世界の転覆と一発逆転を夢見た人々
──なぜ仲間を集めようとデマを流すのか。現実と日常に帰りたくない人がいて混乱をよろこび、いつまでも続けと夢を見ている。それはAERA 『放射能がくる』からはじまっていたのかもしれない。
著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ
コロナ禍に2種類の騒動があった
ただごとではない20ヶ月だった。そしてまだ進行中だ。
新型コロナ肺炎への不安が人々の日常を覆い始めたのは2020年1月20日あたりだった。マスク不足、ダイヤモンド・プリンセス号、北海道の危機と続き、志村けん氏が亡くなった3月末に深刻な現実を突きつけられたと言ってよいだろう。
感染を恐れる人が焦り、困惑し、今までに例のない経験や騒ぎがあった。マスクの買い漁りと買い占めへの怒り、県外ナンバーへの嫌がらせ、マスクをしない人たちとのトラブルなど誰もがいずれかの当事者だったことだろう。これが1種類めの騒動だ。
2種類めの騒動は、コロナ禍に世界が転覆する兆候を感じ、ここに一発逆転の夢を見た人々が起こしたできごとの数々だ。
10年前の夢よもう一度
2020年3月13日、朝日新聞の編集委員を務める小滝ちひろは「新型コロナウイルスは痛快な存在」とTwitterで発言した。以下に全文を引用する。
“あっという間に世界中を席巻し、戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない。”
これは朝日新聞の[五輪景気への期待、「延期」発言で吹っ飛ぶ 世界株安]という記事を紹介するうえでの発言だった。
アメリカの大統領が恐れ慄いているとすれば背景にあるものはアメリカ社会の混乱であるし、こうした混乱を引き起こす新型コロナ肺炎が小滝ちひろにとっては「痛快」なのだろう。また単なる反米意識だけでなく、オリンピック景気への期待が頓挫して株安になった記事を紹介しているのだから日本を含む世界の混乱が「痛快」なのが透けて見える発言だった。
小滝ちひろにコロナ禍収束を願う気配がなく、「痛快」と言うくらいだから混乱がさらに拡大することを期待しているとしか思えない。社会が転覆した後の荒廃した世界を彼が望んでいるとしたら異常者でしかないので、「戦争がはじまれば世界も自分も変わることができる」というのに似た願望を抱いているのではないか。政治と社会への影響力を再び手にする期待感だ。
2020年7月に国民主権党として東京都知事選に立候補した平塚正幸も、YouTubeで布マスクづくり講座をしていた迷走状態からコロナ禍の混乱にチャンスを夢見て反マスク、反自粛を主張した。だから彼は社会が混乱する度合いを更に高めなければならず、一発逆転のためにはコロナ禍の収束だけは先送りしたかった。自分に相応しいと考える社会的地位と富を手に入れるために。
こうした転覆と逆転への願望は、10年前の夢よもう一度だったのではないだろうか。
2011年からの10年を復習する
東日本大震災は地震と津波の被害だけでなく原発事故が未曾有の社会的混乱を引き起こした。
このとき社会の転覆と一発逆転を待望する者が無数に登場し、反原発運動や他の社会運動を牽引する原動力となったことが運動の行く末を決定した。これは運動にとっても国民にとっても大きな不幸を招き、混乱が再生産され続けた10年間だったと言える。
反原発を掲げて被曝デマを拡散し続けたり、不安を覚えた人をそそのかして自主避難を勧めた人々がいた。筆者はこうした人々と民事、刑事で対峙せざるをえなくなった結果、彼らが混乱を喜び、こうした時代がいつまでも続くことを望んでいるのを知った。社会的地位や家庭内の問題、経済的な苦労といった鬱憤を晴らすにとどまらず人生の逆転劇を夢見ていた。
社会の混乱に拍車をかけた報道機関もあった。朝日新聞社のAERA 2011年3月28日号で『放射能がくる』と煽ったとき、その後の世論の方向性はほぼ決定づけられたと言ってよい。また被曝、鼻血といったデマから誤った印象を拡めた代表格は当社新聞朝刊連載『プロメテウスの罠』だった。
『プロメテウスの罠』で記者たちは言い古された危険神話をなぞるように取材し、恣意的な結論ありきの観察をし、インタビューで実際に言っていないことを「こう思うようになった」と書いた。このうち「プロメテウスの罠 / 官邸の五日間」で東電が全面撤退をしようとしていたと報じ、後に「吉田調書問題」で捏造が発覚して記事の取り消しとおわびの掲載に至った。しかし、訂正されたのはこれだけだった。
デマは風評として定着し、全面撤退説も反響を呼び、原発の全停止は朝日新聞にとっても反原発派ならびに反原発を掲げたやっかいな人々にとっても成功体験となった。ここから反差別運動やSEALDsなどの現象が発生し世相に影響するほどの高揚状態をつくり出したがいずれも混乱や自己融解を経て曖昧なまま衰退した。
その後、真実か否かより都合がよいか否かを重視する報道機関とノイジーマイノリティーが残った。コロナ禍で2種類めの騒動の底流をかたちづくる者たちだ。
ワクチンへの不安を煽る報道
日本でワクチン接種が期待されはじめた2021年1月、ワクチンへの不安を煽る報道が急増し加速した。
ことに1月20日のデイリー新調、オリコンニュース、21日のAERA、23日のNEWSポストセブンと連続した様子は異様だった。2月になり医療関係者への接種がはじまると、相変わらずワクチンの危険性を説く報道が続き、SNSには看護師など医療関係者を名乗りデマを流すアカウントが続々と登場した。
ワクチンへの不安をしつこく煽る報道に、筆者は1960年代にはじまるワクチン訴訟由来の潮流を読み取りHPVワクチンで犯した愚を繰り返すなと訴えた。だがこうした解釈は正しくなかったのかもしれない。
しつこく不安を煽った新聞社や雑誌社が職域接種を実施している。自社や同業他社の職域接種を問題視する報道はなく、彼らがワクチンに不安を抱いたり危険性を信じたりしていないのは間違いない。そのいっぽうで異業種の職域接種についてワクチンハラスメント(ワクハラ)が発生すると問題視した。こうなると目的は不安や騒動を煽ることそのものにあったと考えざるを得ない。
ワクチンへの忌避感が広がるだけでも混乱が生じ、多くの人が接種を拒むならコロナ禍終焉は遠ざかり、報道機関にとっては政府や専門家の失態を責める理由が増える。そこまで意図していなかったとしても、不安を煽れば売り上げが上がる。2011年からしばらくの被曝煽りとペアになった反原発も儲かったのだ。いずれにしろ、ワクチンの不安を煽る報道から収束を早めようとする意志はまったく感じられない。
コロナ禍への未練
ワクチンに限らず不安を煽る報道をしたメディアは政治と社会への影響力でも売り上げでも10年前の夢よもう一度とコロナ禍を弄んだ。
平塚正幸が10年前に何を見て何を考えたかわからないが、彼が人々を扇動する方法は反原発運動以来のものを模倣している。だが模倣だけに、戦略の転換も方法論の変更もできないまま陳腐化したまま活動を続けている。
反ワクチンなどをSNSや街頭で訴える人々もまた10年来のスタイルを採用し、執拗に仲間を集めるのは数の力を得るためであると同時にコロナ禍を終焉させたくない心理が背景にあるのだった。コロナ禍が終われば、影響力も注目度も願望達成の期待も儚く消える。
そこには代替医療商売のための活動家もいれば、社会をサンドバッグに見立てて感情が猛るまま殴る者、他者を見下し嘲りたいだけの者、混乱によって生まれ変われると信じた者など多様である。
すべて現実と日常に帰りたくない未練だ。
しかしワクチンの接種が進みコロナ禍は確実に折り返し地点を回った。反原発運動と運動から派生したさまざまな社会運動が混乱や自己融解を経て曖昧なまま衰退したように、そう遠くない将来コロナ禍を利用した運動や騒動は名目を失う。
名目と注目とビジネスチャンスが消えたときどうなるかは、前述した2011年から高揚が衰えたあとを振り返れば答えがある。だが今回は過去と違う事情がある。全国規模に等しくコロナ禍の諸問題に直面し、3密回避、手洗い、マスク、ワクチンが対策として重要だったのを皆が実感し、背景に科学や医学の裏付けがあるのを知った。
処理水を汚染水と言い換えたり、風評加害者と呼ぶなと盛んに主張するような真似はできないか、カルトとして続けるほかないだろう。震災からの10年はコロナ禍によって一区切りつくことになるのかもしれない。
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