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「京都〜岡山210kmドリブル横断」で悟った 「ネットコトバ」と「母言葉」


プロローグ

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物語は、
とあるフツーの大学生「M」のお話。

Mは、小さい頃から運動が大好き。
小学生の時にバスケットボールを始めた。

アメリカのプロバスケリーグ「NBA」に憧れ、
NBA選手になるという夢を持っていた。

しかし現実は、そんなに甘くはない。

中学高校と進むにつれ、
自分の実力も明らかになってくる。

「プロになるのは難しいかも…」

これを読んで頂いているあなたも、

どこかで、似たような経験を、
したことがあるのではないだろうか。


しかしMは、

バスケットボール「NBA」に対する、
夢を諦め切れなかった。


Mは大学1年生時、

数日間ではあったが、
一人で海を渡り、
アメリカで、NBAを初観戦。

日本とアメリカの

「スポーツ・エンターテインメントの差」

衝撃を受けた。


その時、Mはこう誓った。

「NBAで働きたい」
「そして、日本バスケを盛り上げたい」


と。


そして、大学4年時…。

悶々とした、大学生活を送るMは、

あるきっかけから、

「世界5大陸 ウルトラマラソンランナー」
「セルジュ・ジラールさん」

を知ることとなり、
果てしないほどの衝撃を受ける。

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想像を絶する「長距離マラソン」の挑戦に
雷に打たれたような、衝撃を覚えたMは

「長距離だ!」

「半端ないことをやれば、多くの人に衝撃を与えられる!」


そう思い、


日本のバスケを盛り上げるべく、

「長距離」x「バスケ」

の組み合わせで、


大学のある京都から
実家の岡山までの、

「京都〜岡山210kmドリブル横断」

に挑戦したのだ。

エピソード1 平安時代から手法を駆使して

今回の
「京都〜岡山210kmドリブル横断」

目的は

①「日本バスケの発展」
②「バスケを通じて多くの人を元気にする」

この2つだった。

となれば、とにかく

「注目してもらわなければ意味がない」

そこでMは、今回

「『のぼり』を背負って」

ドリブル横断することを決めた。


『のぼり』
平安時代より続くとされるもの。

『日本の伝統』と言っても、
過言ではない。


そして、のぼりに書かれる文字は…、

「京都〜岡山ドリブル横断中」
「バスケ発展のため!みんなバスケしようぜ!」


というもの。


Mは『のぼり』の材料として、
「布」「竹」を想定。


布探しに、街に出ると

近くの商店街に、布屋さんを発見。


Mは布屋のドアを、
横に開いた。

M「すいません〜。布を探してるんですけど…」

すると、
中から元気なお母さんぽい女性の返事があった。


お母さん「は〜い!」

M「すいません。今、白い布を探してまして…」

お母さん「珍しいね。学生さん?何に使わはんの?」


Mは、お母さんの質問にこう答えた。


M「『のぼり』を作ろうと思てるんです」

「背中に背負うんです」

「京都〜岡山をバスケのドリブルで横断するんです」

「『チャレンジの意思表示』をするんです」

お母さんは、
少し考え込むような顔をした後、
こう切り替えした。

お母さん「兄ちゃん!おもろいな!」

「応援するさかい、好きなの持って行き!」



お母さんは気前良く、
布を無償提供してくれたのだ。

白い布を選んだMは、
お母さんに「竹」についても聞いた。

M「竹も探してまして…」

すると、お母さんは
気前よく答えてくれた。

お母さん「この近所に竹屋さんあるで!」

お母さんに感謝を伝え、
Mは、その竹屋さんへ向かった。


数分後、竹屋さんへ到着。
京都の老舗竹屋さん、という佇まいだ。


M「すいません〜!誰か、いはりますか〜?」

Mが声をかけると、


「は〜い」

奥の方から、
店主らしい男性の声が聞こえた。


M「すいません。竹、探してまして…」

店主「あ〜、お兄ちゃん、何に使うの?」
「竹買うとか珍しいな。学生さん?」



この流れ、さっきと全く同じだったので、
Mは嬉しそうに答えた。

M「京都〜岡山までバスケのドリブルで歩こうかと」

「のぼりで『チャレンジの意思表示』をします」

「それで『のぼりの棒』を探してるんです…」

…少し困惑気味の店主…。

しかし、店主は笑顔で、


店主「なんや、オモロそうやな!」
「いっぱいあるさかい、好きな竹持っていき!」


と、笑顔で答えてくれた。


店主「この真竹がええわ!しなりがええ」

店主は、目利きした竹を、
笑顔で差し出してくれた。

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店主の笑顔と心意気の込もった、
「最高の竹」だ。


有り難すぎる対応にMは心躍らせた。


M「おおきに!もう岡山到着した様なもんです!」

店主「はっはっは!応援してるで!頑張ってな!」



人の優しさに触れながら、
最高の布と竹と共に、

そして、


日本の伝統である『のぼり』を背中に、
Mは、ドリブル横断の成功を誓った。


エピソード2 インターネット コトバ

「京都〜岡山210kmドリブル横断」

出発が
明日へと迫った日。

Mは幸運にも、
新聞、雑誌、ウェブ等の取材を
いくつか受けていた。

「挑戦を多くの人に知ってもらいたい」

そんな目標があったMにとっては、
とても有難い話だった。


その日の夜、

Mは自分が掲載されている記事などを
インターネットで検索していた。

すると、そこには何やら

「よからぬ書き込み」

があった。


その書き込みサイトには、
Mのニュース記事や、ブログが引用され

数多くの

「心無いコメント」

が書かれていた。


匿名「馬鹿じゃないの?」

匿名「ボール取りに行ってやろうぜ!」

匿名「ボール取って、終わらせてやろうか」

匿名「え?売名行為?ははは!」



これまでの布屋・竹屋さんなど
多くの人達から頂いた言葉とは、

真逆のコメントばかりが、
ネット上には並んでいた。


M「な…なんでや…」


自分の挑戦が笑われ、
バカにされた事に、

愕然とした。


それと同時に

Mは自信を失いかけている。

もちろん、

「ドリブルがうるさいだろ」とか、
「歩行者・自転車・自動車の邪魔だ」とか、

そういう風に思われることは、
少なからず、あるのかもしれない。

しかし、

これらの書き込みは、

Mの挑戦に対する

「誹謗中傷」


でしかなかった。


「挑戦をバカにされてる…」

涙が溢れそうだった。

心無い書き込みに、
気を落とすM。

「ボール奪われたり、攻撃されたりしたら…」

ある種の「恐怖心」さえあった。

その時…。


Mは部屋の壁に貼られている、

大好きなバスケ選手の
ポスターを見上げた。


その選手は、

どれだけブーイングされても
全力でプレーし
土壇場で大活躍をする


そんな選手だった。

子供の頃から
その選手に憧れていたMは、

今の状況を、
「ブーイングを浴びている状況」
と考えた。

そして、
改めて、自身のブログを見直す。

これまで出会ってきた人達の心意気と笑顔が、
そこには綴られている。

そして、挑戦を応援をしてくれている、
温かい書き込みや、メッセージも数多くある。


Mは自問自答をした…


M「今までに、挑戦をバカにされたり、
誹謗中傷を受けたり、そんなことあったか?」

「いや…。ない」

「ないねん!」



Mが導き出した答えは、
こうだった。


M「これは、僕が行動して、発信してるからや!」

「せやなかったら、この書き込みはない」

「その機会さえない」


M「目的は、人々に元気を与えること」

「バスケに注目してもらうこと」


M「逆に言うたら、心無い書き込みする人からも」

「ブーイングして『もらえてる』」

「これこそが、動いてるって証拠ちゃうか」


M「ほんまにボール取りに来たら」

「一緒にドリブルやったらええやないか」

「全員がええって思うことなんか無い」


M「でもええって言ってくれる人がおる」

「それでええやないか!」

「やったらんかい!」


この書き込みを、
むしろ「燃料」とする、
出発前夜。

この書き込みが、

Mの脳みそから足先までを
燃え上がらせていた!


エピソード3 母言葉

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「京都〜岡山210kmドリブル横断」

初日はスムーズに進み、
既に、2日目を迎えていた。

初日は一人だったものの、
この日は、Mの友人も同行。

「のぼり」を掲げている事もあり
多くの方から、温かい応援の声を頂いていた。

2日目、神戸付近をドリブル中、
後ろから、女性の声がした。


「お兄さんたち!バスケやってるの?」

ありがたい話ではあるが、

これまでも、よく頂いた様な声掛けだった。

Mたちは、ひまわりの様な笑顔で、


「こんにちは!」


と返答した。

声を掛けてくれたのは、

いわゆる

「関西のお母さん」という風貌の
「二宮さん」という女性。


二宮さん「バスケで岡山まで行くの!?スゴイね!」

「うちの息子もバスケやってるの!」

「家そこやし、メロンでも食べてって」


かなり前のめりな、二宮さん。

Mたちは少し考えたが、

出会いの有り難さと、
「メロン」に目がくらみ

お世話になることにした。


そして歩くこと5分、
二宮さん宅に到着。


自宅に上げて頂くと、
部屋や壁には、

NBA選手のポスターやグッズが
ところ狭しと、並んでいる。


M「いいですね!うちもこんな感じです!」

Mは嬉しそうに答えた。


二宮さん「そうなのよ。息子がバスケやっててね」

「マイケル・ジョーダンとかね」


二宮さんも、
嬉しそうに答えてくれた。

息子さんは、
Mたちと同世代だった。


ジュースやメロンなどを頂きながら
談笑する二宮さんとMたち。

そんな中、
二宮さんが、口を開いた。


二宮さん「Mさんたち。今日は来てくれておおきに」

M「いえ、とんでもないです。色々頂いて」

二宮さん「今日声かけたのは理由があるのよ」

M「あ、どういう事ですか?」


これまでとは、
少し違った雰囲気の二宮さん…。

息を呑むMたち…。


すると二宮さんが
さみしげな表情で語りだした。


二宮さん「私にはMさんと同じ位の年の息子がいるの」

「バスケが大好きでね」

「あまり普段は話をすることもないんやけど…」



「息子は事故で亡くなっちゃってね…」




二宮さん「お兄さんたちを見ていると、

息子を思い出して、いてもたってもいられなくなって」

「息子と同じで、バスケが大好きな人なんや、
って思って」

「お兄さんたちなら、その話も分かってくれるかな、
って思ってね」

「こうやって話をさせてもらってるだけでも、
私はすごい元気をもらってるのよ」

話に聞き入るMたち。


二宮さん「家の中、バスケばっかりでしょ!」

「息子も喜んでると思うのよ!皆が来てくれて」

「久しぶりに家でバスケの話ができて嬉しいわ」


二宮さんは、
目を赤くしながらも、

晴れやかに、
そして楽しそうに、

息子さんの話をしてくれた。


M「………」

悲しい気持ちが溢れ、
返す言葉が見当たらない。

しかしMは、
チャレンジの目的を改めて思い出している。

「バスケを通じて、人々を元気にするんちゃうんか…」

そう思ったMは、

感情に任せ、
そして、

涙をこらえて、
こう話した。


M「二宮さん…そんな話してくれて、
めっちゃ有り難いです!」

「そして、嬉しいです!」

「僕らも、もっともっと頑張ります!」


世の中には、

本当に様々なストーリーがある。


特に、二宮さんとの出会いは、

「一生忘れられない、そして勇気付けられる」

そんな出会いだった。


Mたちは、二宮さんの家を出る。

ただただ「感謝」の一言だった。


このチャレンジを

「バスケットボールのため」
と従えていたが、


これには、
「それ以上の何かがある」


そう、確信しながら

Mたちは、
神戸の街を西へと進んでいった。


エピソード4 勝負は「いま」

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「京都〜岡山210kmドリブル横断」は、
6日間に渡って行われた。

応援をしてもらえた数。
300回以上。

メディア露出。
10件以上。

「バスケを通じて、人々を元気にする」

という目標は、

ある程度達成されたのかもしれない。


しかしそれ以上に、
今回の挑戦で学んだのは、

「行動した者しか分からない『現実』があり」

「本当の力は『現場』にこそ現れる」


ということ。


「ネットコトバ」



「母言葉」

この意味を改めて肝に銘じ、
挑戦を続けていきたい。

挑戦は楽しい 事を証明し
挑戦を応援する ために 自らが挑戦する

そして「Mの夢の一つ」である、

「ロサンゼルス〜ニューヨーク」
「4500km ドリブル横断」


を叶えるために、


Mは、今日この瞬間も、

前だけを見ている。

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