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受容される悪役、拒絶される悪役

物語に不可欠な登場人物とは誰だろうか。主人公、ヒロイン、親友。その他諸々あるだろうが、その誰もがいなくても物語は成立する。常に三人称で進む群像劇や、ヒロイン不在のむさ苦……硬派な物語、孤独な主人公の苦悩を書いた内省的な物語などなど。案外なんとかなるものだ。

では、物語に不可欠な登場人物とは? ……それは悪役である。彼らは物語になくてはならない変化を持ち込む。何も変化しない物語をあなたは想像できるだろうか? おそらくそれは難しいだろう。それはひどく退屈で、面白みがなく、記憶に残らないようなものだから。

悪役は重要な存在であり、物語の立役者である。しかし彼らは読者に愛される存在ではない。登場のたびに罵倒され、毛嫌いされ、打ち倒される日を望まれる。これは悪役が悪役として機能している証左であり、いわば舞台に投げ込まれるおひねりのようなものだ。だが……

その一方で、救いようもない悪党でありながら、読者に愛される悪役というものも存在する。彼らは悪の魅力とでも言うべきものを持っている。それは彼らにしか持ちえないものであり、ゆえに鮮烈に読者を惹きつけるのだ。

愛される悪役。愛されない悪役。これはなぜ分かれるのだろうか? どこが彼らを、受容と拒絶のラインで切り分けるのだろうか。今回はそのことについて考えてみたいと思う。

悪役の種類

あらゆる物語の悪役は、その役柄によって、さらに二つに分けることができる。悪事を行う役悪を表す役だ。前者は文字通り、悪事を行うことで物語に変化をもたらさせる役柄。後者はその逆で、彼らの存在そのもので悪を表す役柄だ。

前者から見ていこう。悪事を行う役は、必ずしも悪人である必要はない。彼らが行うことが悪いと言い切れる必要もない。例えば嫉妬に駆られ、善人に濡れ衣を着せるような行いは明確な悪事である。

だが、嫉妬に駆られる様子、苦悩する様子がしっかりと描かれていれば、どうだろうか。彼らに同情し、その悪事を非難する者(主に物語の主人公)たちに『確かに悪い奴だけど、そこまで言わなくてもいいじゃないか!』と言いたくはならないだろうか。

一方、後者である悪を表す役は悪人でなければならない。その行いも悪いと言い切れなくてはならない。彼らは善人に濡れ衣を着せるが、それは財産を奪いたかったから、面白そうだからと言った、ひどく単純な理由である。だが彼らにはそれで十分なのだ。

我慢など犬に食わせてしまえ。自分がしたいと思ったから、そうする。単純であり、それゆえに凄まじいエネルギーを持つ。それがこのタイプの悪役の最大の特徴であり、最大の魅力でもある。誰しも我慢などしたくはない。彼らの悪事は、見る人と起こる状況によっては痛快ですらあるのだ。

受容と拒絶

両者は違ったタイプの魅力を持つ。だが、彼らが愛されるか愛されないかを分けるのは、そこではない。タイプによる、つまり前者なら『言い訳がましい』『倒してスッキリできない』、後者なら『自己中過ぎる』『ただのクズだろ』と言った拒絶。それを潜り抜けた先にある個人としての魅力が、読者の愛着を勝ち取れるかどうかの明暗を分けるのだ。

受容される悪役にもっとも大事なのは、筋を通すことだ。どちらとも半端であってはならない。悪事を行う役が葛藤を捨ててはならないし、悪を表す役が同情を買おうとしてはならない。それは彼らの独自の魅力を薄めてしまう。中途半端な悪党など、現実世界にいくらでも転がっているのだ。

擁護の余地のない非道行為を働いていた悪役が、あっさり許されて心変わりし、正義の味方として活躍する。人気のある悪役にありがちなパターンではあるが、集めていた人気を失いがちなパターンでもある。悪を表す役から、悪事を行う役へと変わってしまっているからだ。

こういう改心を行わせるのならば、実は悪事を行う役であると読者に暗喩しておかなければならない。一度悪を表す役として印象を持たれてしまえば、それを覆すのは容易ではない。後付けの悲劇で覆そうとしても『でもコイツ悪い奴でしょ?』と言われてしまうのが関の山だ。

しかし誰彼構わずにそういう暗喩を仕込んでしまえば、悪を表す役としての魅力は失われてしまう。読者が求めているのは、我慢でも倫理でも葛藤でもない。欲望であり、エゴであり、それを貫き通すパワーだ。それを鈍らせてはならない。この二つの魅力は、決して両立し得ないのだ。

まとめ

悪役を上手に扱えば、物語は大きく深みを増す。一方で扱いを間違えれば、読者がモヤモヤとしたものを抱えながら物語が終わってしまう。

結局一番重要なのは、一人一人の登場人物を大切に扱うことだ。善への心変わりをさせるなら、その心情をしっかりと描き切ること。悪として信念を貫くのなら、確固として貫き通すこと。

読者が愛するのは悪役という記号でも、彼らが行う悪事でもない。己の意思を貫き、懸命に生きる人間の姿なのだ。

(おしまい)

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