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2022.11.29 女々しくてが苦しくて

ちょっと前のオードリーのオールナイトニッポンの「言語化できない」※ のコーナーにて、何でもかんでも共感性羞恥という言葉で片付ける人が嫌いだというメールが読まれてた。

そのリスナーは性格が悪そうだから好きになれないが、自分でもそうなっていないかと振り返ってみた。今まではそう思っていたが、よくよく考えればそれは共感性羞恥でも何でもないということがあった。

恥ずかしい目に遭ってる人を見てこっちまで恥ずかしくなるのが「共感性」なのである。俺みたいに、カラオケ映像の俳優の小芝居を見たり、TikTokの動画広告(5年くらい前の)を見せられたりしている時の恥ずかしさというのは「共感」ではないのである。

「アイツ恥ずかしいことやってるよww」という、嘲笑をこじらせてこっちまで恥ずかしくなってる状況は、言うなれば「攻撃性羞恥」という名称になるんじゃないか。

俳優やTikTokerは、別に恥ずかしいことをやってるワケじゃないんだから。俳優は下積み期間なんだろうし、TikTokerは住んでる世界が違うだけだ。きっと自分の道を進んでるだけなんだから、それを誰かから恥ずかしがられるなんてたまったもんじゃないよ。

ただそれでもカラオケ俳優とTikTokerを見ると、死ぬほど恥ずかしくなって目を背けたくなるという気持ちを矯正することはできない。本当に恥ずかしくなる。セリフも無いくせに、いっちょまえに信念とか感情的なものを持ってるっぽいツラでうろちょろ動き回っているのが気持ち悪くて、カラオケ俳優を見てられない。

だからカラオケに行った時に試行錯誤したことがある。大画面の下にある小さい画面の方を注視したり、デンモクやスマホで歌詞を表示させてそっちを見たりして、カラオケ俳優を気にしないように歌っていた。

でも文字が小さかったり、画面が自動で消えないように定期的に画面に触れたりするのがやはりめんどくさかった。最終的に、採点モードをONにして画面に五線譜と音程を表示させることで、カラオケ俳優の上にいろいろ表示させて目線を分散させることで対策している。これでカラオケ俳優を見なくて済む。

なんで普通に生きてるだけで、次々と「恥ずかしさ」というトラップに引っかからないといけないんだよ。ちょっと気を抜くとすぐトラばさみに足を持っていかれるような気分だ。みんな軽やかに走っている後ろで、トラばさみに足を挟まれてもがいているようなもんだ。なんでこんな悔しい気分にならないといけないんだよ。

さっきふと思い出したことがある。1回生の時の、落研の合宿のことだ。部員みんなで広めの座敷に集まって、温泉宿の豪華な晩ご飯を食べていた。そしたら薄いふすま1枚隔てて隣の座敷でカラオケが始まった。嵐とかゴールデンボンバーを歌っていた覚えがある。

その時たしか俺は、カラオケがあまりにも苦痛すぎてご飯を食べ終わるとすぐに自室に戻ったんだ。まだ食べている他の部員(先輩含め)を残して、1人だけ避難した記憶がある。ちゃんと先輩達に「すいません、カラオケが苦痛なので先に戻ります」と一言伝えてから座敷を出た。

その状況で、部員達が「たしかにキツいよなー」と理解を示してくれたのか、それとも何だアイツみたいな空気になったのかは思い出せない。でも誰かが理解してくれたら、同志を見つけた嬉しさで強く印象に残るはず。きっとややシラケ気味の空気だったんだろうな。

なんでこの生きづらさを理解してくれないんだろうな。理解できないならまだしも、シラケるのはマジで意味が分からない。お前が苦しい目に遭った時に同じことされたいか?

みんななんで見ず知らずの人のカラオケをデカい音で聞かされて平然としていられるの? なんか言語化できないけどめちゃくちゃ不愉快じゃない?自分の心を侵されているわけなのに。どうしてあの温泉は防音設備の無い部屋でのカラオケを許可しているの?単純に隣の座敷の人々に迷惑だと思わない?

多分この行動を批判する人って「逃げるな」が口癖なんだろうな。どんなブラック企業でも3年は働けとか、毒親でも親は親なんだから介護しなさいとか。きっしょ。

あとゴールデンボンバー自体も見てて恥ずかしくなる。小6の時に卒業生を送る会かなんかで、女々しくてを「踊る」ことになったんだよ。当時大ブームだったから。

まぁゴールデンボンバーはその路線のまま突き進んでほしい。ゴールデンボンバーの悪口を許さない世間の圧力、そして女々しくての踊りを強要させる学校というシステムが本当に苦しかった。

2012年当時の日記には「前日までは本当に嫌だったけど、やってみたら案外楽しかった」と書いていたはず。もしも本当に楽しかったとしたら、どうしてこんなに苦い思い出として10年も頭にこびりついているのだろうか。

なんでこんなに度々苦しみながら生きていかないといけないんだろうか。


※上手に理屈立てて文章にすることはできないけどなんかモヤモヤすることを送ってもらい、オードリーのお二方がどうしてモヤモヤするのかを考えるコーナー。


何年もこういうので悩んでいる。隣の座敷で文字通り「バカ」騒ぎが始まって、カラオケの音が筒抜けになっているような話はめったにない。だが買い物してる時や、店でご飯を食べている時に気持ち悪いBGMが流れてきて、恥ずかしくて苦しい気持ちにさせられることがよくある。

販促のために商品名や社名を延々と繰り返すだけのような曲は理解してくれるかもしれない。だがアイドルやコミックバンド、挙句の果てには単純に歌詞が気に食わないという理由だけでいちいち苦しくなってたら、面倒だなと思われるのだろうか。

買い物をする時はイヤホンを耳につけて、音量をより上げることでなんとか対策している。それでなんとか抵抗している。

問題はご飯を食べている時だ。飲食店だってたまに店内BGMで恥ずかしい思いをさせ、食欲が無くなったり味がしなくなったりする危険性がある。そして何より、イヤホンをしながらメシを食うのはマナーが悪い。

店の人が働いて作ってくれたメシを、イヤホンをして片手間で食うなんて許せない。そんなのはご飯を味わっているのではなく、お金をドブに捨てて食べ物を胃に流し込んでいるだけだ。どうせ高い金払ってメシを食べるのなら、全神経を味覚に集中させたいじゃない。

ただ生きてるだけなのに、ただ資本主義社会で消費生活をしているだけなのに、ただ生まれてきただけなのに、こういうことで苦しめられている。とりあえずヒットしている曲をかければ客も楽しい気持ちになるだろう、そんな単純な思考回路に反吐が出る。

「ヒットしている」というのがまたタチが悪い。この曲ムリなんです、ということを言っただけで怪訝な顔をされる。お前らはこの世の人間を1種類としか考えていないのか。世間でヒットしてるなら自分だってこの曲を好きなはずだと言われれば、押しつけがましい気持ちになるだろうが。

ムリなものはムリなんだ。だから俺は女々しくての踊りを強要した学校を今でも許してないし、宴会が苦しかったからお座敷から避難したんだ。「逃げてもいい」という論調をお前らはただの一度も聞いたことがないのか。何事からも逃げることを許さないのか。