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安倍悪魔化と統一教会支配説を信じ切った素朴な人々

加藤文宏

 下関を統一教会の聖地と断定した有田芳生の演説は衝撃的であった。演説には批判の声が寄せられたが、肯定的にとらえて賛同する立憲民主党議員や一般人の主張を意訳すれば「そう言われるのが嫌なら、有田芳生に投票しろ。有田が当選すれば聖地とされたレッテルをはがせるぞ」というものだった。

 どこかで見た光景だ。福島県に原発事故で汚染されて取り返しがつかなくなった土地と風評のレッテルを繰り返し貼り、嫌ならレッテルをきれいにはがしてみろと住民たちに迫った反原発運動や、運動に加わった立憲民主党の姿勢そのものだ。

 有田の演説を批判すると、「教会が聖地と認定している」「安倍の後継者は教会関係者だ」と強引な発言が相次いだ。これら流暢な詭弁と対照的に片言の悪口も多く、「ズブズブだ」「おまえも壺だ」といった定番のセリフが溢れ、私のもとにも多数の罵詈雑言が届いている。

 定番のセリフを繰り出す発言者もまた、特徴に見覚えがある人々だった。

 コロナ禍のなかワクチン接種が粛々と進められた2022年の春、陰謀論集団神真都Qが接種会場を襲撃する事件が発生した。神真都Qの構成員と家族を取材すると、世の中と折り合いがつけられず陰謀論に希望を見出した者がほとんどで、見識と知識が乏しい素朴な人が多かった。なかには境界知能と診断された者もいて、彼女にとって神真都Qは共感に包まれた理想郷だった。

 取材後、前述の境界知能の女性にかぎらず、家族らとともに素朴な人々の社会復帰に協力してわかったことがある。

 素朴な人たちは、リーダーやインフルエンサーから陰謀論が伝えられた自覚があるものの、陰謀論の「説」が世の中を覆い尽くす「意識」として自分を取り囲んでいると感じ、ここから直接的に真理を吸収しているように錯覚していたのだ。これは流行のファッションがデザイナーやメディアから発信されているのがわかっていても、世の中を覆い尽くしている意識と交信しあって流行のエッセンスを吸収しているように感じるのに似ているかもしれない。

 この意識に包まれる感覚が、共感であり前述の女性にとっては理想郷だったのだ。神真都Qの陰謀論はとても小さな規模の「説」にすぎないが、彼らにとっては世の中を二分する巨大で強力な「意識」で、意識を共有している者同士で敵と戦っているつもりだったのである。

 有田の演説に共感している、定番のセリフを繰り返すような人々に感じるのも、この独特の感覚だ。

 旧統一教会が日本を支配しているという説を、大袈裟であると理解したうえで政治闘争に利用しがいがあると考える人々がいる。このような人のなかには感情が激すると「説を信じ込んだ状態」になる者がいても、落ち着くと自分の意図に立ち返ることができる。ところが素朴な人々には意図がなく確信だけがある。したがって詭弁を弄して主張したり自己正当化することがなく、確信に基づいた激しい感情をぶつけようとしている。これが「ズブズブ」「壺」などと言っている人たちだ。

 詭弁を弄さないのには別の理由もある。彼らは「意識」と「確信」を言語化できない人たちなのだ。この点でも、有田の演説に共感する素朴な人々と神真都Qの素朴な構成員は共通している。神真都Qの素朴な構成員は、説に登場する象徴的な単語をうわごとのように繰り返し、これでコミュニケーションが成立していた。有田に共感する素朴な人々は「ズブズブ」や「壺」といった決まり文句ばかり口にして、拾い物の動画やイラストを貼り付けて説明したつもり、主張したつもりになっている。

 こうした素朴な人々には、安倍晋三は独裁者で、民主主義を破壊した安倍と自民党には何をしてもよいという「安倍の悪魔化」が信じられていて、ここに旧統一教会が日本を支配しているとする説が増築されている。

 悪魔化では安倍と自民党によって言論が封じられたとされているが、メディアは安倍と自民党についていくらでも報じ、安倍の顔を太鼓に貼って叩いても、ゴム製の似顔マスクを重機で轢き潰しても逮捕どころか事情聴取さえされなかった。モリカケ桜問題が立ち消えたのも、内容がまったく伴わなかったからだ。旧統一教会が日本を支配しているという説も、家庭連合の信者数が政党を独裁的なものにするには少なすぎるうえ、彼らの資金が自民党を支えているとは考えにくく、信者もまた多様であり、なにより激しい追及劇が連日ワイドショーで繰り広げられるくらいに教会は日本を支配していないのだった。以上のように、どちらの説も断片的な情報を恣意的に繋ぎ合わせた陰謀論と言ってよいものだ。

 この安倍悪魔化や統一教会支配説の陰謀論を背景にして、暗殺事件や岸田首相に爆発物が投げつけられたテロへの、「一矢を報いた」「しかたなかった」「統一教会の悪事を知らしめるきっかけになった」「暴力以外に社会をよくする手立てがない」といった肯定論や容認論が登場した。

 この2つの陰謀論には、大袈裟な説であるのを知っていて、政治闘争の道具に使っている意識があるインテリ層をも、一矢を報いることができたと喜びの感情に巻き込み、これを動画にして堂々と公開させるくらいの異常さがある。有田の演説もまた異常だが、公然と支持する人々がいるのも陰謀論あってのことだ。

 いっぽう確信だけに突き動かされた素朴な人々は、安倍悪魔化と統一教会支配説は世の中を覆い尽くす巨大で強力な「意識」で、ここから直接的に真理を吸収しているように思い込んでいるだけでなく、意識を共有している者同士で敵と戦っている幻想を生み出している。これが相手の能力、相手の影響力を問わず、ことが起これば雲霞の如く彼らが現れてくる現象の正体だ。もとより確信に突き動かされている彼らにはブレーキがないのだから、暴走しはじめたとき歯止めがかからないと考えておいたほうがよいだろう。そのとき何が起きるか、神真都Qがすべてを物語っている。

 私たちは、反ワクチン陰謀論者、テロ賛同者、ズブズブ・壺と連呼する素朴な陰謀論者という、社会を運営するうえでコストがかかる人々と共存していかなければならない。しかし神真都Qがそうだったように、これらの層を生み出した者たちは責任を負うことなく、混乱の後片付けもしないのである。

 たとえば、暗殺が成功したことで一矢を報いることができたと大喜びした島田雅彦が批判されると、左派リベラルは島田とともに青木理らが同席していたにもかかわらず「彼は極左だから関係ない」と大看板たちさえ切り捨てた。素朴な人々が暴発する事態が発生したら、他人事のように私たちは関係ないとしたうえで、社会が悪い、社会を悪くした政権が悪いからこうなったと、陰謀論を利用して言い出すのはまちがいない。



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