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ドラクエ思い出話

初めての冒険の書は、スーパーの特売チラシの裏に覚えたてのひらがなで書いたふっかつのじゅもんだった

ぼんやり光るブラウン管を食い入るように見つめながら、どれだけ目を皿のようにして書き写しても、必ずどこかを間違えていた。

「じゅもんが ちがいます」

このメッセージが表示されるたびに半泣きになったのは言うまでもない。三回ぐらいメモを取って予備を常に作っておくのが幼い僕が編み出した冒険のやり方だった。

物心ついた時から家には赤白ファミコンがあり、母親の脇に座って幼児の手にはやや余るコントローラーを握りしめながら、プレイした初代ドラゴンクエストが僕にとっての初めてのドラクエだ。おねだりをした覚えがないため、たぶんもの好きだった母親が買ってきたのだろう。母とドラクエの出会いは今となってはもうわからない。ただ家には初代から3までがしっかりと揃っていて、僕よりやや上の世代が熱狂したドラクエの進化の興奮を、幼児期の段階で存分に味わっていた。当然、年齢が年齢なのでクリアできるほどの知恵も力もなく、ただ漫然と遊ぶだけだったが、未就学児の脳裏に浮かぶ冒険の情景は生々しく、ドットが生み出す想像力に幼いながら虜になった。

ただ触るだけだったドラクエを、まともにRPGとしてプレイしたのは、恐らくドラクエ4が最初だろう。その頃には小学校低学年になっていて、ちゃんとしたRPGの基礎がだいぶ備わっていた。その頃にはふっかつのじゅもんではなくセーブデータになっていたので半泣きになる心配はなかった。幸か不幸か、冒険の書が消えてしまう憂き目とは無縁のまま、夢中になって僕はせっせとプレイに勤しんだ。

母親は僕が学校に行っている間にドラクエを進めるのが日課になっていて、当時の僕は帰ってきてから母親のデータを覗くのが何よりの楽しみだった。自分より先に進んでいることに嫉妬と羨望を覚えながら、こっそり母親の冒険の書を自分のデータに上書きして進行速度を合わせたのを覚えている。僕はまだ冒険者としては半人前で、そんな僕に呆れながらも、母親は重要なイベントの手前では止めるようにして、僕と一緒に冒険することを選んだ。そしてエンディングは必ず二人で迎えた。僕はただセーブデータのコピペで追っていただけだったけど、共同作業で進めたドラクエは楽しく、なぜだかとても達成感はあった。母親とのコミュニケーションの傍らにあったファミコンには、常にドラクエのカセットが差し込んであった。

お年玉で買った初めてのスーパーファミコン。同時に買ったドラクエ5も同じように母親との共同作業で進めていたが、とある場所で母親が詰まった。最終局面にいけなくなったのだ。困った母親はスーパーのパートの同僚のお兄さんに渡して、先に進むようにお願いした。数日経って戻ってきたドラクエ5のセーブデータは、二人では辿り着けなかったラスボス戦手前でセーブされており、なんとメタルキングの剣が二本おまけとして付けられていた。レベルも60を超えていたため、何とかラスボスを倒し念願のエンディングを迎えた。カジノでしか手に入らないメタルキングの剣を二本も持っていたことで、顔も知らないパートのお兄ちゃんに尊敬の念を抱いたことは今でも記憶に残っている。ゲームが上手い人は老若男女問わず、小学生の中ではいつだって尊敬の対象なのだ。

そんなこんなでとても一人でやったとは言えないドラクエの思い出だが、初めて一人で最後まで冒険したのはスーパーファミコン版のドラクエ6である。おりしも発売は1995年と90年代カルチャーど真ん中の作品であり、その頃の僕はクロノ・トリガーやFF5、FF6、聖剣伝説3、ロマンシング・サガ3などのスクウェア全盛期のゲームに完全に浮気していた。ドラクエを母親と一緒にやるのが気恥ずかしくなっていた年齢であり、母親が手をつけないスクウェアのゲームをやることで親離れしようと頑張っていたのかもしれない。そんな思い出もあってか、当時は芋臭い印象をドラクエに対して抱いていた。

そんな生意気な小学生だった僕を、一発で改心させて素直な子供に戻したのがドラクエ6の鮮烈なオープニングである。高らかなファンファーレが鳴り響き、開始数分で衝撃的な結末を迎えて謎とともに物語は始まる。今でも一番好きなドラクエの出だしと言われたら、真っ先にドラクエ6と答えるだろう。

こうしてドラクエの世界へと戻った僕は、初めて自力でドラクエをクリアした。その後のリメイク版1・2や3もクリアして、ようやく冒険者として一人前になったのだ。その頃、母親は体調が思わしくなく、僕のプレイ画面を覗いて少し触るだけだった。昔はどれだけ頑張っても追いつけなかった母親のデータを、逆に手助けして進めるようになったのはそれからだ。手を引かれるだけのコピペセーブデータ冒険者だった僕が、冒険者として初めて前を歩いた瞬間だった。

そして中学時代。友人のいないクラスに馴染めず、当時の僕はほとんど学校に通っていなかった。周りが学校に行っている中、家にいるという罪悪感に耐えられなかった僕は引きこもりにはなれず、また不良になるほどの度胸も力も友達もなかった。あてもなく外をうろつき、映画館に足繁く通い、暇を潰しては家に帰るという、引きこもりの反対の出ずっぱりとして、つまらない毎日を過ごしていた。

ゲーム業界は完全にプレステへと移行しており、FF9とドラクエ7の発売が被っていることが話題になっていた。しかしこの二つの大作RPGが、登校拒否脱出のきっかけになるとは当時の僕は思いもしなかった。発売前は、恐らく売り上げはドラクエが勝つだろうなあとゲーム雑誌を読みながらぼんやりと考えていただけで、話す相手もプレイする相手も皆無だった。ただ、それは当時を過ごしたみんなが思っていたことだろう。ドラクエの勝ちは見えていたが、そのことを騒ぎ立てることもなく、ただひたすらに楽しみに待っていた。今ほど対立煽りは深刻ではなく、観測範囲では対立は学生の口喧嘩の中にしか存在しなかった。

そんな中、先んじて発売されたFF9。当時はインターネットも今ほど発達しておらず、加えてFF9は開発陣の方針で攻略情報が完全に伏せられていたため、雑誌にすらほとんど攻略が載らない有様だった。先に進めたり謎を解くにはプレイヤー間の情報交換が不可欠であり、それが僕が中学校へと再び通い出す理由となった。

二年ぶりに登校した僕へ向けられた物珍しそうな視線と若干の距離感は、FF9の進行状況とドラクエ7への期待感で一気に雲散霧消した。共通体験と共通の話題こそ、学生にかけられた大きな魔法の一つである。ゲームに救われたと感じたのは後にも先にもこれだけだった。ドラクエ7は従来より謎解きを重視した作りになっており、それがまたプレイヤー同士の会話へと拍車をかけた。抜け出したのはFF9の功績だが、そこから先に繋げてまともな生活へと定着させたのはドラクエ7の功績であろう。スクウェア・エニックス本社には、足を向けては寝られない。

こうして残り少ない中学生活を何とか通うことで卒業した僕は、そのまま中卒で終わることなく、何とか推薦を勝ち取って、県内でも有名な滑り止めの底辺校へと文字通り滑り込んだ。そこで破茶滅茶な日々を過ごすわけだが、それはまた別の話である。

話は高校時代へと移り変わる。僕が通っていたのは所謂底辺校ではあるが、不良が多いというわけではなく、大半は僕と同じような、学校に馴染めない不登校の生徒の集まりだった。当時よく遊んでいた友人の一人に、PS2版のドラクエ5を貸したのが、高校時代のドラクエの思い出の一つである。その友人は生まれてこの方RPGを一度もやったことがなく、でもファンタジーの世界観が大好きという人間だった。その欲求はアニメで満たしていたらしいが、友人曰くやったことのない身としてはファンタジー世界を味わうツールとしてRPGは敷居が高いとのことで、そんな友人にゲームならではの感動を味わわせたく選んだのがPS2版のドラクエ5である。クリアするまでつきっきりで教えるという条件の元、友人は初めてのRPGへと手を出した。

沼に落ちるのは一瞬だった。毎日のように僕は友人に捕まり、初めてやったドラクエ5の感動を滝のように浴びせられた。友人は僕のような推奨レベルギリギリで勝つプレイスタイルは好まず、とにかくレベルを限界まで上げて倒すことに執着した。ビアンカを理想の女性だと崇め、ピエールとゴレムスは最良のパートナーだと語り、そんな友人を眺めるのはとても微笑ましかった。RPGのイロハを知らない友人でも、プレイを楽しめるぐらいドラクエ5の完成度は高く、クリアしてエンディングを見た瞬間、友人は泣き出してしまった。その様子を見るとクリアしたら返してとはとても言えず、返却の申し出を断り、二週目をやるように僕は進めた。

あれから友人が他のドラクエシリーズをやったかどうかはさだかではない。大切なのはドラクエをやったという経験ただそれだけなのだ。これから先ドラクエをやり続けることなく、例えそのプレイが最後になってRPGから離れたとしても、その一瞬の体験は何よりも尊い。それは幼少期に僕が唯一学んだ真理の一つであり、その一瞬の輝きのためだけに、僕たちはゲームをやり続ける。

時代は一気に大学まで飛ぶ。入学しての一年目に出たのがドラクエ8で、当時懇意にしていた三つ上の先輩との共通の会話がそれだった。先輩は麻雀とバイクと煙草を愛し、たまにミステリを読むハードボイルドな印象で、とてもゲームをやるようなイメージはなかったのだが、そんな先輩ですら夢中にさせたRPGがドラクエであった。国民的RPGというのを実感したのはその時が初めてである。普段ゲームをしないわりに、先輩の進行速度はとても早く、僕はあっという間に追い抜かれてしまった。「ゼシカの衣装、ヤバいぞ」煙草をくゆらせながら、一足先にクリアした先輩が笑いながら囁いたのが、強く記憶に残っている。

母親との最後の思い出になるのがドラクエ9だろう。この頃の僕は準備もないまま社会へと放り出され、右も左も分からず、社会の洗礼を受けて心が折れ続ける毎日だった。母親は母親で病に伏せりがちになり、病院への入退院を繰り返していた。若年介護や先の見えない生活に、二人して消耗していた毎日だった。

そんな中、母親の入院時の暇潰しとして購入したのがDSとドラクエ9である。この頃にはだいぶゲームから離れていたが、ドラクエなら大丈夫だろうという謎の安心感があった。白状するが、僕はほとんどドラクエ9をやっていない。母親の代わりに倒せない魔王の地図のボスを倒したり、レベル上げを手伝っていたに過ぎず、まともにプレイしたとは言い難い。3以来のキャラメイクRPGだったが、母親はその点にはさほどこだわりがないらしく、チラッと覗いたキャラの名はとにかく適当だった。「ゴーシュ」(飼っている犬の名前)「タロキチ」「ジロキチ」である。なぜか犬の名前縛りでこのネーミングセンスは今でも永遠の謎だ。ちなみに母親の名付けたドラクエ5の主人公の名前は「ジェーン」で、これは母親の好きだった『ジェーン・エア』から拝借したものであることは、随分経って後から気づいたことである。

そしてほどなくして母親もこの世を去ったため、二人でやったゲームはドラクエ9が最後になった。クリアしたゲームはよほどでない限り売って次のゲーム購入資金に回すのが常であったが、遺品の整理をしても二人の思い出のデータの詰まったドラクエ9だけはどうしても売ることができず、いまだに棚に差したままだ。また、一人でもう一度やるには付随した思い出が強すぎる。僕が一人でドラクエ9をクリアするのは当分先の話だろう。仕事にかまけず一緒にやれば良かったと、少しだけ後悔している。ドラクエ9のプレイは残った数少ない人生の宿題の一つだ。

そうして時が経ち、2017年の7月29日。僕がドラクエの世界へと戻ってきた記念日である。ドラクエ9はそんな事情でほとんどやらず、ドラクエ10は設備が揃わずスルーしたので、一人でまともにドラクエをやるのはおおよそ13年ぶりとなった。ゲーム機のほとんどを手放してしまい、暇潰しにソシャゲをやるだけで本格的にゲームから離れつつある僕だったが、まだ手が届きそうというのもあって、ドラクエの世界に戻る決心をした。恐らく3DSで発売されなければスルーしており、この日記も生まれなかっただろう。友人に貸していた3DSを返してもらい、数年ぶりに予約までして、ドラクエ11を購入した。

起動してすぐ、耳馴染みのある音楽が耳に届く。かの有名な「序曲」である。この音楽を聞くたびに、母親がドラクエをやってて良かったと毎回呟いていたのを思い出す。余談だが、母親はストーンズやクイーン、ボン・ジョビやフレオ・イグレシアスをこよなく愛し、カラヤンに苦言を呈しながらクラシックを嗜むような女性だった。その音楽の才能や知識が僕に全く受け継がれなかったのは残念極まりないが、愛好したそれらの音楽と同じくらいに母親が好きだったのが、ドラクエの曲の数々だった。

オープニングが終わり、初めてスライムに出会った瞬間、こらえきれずに僕は号泣してしまった。大げさに聞こえるかもしれないが、事実だから仕方がない。感動とは、そのために用意された場面よりも、なんでもないような場面でふいに襲ってくることのほうが多い。もう母親と一緒にプレイすることはできない悲しみや、数年ぶりに味わったRPGの没入感。まだ母親が生きていたら、絶対に一緒にプレイしたであろうという幻視。しばらくは涙でまともにプレイができなかった。

今では毎日夢中になってプレイしているが、今作は不意打ちのように過去作の曲をねじ込んでくるため、とにかく心臓に悪い。出来は素晴らしく、これが最後のドラクエになっても構わないという開発者の熱意がひしひしと伝わってくる。初代からプレイしている僕だが、お世辞抜きに出来は本作が一番だろう。思い入れとはまた別の話になるが、今この時代にドラクエを再びプレイできるという喜びは何よりも得難い体験の一つなのだ。

思い出を抜きに語ることは不可能なシリーズだが、今までにドラクエをやった人ならまず間違いなく楽しめる出来であることは間違いない。安直な言葉だが、ドラクエ11は神ゲーである。二、三周は確実にやるだろう。好きなものと疎遠になった時、離れたではなく「はぐれた」と表現したのは西尾維新だったが、はぐれた僕が再び興奮や感動と出会ったのがドラクエ11だった。思い出補正と言われればそれまでの話だが、人は思い出とは無縁ではいられない。

今この時代にドラクエとともに歩めること、人生の傍らにドラクエがあったこと。ドラクエには感謝しかない。  


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