「もしも〇〇と言われたら…」を考えると日常は奇跡と思える
今回は、日常で誰にでも起こりうる「もしも…」について考えてみました。
これを考えておくと事前の準備ができたり、考えがクリアになります。また、何事もなく過ごせている日常が幸せであることの再確認ができるのでおすすめです。
こんな「もしも」を考えたなどあれば是非コメントくださいね。
もしも・・・がんと言われたら・・・
私に起きるかもしれない もしも
二人に一人はかかるかもしれない「がん」
毎年検査を受けている健康診断で「かもしれないので、再検査を受けてください」ぐらいは言われたことがあるかもしれません。
まさか、私に。
4歳の女の子を育てているママが「スキルス性胃がん」と診断されました。
手術をするよう勧められ、とにかく生きたいということで治療されました。
合わせて、エンディングノートを書いて、自分がいなくなった時の準備を始めました。子供の未来を一緒に過ごせない無念さ、今できることはなんだろう。誰にこの子を育ててもらおう、頭はぐるぐる回ったと話していました。
幸い手術が成功。あれから10年になろうとしています。
中には、本当に子供を一人残して、逝ってしまった人もいます。
シングルマザーの彼女は、頼みたい親もすでに他界。子供を頼める人がいませんでした、そんな中でも治療する時に子供を預かり面倒を見てくれたママ友がいました。
彼女はそのママ友に自分の子をお願いしてみました。
そのママ友は、ご主人の理解もあり、養子として育てることにしました。
こんな幸運がなければ・・・
本当に戸惑う「もしも」です。
助けは「人」だなとつくづく思います。
そんな人に巡り会うのは、自分もそんな人になりたいと、同じような心持ちの人たちの中で生活することなのかな・・・と思っています。
もしも・・・うつになったら
一人暮らしで困る病気や怪我はたくさんあるな、と思います。
その一つが「うつ」
眠れない、動きたくない、やる気がない、食事を作る気がしない、買い物も嫌。ものを考えるのが億劫。文章を理解するのに時間がかかる。自分の行動や言動に自信がない(責任持てない)。
こんな症状が出てくると日常生活に大きな影響があります。
一人暮らしもたいへんですが、子育て中のママもたいへん。改めて、うつ状態にある人も「もしも」の助けが必要と感じています。
自分の味方になって、制度を利用する助けをしてくれる人。
できないことを頼める人、話を聞いてくれる人、
誰もかかってもおかしくないメンタルの病気ですから自分が弱い時に助けを求められる関係づくりが備えとして必要だなと思います。
改めて人は一人で生きていけないものだと思います。
私は友人二人のマンションの鍵を預かっています。
なぜなら、お二人ともご家族が遠方におられるので、何かの時にお部屋に入れるようにという「もしも」対策です。
うちの鍵も隠し場所を伝えてあるので、私に何かがあればうちに入ってもらうことができます。
こんなことを紹介すると、そこまで信頼できる友人はいない、どうしたらできるの?と聞かれるのですが、どうしてできたのでしょう。私には分かりません。
一人暮らしの人より、パートナーがおられる方は、さらにパートナーの了解も必要なになるのでなかなか鍵を預けられる人は難しいと話していました。
鍵を預けられる友人を意識しながら、周囲の人を見渡してみてください。
もしも・・・腰痛で動けなくなったら
もしときファイルを作るきっかけに教えてくれた男性がいました。
彼は若い時に奥様に先立たれ、東南アジアの若者たちを支援するボランティアに熱心に活動されていました。
そんな彼の悩みが腰痛。
ある時、ぎっくり腰になり全く動くことができなくなったそうです。
携帯で救急車を呼び、病院に搬送してもらいました。検査と薬をもらって、入院させてもらえなかったそうです。
動けない・・・買い物いけない・・・食事の準備ができない・・・
頼める友人もいない・・・
皆さんならこんな時どうしますか。
今ならウーバーに電話して、という方法がありますが。
その当時(2010年ごろ)は、そんな制度はなくとりあえず、這うようにして冷蔵庫まで移動してあるものを食べたそうです。
1日、2日で動けるようになれば良いのですが、室内はかろうじて移動できても、外にまでは・・・
今なら、通販で食品を買う、とか。
配達してくれるスーパーにお願いする、とか。
離れている友人でも必要なものをまとめて送ってもらう、とか。
いろいろできそうです。そんな時にお願いできる友人に事前に頼んでおく。
頼める人がいるという安心感は大きいと思います。
もしも・・・判断ができなくなったら
自分に限って、それはないと思いたいのですが。
自分は大丈夫とは言い切れない「認知症」
認知症にならなくとも、重度のうつ状態、交通事故で意識障害、
新型コロナで呼吸困難から来る意識障害など
「もしも」はどこにでもあります。
そんな「もしも」に会わずに生きて来れたことが奇跡に思えます。
自分が判断できなくなった時にもしときポーチに身分証明するもの、できれば写真付き。家族や友人などの連絡先。かかりつけ医があればその診察券(コピーでも)を入れていただければ、意識のないあなたのカバンから「これを見つけた方は開けてください」を見て、安心して見てくださるでしょう。
実際に、友人たちと集まって話している時に、友人の一人が一過性の短期記憶喪失になりました。10分前のことを覚えていないのです。自分で書いていたメモを見て「これは誰が書いたの?」と聞いてきます。「このジュース、私が買ってきたんだよね?」という調子です。
とりあえず救急車を呼んで、病院に搬送しました。
短期記憶はないのですが、その場での受け答えはできるので、「ご家族の連絡先はどこかにありますか」「この携帯のどこに電話番号がありますか」と訊きながら、家族への連絡先を見つけて、連絡を取ることができました。しかし、本人と会話ができなければ、失礼してそのバックの中から情報を探したことと思います。
必要な時にはすぐに見つけてもらえる。そんな備えも必要と思います。
もしも・・・外出中に災害に遭ったら
外で地震になったら、なんてシュミレーションしてみたことありますか。
どこにいるかによって、違いますよね。
歩いて帰宅できる距離か否か。
電車や車で閉じ込められた状態なのか、
職場なのか、
友人と一緒か、一人か、など。
コンビニが空いていれば、生活に必要なとりあえずのものは揃います。
大規模の災害の時はコンビニが使えません。
歩いて帰宅できない距離に出かける時にはもしときポーチに、コンビニでは買えないものを入れておいて欲しいと思います。例えば、コンタクトレンズの替え(あるいはケース)、メガネ、入れ歯(ケース)、補聴器の電池、服用中の薬。さらに車移動が多い方は、車の中に毛布、防寒具、スコップ、使い捨てカイロ、使い捨てトイレ、水、食料などです。
改めて、今何事もなく生きているとするなら、それは奇跡です。
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