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看護師に囚われてしまったのかも

『サンクコスト』 この言葉を最近目にして、目からウロコだったので、共有したいと思う。

このサンクコスト(埋没費用)とは、すでに費やしてしまった時間、お金、労力的なコストのこと。
その分の元を取ろうとして、そこに囚われてしまって、合理的な判断ができなくなるという心理だという。

看護師の資格に囚われてしまった自分は、本当にこれ腹落ち。

シンプルに看護師の仕事は向いていない、つらいと違和感を抱えながら20年以上も看護師として働き、今だって看護師をして自分をすり減らしている自分に自戒の念を込めて、あえて言おう。

自分の感覚を正解か不正解かで考えてしまい長期間に渡り信じず、騙して、疑い続けてしまったけれど、後悔を込めて伝えよう。

自分の感覚を大事にするのが一番!だということ

こんなことを続けてきてしまったのには、HSS型HSPである探究心や、知りたい、理解したいという欲求がその原動力となったことは、否めない。

こんなに自分がボロボロになるまで、追求する必要はなかったのかもしれない。

もっと、自分を大事にしたら、つまり自分が感じた感覚を最優先に、逃げるとか、回避するとかそんな体裁は気にせず、自分の感覚に従っていたら、もっと違う選択があったのではないか?

もっと、自分が喜ぶことが多い時間をたくさん過ごせたのではないか?と思うのだ。

振り返って考えてみても、何度も何度も自分のキャリアについて考えることがあったのに、そのたびに周りにもったいないと言われるから・・・とか

自分は本当はもっとできるようになるハズだから

努力の方向が違うのかも?

周りの人を真似してみたらどうだろう?

考え込まずに、さらっと仕事をしてみたらいいのではないか?

お金のための割り切ってみたらいいのか?

自分を犠牲にしても、人の役に立っていれば十分価値があるではないか?

生きていくためには、我慢や犠牲は仕方がない、仕事ってそういうものだから?

自分には我慢が足りないだけ、いや、我慢していると言う思い込みからして間違っているのでは?

長く続ければ、何か見えてくるもの、自分のものにできるものがあって何かしらの結論に到達できるのではないか?(続けることに価値がある!的な考えとか。)

看護師であるから、今まで食いっぱぐれなく生きて来れたことに感謝するべきではないか?

看護師という恩恵に預かりながら、文句を言うなんて勝手すぎるんじゃないか?

仕事なんて、そういうもの・・・仕事ってそういうものだから・・・

仕事に対する努力は必要だけど、その努力のベクトルが違う方向に向かってしまっている気がする。

そうやって、自分の感覚が間違っているとか、まだ気が付いていないだけとか思って生きてきたのかもしれない。

でも、それで得たものは、自分の無価値観ばっかり。

我慢をしていないと価値がないとか、看護師として役に立たないと価値がないとか・・・

合う、合わないではないのかもしれないし、

べき、はず、ではないのかもしれない。

つらい!楽しくない!努力したくない!違う!

こういう感覚をもっと大事にしたら、違う結果があったのではないか?と思ってしまうのだ。

もったいないの精神は、大事だけれど、誰に何に対してもったいないのか?という基本的なところに立ち戻って、考えることが重要なのだ。

特に、看護師は対人で人を助ける仕事で、女性にしては地位があり、夜勤をすればある程度の収入が見込め、人の役に立っている実感が得られる仕事だとは思う。

そして、資格を取り実際に働くまでの精神、努力、勉強量、時間量など莫大なコストがかかっている。

でも、大事なのは、自分が幸せになるためのコストを費やしてほしい!ということ。自分を大事にできるコストを意識するだけで、この世界の色はもっと変わるかもしれないってこと。






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