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7/6休職日記 病院を変えた

4月からの休職。3ヶ月が過ぎた。
夫からは日に日に良くなってるよ、と優しい言葉をもらえるが、正直、4月の記憶があまりない。(記憶力はもともと低いんだけど)
3ヶ月でほぼ治るとどこかで過信していたがそうはいかなかった。そして、この間、ずっと心の奥で気になっていたことがあった
私には甲状腺の持病が二十歳頃からあり、全摘手術を受け、ここ20年間以上はホルモン補充をしている。一生飲まないといけないし、ホルモンを司る甲状腺がないことで自律神経がボロボロになってもおかしくないという人もいるし、実際自律神経は乱れまくってるのは、医師でなくても自分が一番よく分かっていた。

メンタルで休む時は心療内科の先生に相談して、その場で休職診断書と薬を貰った。
あぁこれで治るのか。と安堵したのだが、先に書いたようにずっとどこか気になってたのが『この薬、私に合っているのか?』だった。

子供の頃から身体に自信がある方ではなかった。命に別状はないとはいえ、全身麻酔を8回経験してる(数えてみて、その多さに我ながら驚き!)これでよく二人の息子を産めたもんだ、と今更ながら思うほど。

話は逸れたが、とにかく、薬はいつも私の不安材料の一つ。もう一つは、今回の事を私の体を何年も診てくれているかかりつけ医に相談出来ていなかったこと。

内科と心療内科を行き来して、甲状腺等のお薬と、メンタルの薬をそれぞれから貰っていたわけだが、私はかかりつけ医の内科の先生にずっと秘密事をしてる気がして、本当に落ち着かなかった。

もう少し様子を見てから相談と誤魔化しながら3ヶ月。7月になってやっと内科の受付で『先生と個人的にゆっくりお話しがしたいので、そうお伝えてください』と言った。
私をよく知る受付の方が一瞬どうしたの?という言葉を飲んで怯んだ気がしたが、それはまあ気が付かなかったことにしよう。

そして、面談。
先生は看護師さんのいいないWEB会議用の個室に案内してくれて、この部屋良いでしょ、で?どうしたの?から始まった。
休職に至った経緯や、この3ヶ月の状態を話した。
先生は頷きながら
「僕たち内科医は、患者さんを守る事を大切にしてるんだよ。特に3つ。心、体、そして、社会的立場。この3つ。社会的立場は職場だけではないよ!家庭や仲間同士もそう。それから君の辛さを軽減する場は心療内科じゃないとダメとは思わないし、心療内科の医師ももちろん同じ考えだと思う。とにかく、僕は家庭や大切な人がいる人は安心して治療できる。心配なのは誰にも頼れない人。そういう方は専門機関が見守る策が必要な場合があるんだ。とは言え、色んな方がいるからね、一概には言えないけど、君は大丈夫だよ。大切な家族や息子さんがいるからね。治るから、治そう。」
とても心強かった。どんな病気であれ、医師が治ると断言するのはまずない、と思ってたから。
そして、休職した事で職場に迷惑をかけた、だから辞めなきゃいけない気がすると話す私に
「そんなの今のZ世代は思わないよ。ま、昭和だから仕方ないか、あはは。でも君が居なくても仕事は回るのが組織だからね、そこは今気にしないでいいよ。」
と。
言葉というのは周波数のように、文字だけはない何かが、ビビビーと心の奥に届いて響く。
やっぱりこの先生に伝えてよかった。

そして、新しい薬を処方された。
どんな薬か?今どき、ネットで調べたら色々出てくるが、不安を煽られる気がして見てない。ただ、看護師の姉曰く、あの先生が出すんだから安心して飲みなのよ。疲れてるって言うだけで貰う人もいる万能薬だよ、だった。
「具合みて、気になったら来て。薬の事だけじゃなくて良いよ、こんな風に話だけでも聞くから。あ、ね、やっぱりこの部屋良いでしょ!景色もいいし、お気に入りなんだ。昨日もミャンマーの研修医とWEB会議してたんだよ」と自慢げに嬉しそうに話す先生をみて、ふっと心が軽くなった。
心の声を伝えるのは、身体を診てもらうよりずっと悩ましい事。
今はそれを躊躇ってた自分を後悔してるが、反面、先の3ヶ月があったから今があると思う。

今度は先生自慢のWEB会議室でなく、いつもの診察室で相談できると良いな、と思いながら、ここ数日過ごしてる。
休職。それは、想像以上に重くて締め付け感があって辛くて、悲しい。
そう、何より色んな景色が変わる。
そして、これからも景色は変わるんだ。

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