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看護師の仕事の目標は定時で帰ることですか?

SNSなどの看護師の情報を見ていて、モヤモヤを感じることがある。

今日の目標は、定時に帰ること!ってやつ。

別に看護師は奉仕精神でする仕事なんだから、定時で帰るのが目標なんて看護師失格!なんて生ぬるい看護論を主張したいワケではない。

わかっている、現実はもっとシビアで機械的で、冷淡さを含んでいるということは。

なんなら、私の今の職場では、早く帰れる看護師🟰できる看護師という概念が存在していると思っている。

確かに、定時で帰るためには要領の良さも必要だし、適当さも大切だし、かつ他のスタッフには手が及ばないような業務にも手出しをして完結するとか、他のスタッフを手伝う余裕さえある・・・なんてハイパー看護師もいる。

しかし、実際は、自分ではどうにもできないことが多い。

特に病棟の中では、緊急の出来事は多くて急変したり、転倒、転落などのアクシデント、入院が来たり、その関連での転棟や退院、転院、家族希望のIC、手術が長引く、緊急OP、持参する薬の残数の不揃いの管理などなど・・・

結局のところ、自分ではコントロールできないのに、どうして目標はそこになるのだろう?

そのためにできる努力といえば、仕事を丁寧に早く要領良くこなすこと、協力し合うこと、休憩を短縮すること、トイレを我慢すること、早く歩くこと、見えないところでは小走りになること、エレベーターのボタンを何度も押すこと、仕事の優先順位をしっかりつけること、最終的には、かなり早く出勤して早めに点滴を繋げてしまう、熱を測って回る、なんて、やりすぎ感強めの看護師も出てきてしまう。

裏面をあえて挙げるなら、患者さんや家族から話かけられにくい雰囲気を醸し出す、時間のかかる仕事は、別のスタッフに丸投げする、忙しいそぶりを振り撒く、自分ばかり忙しいと文句を言って、振りにくい前提を作っておく、仕事を振られにくい雰囲気を出す、記録の内容を簡素なものにする、例え自分がいない日だとしても、別日に仕事を回す・・・などなど。まぁまぁ、これはほどほどにしておくが。

引っかかるのは、アンコントロールなことなのに、そこに対応できたら定時で帰れるという、環境ではなく自分次第というところに話がすり替わっている点にある。

つまり、帰れなかった時に自分にNO!を突きつけることになるのではないか?と。

HSP気質のせいか、仕事が終わったら、帰宅途中にも
どうして今日は時間がかかったんだろう?
どこを省くことができたんだろう?
あの人のズルさに振り回されたのが敗因だったな?
手伝わなくてもいいのに、いい人ぶって手伝ったから、自分の仕事が遅れてしまったのかな?
患者さんの話を聞きすぎて、仕事が押してしまったな。受け持ち患者さんのイベントがたくさんだったから仕方ないかな。
他の人がスムーズに仕事しているように見えるのに、なんでこんなに進まないんだろう?
どうして、こんなに患者さんから頼み事やグチを言われたり、話しかけられたりすることが多いんだろう?
不安や苦痛を少しでも和らげてあげたいけれど、そうしようとすると自分の仕事のスピードは明らかに落ちるし、他の人が手伝ってくれるのも申し訳ないし、できないと思われたら嫌だし。

でも仕事が早いということが、患者さんを蔑ろにしているというのともまた、違う。

スピードも大事だけど、対人の仕事では、そんなに単純には行かない。ましてや、何らかの助けを必要としている人が対象の仕事なのだから。

患者さんも大事にして、かつ仕事も早くこなせるなんていう理想の看護師像を抱いて努力をして、どうしようもない壁にぶつかり、現実を見て、その間でモヤモヤする・・・そんな看護師ライフを今も送っている。

でも結局、空床を埋めるため、必要ではない入院を何人も入れてくる医師に文句を言っても、患者とその家族の対応にどれだけ時間がかかっても、どれだけ忙しくて休憩も取れなくても、クレームや暴力のようなハラスメントに対してすら、根底や背景に何が隠れているのか?を考えさせてくる上司がいたりするし、すべては患者さんのためというこの絶対的文言で、一蹴されてしまう自分がいる。

そして、その概念に、正直20年以上どっぷりと浸かって、うんざりしてしまっている自分がいるのが、悲しい事実。


私の周りにも、驚くほどとにかく定時で終わるように仕事をすることが大切!というモットーの看護師がたくさんいる。

その真意は、深く探ったことがないのでわからない。

あらら、今日のワタシ、ただ、ただクダを巻いている・・・と思われてしまうかな?




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