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被害者になる戦略 あるジャニーズ事務所被害者の思惑


はじめに

 精神的優位に立った被害者からのパワハラ状態──これが根本原因でした。
 当記事は、「社会運動がつくりだした被害者たち 原発事故から宗教、J事務所まで」の文末で触れた「筆者の実体験や、ある広告代理店社員が語ったジャニー喜多川からの被害」をもとに、被害者が優位に立つとは何か、被害者になりたい人々とは何かを考えます。

ジャニーズ事務所の思い出

1.一般人を含めた構造的問題

──まずジャニーズ問題を整理する。

 ジャニー喜多川の性的虐待疑惑が週刊文春で報じられたのは1999年だった。ジャニーが名誉毀損で文春を訴えた裁判は、2004年の最高裁の上告棄却をもって性的虐待が認定されたまま終了した。
 なぜメディアや企業は、この判決を無視するかのようにジャニーズ事務所のタレントを出演させたり広告のアイキャッチに使用し続けたのかと問われている。理由ははっきりしている。ジャニーズ事務所のタレントが、他にはない魅力に満ちていたからだ。
 テレビなどに出演させれば視聴率があがり、雑誌に掲載すれば販売部数が伸びる。同時に、日本中の隅々まで顔と名前が知れ渡っていたとも言え、故に広告に使用する価値があった。不祥事がないとはいわないが、事務所の管理が行き届きスキャンダルに巻き込まれにくい。これだけ必要とされていたから、スキャンダルの種火は延焼するまえに皆が消してくれた。
 またジャニー喜多川は刑事罰を受けていない。さらに2000年代は、相手が少年であっても男性への性的虐待が軽く見られていた。いまジャニーズ事務所を痛烈に批判し、返す刀で性的虐待を見過ごしていたメディアを批判する人々も、大きな抗議活動を起こすことなく、せいぜいひそひそと噂話をするくらいだったはずだ。
 では、実例をあげてみよう。
 ジャニーズ事務所批判といえば、過剰な肖像権意識からドラマ公式サイトや雑誌紹介サイトでタレントがグレーや黒に塗りつぶされることを揶揄するものだった。また幾人かのタレントが事件や事故を起こして批判されてもいる。だが、これらを批判するのと同じ熱量で、ジャニー喜多川の性的虐待問題を問う者はいなかった。たとえば、2011年に韓流人気を誇張しているとしてフジテレビ抗議デモが行われたが、ジャニーズ事務所を批判する同規模の行動はなかった。
 これは嫌味や当て擦りで言っているのではない。ジャニーズ事務所の性的虐待問題は同事務所とマスメディアだけでなく、一般人を含めた構造的問題だったことを指摘したまでだ。
 私がメリー喜多川に会ったのは、ジャニーズ事務所の特殊性に少なくない数の人々が気付きつつも、事務所やタレントを世間話で冷やかすくらいだった1990年代のことだった。

2.メリー喜多川への挨拶

──仏頂面だった初対面のメリー喜多川が、私の声質について話をはじめたとき正直ほっとした。しかし、私はできることならジャニーズ事務所とかかわりを持ちたくないと思った。芸能界の特殊性だけでは説明できない露骨なまでの強者と弱者の関係に、若かった私は萎縮していた。

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