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スキマ時間に大事なことをやるべきではない

近ごろ割と活力的で、やりたい事とか先のことについて色々考えるようになった。

やりたい事たくさんあるのは悪くない、わくわくする。ただあまりにもやりたい事と、その結果を急ぎすぎて小さな物事一つ一つを低く見積もってしまっていた。それってよくないよねって話。


日常的に思ったことをメモしまくった結果、メモの山が出来上がっている。それを見返しては割と面白いこと考えてるななんて自画自賛しながら、それを少し詳しく文書にして発信するのも面白いんじゃないかなんて考えていた。前回の記事が一本目だね。

気になるメモの写真を2、3枚撮っておいてそれについてお風呂に浸かってる時とか仕事のあいまに..とか要は“スキマ時間”にまとめるつもりだった。


でもこれよくないね。

時間を無駄にしない!とかタイムパフォーマンス!とか効率的に動いてる!おれ!!みたいなの割と嫌いじゃないけどそういう問題じゃないんだ。

実際問題、風呂入ってる時にちょっとしたアイディアをメモるくらいのはいいとして、ガッツリ文書書いてたらゆっくり休むこともできないし、のぼせる前に書こうと雑な記事になる気がする。

ただ何より“スキマ時間でできる程度の事”と自分に言い聞かせているようでよろしくない。


せっかちなのか、自分の書いた記事が積み上がった様子様子を眺めたいのか...物事そう簡単には進まないし適当にやったものはしっかり作り上げたものの足元にも及ばない。見かけ上多く見えても薄っぺらじゃ読んだ人があたりにもがっかりする。


今の時代にに文字ベースの媒体というシビアな媒体で発信する意味をたまに考える。

僕が中学生くらいの時にはブログに有意義な情報がたくさんあった。そんな昔じゃないと思ったけど10年も前になるのか...ハハ..

何かを作ってみた人とかやり方を載せてる人がたくさんいた。マニアな知識の辞典みたいなブログがよく出てきた。

ところが今ではブラウザで文字ベースの情報を見つけようとすると誰かのレビューや苦悩の形跡はなく、「使いやすいiPhoneケース23選」みたいな何も選りすぐってない検索結果をそのまま載せるだけの閲覧数稼ぎのサイトしか出てこない。

何かのHow toを調べるときはyoutubeで調べる。ブログは誰にも見られないから誰も書かない。道具の使い方分からなかったらメーカーか説明書に聞けばいい。

そんな中で熱意のある人間だけが動画制作というめっちゃめんどくさいハードルを、超えて動画をアップロードしてくれている。

再生回数とか一攫千金というより、こんなモノを買った!よく使える!いいよね!こんな時うまくいかなかった。こうしたらよくできるよ!

写真と文字に比べると動画を撮って取り込んで編集してテロップつけてアップロードして...一つ一つが重いけれどやってくれる。

ありがたいね

うまくいかないときの解決策や失敗、同志を探す時はTwitter(新X)を使う。

最近の情報や同じ困り事、サーバー落ちみたいな不具合情報が欲しい時はよくTwitterを見るよね。

ただ最近は閲覧数と収益化のおかげでタダでさえ嘘の多かったTwitterがより混沌と化している。閲覧数のためにあえて間違ったことを発信したり人を刺激して炎上してみたりしている。


ちょっとした事だと自分のやることを低く見積もりすぎるのもいけないよって話がここまで発展した。これはお風呂に入りながらだったら書けなかった長さだ。


231024のメモ


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