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HSS型HSP  最適解を求めてしまう

HSS型HSPの特性として、感受性が強く傷つきやすく繊細だが、創造性があり、チャレンジ精神が旺盛という相反する性質がある。

看護師として働く中で、最適解を求めて創造性をフルに働かせるというのは良い意味でも悪い意味でも自分の中で大きい。

仕事上で至るところに改善の余地を感じてしまう。

つまり、最適解ではないという感覚が強い。

それは、小さなことから大きなことまである。

まず、スタッフが働きにくそうなことを改善しようと試みたり、物の配置などに気を配ることが多い。

患者さんが困っているとか、病気以外での色々に戸惑っているところを見ると、もっといい最適解があるような気がして、創造性が働き、試行錯誤したくなってしまうのである。

例を挙げると、病棟で入院患者さんが、戸惑うことが一緒だったり、同じ質問をされたり疑問をぶつけられたりすると、改善の余地があり、これは、最適解があるはず!と思ってしまう。
実際に、パンフレットに書き加えたりしたいのだが、これがまた、スタッフ間では共感はしてくれても行動に移すことに協力してくれるスタッフは、驚くほど皆無。
言えば、”余計な仕事が増えてしまうから”かもしれないが。

色々なスタッフに、もっとこうしたら良いと思うと提案したり、上司に話したりするけど、すでにあるパンフレットに追加して”口頭で”説明すればいいと言われてしまう。

自分の中でクリアな解決策があるにもかかわらず、未介入のため、また他の入院患者さんに同じ質問をされたり、持参した物品に不備がある患者さんに、申し訳なく思ってとっても不親切な対応をしている気持ちになってしまう。

そんな時、例え用のない無力感に襲われる。

自分には、それを少しでも最適解に導く想像も創造性も試行錯誤するチャレンジ精神もあるのに・・・これって私だけなんだな・・・と。
もっと違うところに、能力をつけろよってことなんかな?

また、ある時は”同様のミス”が度々起こることを管理職に伝えるが、それを管理職がスタッフに朝礼で伝達する際に、「最近、ミスが多くなってきているので気をつけましょう」と言った漠然とした声がけで一日が始まる時なんて、気持ち悪くて仕方がない。

私のこのモヤモヤする視点って、誰にもわかってもらえないんだな・・・と。

他の階に患者さんを移動させる時に、移動先の看護師に「あなたの病棟ではいつも〇〇忘れてることが多いのよね〜」なんて指摘されたら、次から言われないように、チェックリストに項目を追加したりするけれど「別にそんなことまでしなくても、良くない?相手の病棟もよく抜けがあるんだし、お互い様よ。気にしない気にしない」なんて同僚に諭されたりすると、またモヤモヤ。

これは、私にしか見えない最適解なのかもしれない。

でも、このモヤモヤを繰り返すことこそが、一番の苦行となることは間違いなくて、誰も求めていないのではないかと思うこともある。

向上心なのかは、わからないが、もっともっと不自由さが改善できる、もっと適した方法がある!と思うと、俄然やる気が湧いてくるんだから、もうただの変な視点の持ち主なのかも。

いずれにせよ、私が仕事上で大事にしているのは、患者さんの色々な面での苦痛や不自由さをどうしたら少しでも軽減できるのか?

看護師という仕事上業務過多であるため、少しでも仕事がしやすいように、マニュアルをわかりやすくしたり、無駄をなくしたり、動線を快適にしたりすることに、とてつもない労力と創造性を費やしているが、どうしても、他のスタッフが同じ不自由さや苦痛を感じているようには見えてこない。

これが、私には理解できないのである。

自分でも、何にこんなに神経を使っているんだろう?と思うこともあるけれど。

皮肉にも、この性分を活用できる仕事や職種での最適解もあるのでは?なんて考えてしまう。





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