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自閉症児でも、定型発達児でも、子育てを客観的に評価したいならこれを使ってみるといい~『母という呪縛、娘という牢獄』感想によせて~

おめめスケール、というものがある。
これは、兵庫県丹波篠山市にある「株式会社おめめどう」の社長、奥平綾子さんが、長野県の発達支援にかかわるお医者様たちと考案されたものである。
作ろうと思われたきっかけは、幼いころから療育に通い、医療ともつながっているのに、それでも思春期、青年期になって「行動障害」が表れるのは、どういうことだろう?と疑問に思われたことにある。

要するに、療育や医療よりも、もっと決定的な何かが不足しているために、行動障害が起きるのではないか、という仮説に基づいて、その「決定的な何か」をあぶり出すために作られたスケールだ。

これがおめめスケールだ

設問は5問。(思春期以降なら、さらに2問追加される)

以下の①~⑤については、
1:全くそう思わない
2:あまりそう思わない
3:まあそう思う
4:強くそう思う
で、20点満点中、何点得点できるかを調べる。
⑥⑦については、「ある」「ない」で答える。

【おめめスケール】

設問の意味を少しだけカッコ内に捕捉してみるとこうなる。
えらぶ(本人が自分の自由意思で生きているか)
みとおし(先々のスケジュールを本人が把握できているか)
おはなし(音声言語に頼らないコミュニケーション手段があるか)
杖の役割(本人が苦手な個所をサポートできているか。こちらの要求に有無を言わせず、そういうものだから、と従わせていないか)
実年齢と性の尊重(子どもだから、障害があるから、できないだろう、わからないだろうという失礼な態度をとっていないか)
そして、思春期以降は、本人のプライバシーが守られるスペースがあるか、趣味に使えるお金を自分で管理できるように仕組化されているか、というところが問われていることである。

ちなみに、幼少期からおめめどうにつながり、本人が真ん中にある暮らしをしていると、ほぼ満点が出るだろうし、そうであれば、行動障害が出ることはあり得ない。
何かが欠けると、自閉症児本人の中に生まれる不満が、積もり積もって行動障害を引き起こす。
その辺りの話は、社長の奥平さんが、ご自身の経験をもとに「間違った思春期の対応からご子息が行動障害に陥り、支援する側の大人が軌道修正をして、現在の穏やかな暮らしを取り戻すまで」を本に書いていらっしゃる。
noteの1記事程度で書ける内容ではないので、詳しく知りたい方は、こちらを読んでほしいと思う。
本人の暮らしを尊重するとは、どういうことかがよくわかると思う。

人権が尊重されているかどうかを可視化する

なぜ、いきなり、おめめスケールの話を持ち出したのかというと、先日、以下の本を読んだからだ。
実際に起きた事件を丹念に取材して書かれたノンフィクションである。

未読の方のために、Amazonからあらすじを抜き出す。

2018年3月10日、土曜日の昼下がり。
滋賀県、琵琶湖の南側の野洲川南流河川敷で、両手、両足、頭部のない、体幹部だけの人の遺体が発見された。
周辺の聞き込みを進めるうち、最近になってその姿が見えなくなっている女性がいることが判明し、家族とのDNA鑑定から、ようやく身元が判明した――。
髙崎妙子、58歳(仮名)。
遺体が発見された河川敷から徒歩数分の一軒家に暮らす女性だった。夫とは20年以上前に別居し、長年にわたって31歳の娘・あかり(仮名)と二人暮らしだった。
さらに異様なことも判明した。
娘のあかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っていたが、母・妙子に超難関の国立大医学部への進学を強要され、なんと9年にわたって浪人生活を送っていたのだ。
結局あかりは医学部には合格せず、看護学科に進学し、4月から看護師となっていた。
6月5日、守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕する。その後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。

母と娘――20代中盤まで、風呂にも一緒に入るほど濃密な関係だった二人の間に、何があったのか。

読めば読むほど娘が不憫で、親に乗っ取られた人生というのは、こんなにもつらい結末を迎えなくてはならないのか、と哀れだった。

そして、読みながら、殺された母親が、娘にしてきた仕打ちについて、スケールに当てはめてみることを思いついたのだった。
結果が以下である。

得点のポイントを解説する。

①娘・あかりは、幼いころから自由意思を奪われ続けている。進学も就職も、母が望む「見栄えのいい娘」にするために、勝手に押し付けられたものである。よって、得点は「1」。

②日時の概念は、定型発達の人の場合、さほど気にしなくても、いつの間にか身についているものなので、これは、除外しても構わない。(自閉症の人たちには見えないものは、理解しにくいので、時間という人類共通のインフラが理解できていないことが多い。よって、ここはとても重要になる)あかりの場合は、特に障害を疑うシーンはないので得点は「4」。

③この設問の本来の意図は、「話し合いができているか」というところにある。自閉症の人たちは、視覚的に把握する方が得意な方も多く、耳からの情報はうまく理解できない。そんな方々と正確なコミュニケーションをとろうと思ったら筆談が有効だが「その手段が家庭内で保証されていますか?」というのがもともとの意図だった。
だが、あかりの場合、音声言語でやりとりができる発達に問題のない子どもでありながら、コミュニケーション不全の家庭に育った。将来の選択肢は、母親に決められた「京大医学部進学」一択だった。しかも、それは、あかりが幼い頃に読んだマンガ「ブラックジャック」に憧れたエピソードを捻じ曲げられた結果である。「医者になるのは本人の希望した進路である」と、母によりすり替えられて作られた目標なのだ。
あかりは、母から「自分が選んだ進路なのに、親はこんなに応援しているのに、お前のやる気がないから、努力が足りないから、何年浪人しても合格できない。恥ずかしい、みっともない」と、ひたすら責められ続ける毎日だった。よって、文句なしに「1」。

④家庭のルールは、母が勝手に決めたものばかりであり、それを守れないとねちねちといつまでも小言を言われる。すぐに激高する母は、あかりにとって、どこに地雷が埋まっているのかわからない人間だ。していいこと、悪いことの説明など無い。母がルールだから。よって、得点は「1」。

⑤あらすじにもあるように、あかりは、「風呂代がもったいないから」という妙な理由で、20代半ばまで母と一緒に風呂に入ることを強要されていた。プライバシーなど無いに等しい。言うまでもなく「1」。

⑥ここは、よくわからない。時折、貯金を下ろして家出資金に充てたりする描写があったので、自由に使えるお金はあったのかもしれないが、書いてないことは、わからないので判断を控える。

⑦あかりに部屋はある。が、プライバシーはない。母は、あかりの日記もスマホも読み放題に干渉が激しい。「1」

①~⑤の合計得点は、20点満点中、たったの8点。
そりゃ、これだけ人権を蹂躙されれば、定型発達のこどもでも行動障害になるだろう。
結果、大変申し訳ないが、殺された母親のことは、自業自得だとしか思えない。

まとめ

私が、発達障害や自閉症の支援について、学んできたのは、それが定型発達の子育てにも使えるからだ。
特に大事な「子どもの人権の尊重」という点において、このジャンルほど学べるところはないと思っている。

自分の「子育て」、もしくは、子どもの立場では「育てられ方」について、どうもおかしい、これでいいのかと、迷うことがあったら、おめめスケールを使ってみてほしい。
そして、変だと思ったら、足りない何かを獲得するために、相談するなりなんなり、動いてみてほしい。
穏やかな親子関係を築きたいと望むなら、とても大事で、必要なことだと思う。

**連続投稿377日目**

追記:
昨日発表された岸田奈美さんのnoteについても、影響の大きな人の発言なので、一言申し上げたい。

私は、岸田奈美さんのファンである。
有料noteに課金もするし、著作も出れば買っている。
が、彼女のこのnoteはいただけなかった。
(もしかすると、これには、まだ続きがあって、その中で大事なことが説明されるのかもしれない。その場合は先走った私が悪いので、素直に土下座して謝る用意はある。でも彼女は、ダウン症の弟君についてのエキスパートではあっても、自閉症については、まだ初学者なのだと思う)

自閉症の人たちの「こだわり」は「儀式」ではない。
選択肢が示されない(わからない)中で、自閉症の特性「同一性保持」が起きているだけである。
「こだわっちゃうのも仕方ないよね」と受容するのは、一見優しげだが、それは違う。
なぜ、こだわりが起きるのか、周囲の環境や支援の仕方は適切なのか、それを考えなくてはいけない。

おめめスケールを使って、果たして周囲の対応は間違っていないのかどうか、それを確認することが、行動障害改善への第一歩だろう。

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