期の好機だった。

彼はまず、正体を伏せてミハエルに接触した。そして彼に録音した暗殺計画を聞かせ、不信感を煽った。情報の対価は『ブルーオーシャン』海賊版の製法。ファミリーの誰かがボスを裏切り、空いた椅子に座る……そういう実態のない、しかし分かりやすいシナリオを作り上げたのだ。

ミハエルは言動の裏を疑う力に欠けていた。だから姿を隠した協力者の真意を理解できず、まんまとシナリオを信じ込んでしまった。海賊版で利益を上げるには、本物が存在しなければ不可能だ。だからこの協力者は僕を害せない。彼はそう考え、取引に応じた。ラルフは会話の端々から推測の裏付けを取りつつ、細工した拳銃も提供してやった。

これは表向きはファミリーと同じ細工が施してあるが、遠隔スイッチ1つで停止点が逆になる品だ。ラルフは当然ながら、計画通りに進めばスイッチを押せない。その役目はシンシアが請け負った。恋人を危険な立場に立たせたくは無かったが、彼女はどうしてもと言って聞かなかった。

せめて結末を見届けたかったからだ。……とはいえ廊下でばったりと出くわした時は懸命に他人のフリをしたし、同僚に彼との繋がりを疑われないために会ったこともない、そして彼らがおいそれと真偽を確かめられない、危険な男の名まで出したのだが。

次にラルフは、ゴルデルがあの状況下で取りえる策を吟味し、いくつかの布石を打った。ケースの細工もその一つだ。安直なすり替え。ケースの下の銃弾を、不発弾から通常の弾丸へすり替える。欲を掻けば、彼は不発弾により自身が生き残る策を講じることもできただろう。だが彼はそうしなかった。当然、ゴルデルに油断させるためだ。

ゴルデルは当然、この土壇場でラルフが裏切る可能性を考慮していた。だが彼が行動を起こすことはなかった。ならば何か細工を? だが銃やケースに細工を加えるなら、ラルフ自身が生き残り、尚且つゴルデルを討つ、そういう策を取るはず。ラルフの死と同時に、彼は警戒を解いた。

自身とその命だけが絶対であるゴルデルには……家族を守るために死んだ息子を嘲笑う親父には……自らの命を捨ててまで敵の警戒を緩めさせる、そんな策を取る心理を、完全に理解することは出来なかったのだ。

計画は上手く行った。クアドンがブルーオーシャンへの依存から解放されるには時間が掛かるだろう。それでも町を裏から支配した狂人たちは討たれた。

ゴルデルの本当の顔を知るものは、もう彼女以外に残っていない。そして彼女は当然、それを伝えるつもりはない。ファミリーは志半ばで死した親父の後を継ぎ、ドラッグのないクアドンを取り戻すために奮闘するのだろう。キムが生き残ってくれるかどうかを、ラルフはしきりに気にしていた。この結末は、彼にとっては満足がいくものなのだろう。

(でも、そこに何の意味があるっていうの?)

シンシアはドレスの裾を握った。計画は上手く行った。ラルフは本懐を果たしたのだ。だがその代償として、彼は命を失った。

(あなたはそれで良かったでしょうね。正義を為せたんだもの。でも私はどうなるの? 私はもう2度とあなたには会えないのに。あなたが守ろうとした正義なんて、2人で静かに暮らす未来に比べれば何の価値もないって、そう思ってるのに)

それが自分の価値観だとは分かっている。止めても聞かなかっただろうことも分かっている。けれども彼女は嘆かずにはいられなかった。合理や必然、ましてやラルフのように、正義などという言葉に納得することはできなかった。

目の端からこぼれた涙が顎を伝い、ドレスに落ちる。喪服めいた黒は、染み痕すら滲ませることはない。喧騒の声を背中越しに、さざ波の音のように聞きながら、彼女は小さな声で述懐した。

「さよなら、ラルフ。さよなら、私の愛した……狂った人」


【サイコロシアン・ルーレット】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。