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2022.12.06 滋賀旅・後編~ラーメン屋でバカにされる~

そうして堂来清水を見て引き返し、近くにある健康ランドに行って、温泉に入ってサウナでととのって疲れを取ろうと事前に考えていた。いちサウナーとして、全国津々浦々、しかも秘境にあるサウナに入りたいと思っている。

下り坂を軽快に自転車で飛ばして健康ランドに着いた。しかし火曜定休だった。入り口前で絶望に打ちひしがれて「だから俺は火曜日が嫌いなんだ!」と口に出していた。世の中は火曜定休が多すぎる、さっきのカツカレーのカフェもそうだったし。

写真のログを見返すと、12時半から14時半の2時間ぐらい自転車で走っていたらしい。あまりにも疲れてたからもうちょっと走ってるかと思ってた。3時間くらいとか。

自転車を返して駅の公衆トイレでふと鏡を見たら、雨で濡れた髪が前からの強風にあおられて、五角形になっていた。上がツンツンになっていて、前髪が左右に分かれていた。

昼ご飯を食べそびれて電車も1時間に1本しかないし、駅から少し歩いてロードサイドのラーメン屋に入った。窓から田んぼの景色が見える店で、太った店主と腰の曲がったおじいさんの店員、そしてカウンターでまかないを食べている若い店員がいた。

ふらっと入った店だがこれは絶対美味いとセンサーが働いた ※1。店主が太ってる店にハズレは無いと聞いたことがある。数量限定の濃厚つけ麺はケンコバさんもオススメしているらしく、それを頼んだ。その時点で15時だったのに、数量限定メニューが残ってた。

つけ麺はビックリするほど美味いわけでもなかったが充分美味かった。最後スープ割りを注文しようとしたのだが、腰の曲がったおじいさんしか残ってなくて、そのおじいさんがまた何言ってるか聞き取れない人だったのだ。

メニューを見てもスープ割りをやっているかどうか自体が定かではなかったが、一か八か「スープ割りお願いします」と言ってみた。割ってくれた。だからつけ麺屋は緊張するんだ。

飲んでみたらさっきと風味が違ってて、よく見たらゆずの皮がトッピングされていた。あー、そうきたかぁー、と思ったけど美味しく頂いた。

食べ終わって会計をした。910円だったから1010円を出そうとしたけど、財布に10円玉が無かったため1000円札だけ出した。そしたらそのおじいさんがなんか言っていた。

「10円玉ありますか?」と聞き取れた。念のためもう一度財布を見返してみたが、やっぱり無かったから「無いっすね」と言って、1000円で会計してもらおうとした。

しかしここでおじいさんが「10円玉あったらお釣り100円玉でお返しできるんですけどね」と食い下がってきたのだ。でも無いものは無いから再度「無いっすね」と言って1000円で会計してもらい、90円のお釣りをもらった。

あのおじいさん、やけに粘ってきたなぁと河毛駅に戻りながら考えていた。次第に腹が立ってきた。あったら言われなくとも出してるわ、と。無いから10円玉を出してないだけなのであって、あるのに出してないわけじゃねーわ。お釣りの小銭は少ない方がいいに決まってる。

そう考えるとあのおじいさんにバカにされてたような気がしてきた。910円の会計に1010円を出すとお釣りが100円玉1枚で済む、という計算すらできないヤツと思われてたのかと思ってムカついていた。

客の会計にゴチャゴチャ言うなよ。それくらいの算数、できるに決まってんだろうが。そもそも何の電子マネーにも対応してないくせに、お釣りを少なくしたいという気持ちでいるのも余計腹が立った。未だに現金のみの会計だからこういうことになんだろうが。

夕焼けの中、ムカつきながら河毛駅に戻った。ゆずの皮なんか入れるなよ。濃厚つけ麺だっつってんのに何サッパリしようとしてんだよ。

米原のホテルで1泊した。近くにめぼしい飲食店が無くて、いっそのことこういうのはどうだろうかと思って近くのスーパーでお惣菜を買った。

気取った飲食店よりスーパーの方が、地元の住民に本当に愛されてる地の物を食べられるんじゃないかと思った。仮に名物にはありつけなかったとしても、スーパーのお惣菜は美味しいし、コンビニ飯よりかはマシだろう。

結局買ったのは寿司・生春巻き・中華風メンチカツ・和菓子。名物でも何でもない、ただの割引のお惣菜だった。寿司にいたっては滋賀県は海無し県だというのに。

それを部屋の冷蔵庫にしまって風呂に入った。健康ランドが閉まってたから、めんどくさがらずにちゃんと湯船にお湯を溜めて温まった。からの寿司が美味しかった。

ご飯を食べてから日記を書いていたのだが、あまりにも疲れすぎて途中で書くのをストップして、22時になる前にはもう寝た。ただなんかなかなか寝付けなかったというか、2時間おきに目が覚めていた記憶がある。全身筋肉痛で体が軋んでいた。疲れすぎると逆に眠れないのかなぁ。

2日目はまず能登川駅で降りた。ここの伊庭という地域の水辺遺構 ※2 がいいらしい。木村さん ※3 がツイートしていた。田んぼ道だったり小さい湖を眺めながら向かった。湖があるからこそ水資源は豊富なんだろうな。

中規模の用水路が中心に1本通っていて、そこから小さい用水路が各家庭に伸びているという集落だった。その水がまぁキレイで、醒ヶ井のように水草がクッキリ見えて、でっかいコイが何匹もいる。30cmくらいの大きさのコイがひしめき合っている。

今までもコイのいる名水は見てきたが、狭いところに大きいコイが沢山いるという点では迫力が凄かった。新たに令和の名水百選が制定されるのならば ※4 きっと選ばれるだろう。水資源の利用という観点 ※5 から、水際の階段を重点的に撮った。

ここを2時間くらい歩いたところで、体力の限界に達した。ここからマキノと大溝という地域をもう2か所をめぐる予定だったのに、眠いわ筋肉痛だわで「何でこんな思いしてまでムリヤリ旅しないといけないんだよ」※6 と思ったから、帰った。夜までかけてあちこち行くつもりだったのに、10時くらいには京都行きの電車に飛び乗った。

体が痛い。首周りから脇腹、太腿もケツも痛い。電車で座席に座っててもケツが痛い。自転車で山道を走っていたのが響いたのだろう。首周りまで痛くなるんだな。

富山旅行では砺波駅から瓜裂清水まで自転車を漕いでいたけど、翌日もハツラツと旅していたのに。きっとあの時健康ランドが開いてて、温泉やサウナに入っていれば、筋肉痛にもならずに済んだのではないか。富山では自転車の後にスパ・アルプスに行って温泉を楽しんでいたから、筋肉痛を予防できたんだよ。

11時半くらいにアパートの最寄りのバス停に着いて、餃子の王将で昼ご飯を食べて、グッスリ寝て休んだのであった。

地図に騙され、雨に降られ、店は定休日、疲労困憊。挙句の果てには見知らぬおじいさんからバカにされる始末。散々な旅だったけど、話のタネには尽きないとも言えるから、まぁいっか。


※1 店員が客席でまかないを食べてる光景もまたいいよなと思っているのだが、これはあるあるなのだろうか、それとも個人の感想なのか。

※2 河川の水を家にまで引くような土木工事の跡、ないしはそれが現代でも使われてる様子を「水辺遺構」と呼ぶ。

※3 前編でも説明した、デイリーポータルZのライターさん。

※4 日本名水百選は昭和に制定されたものだが、平成20年に新たに「平成の名水百選」と称してもう100か所の水処が名水認定された。きっとこの様子ならばあと15年後くらいに「令和の名水百選」というのが発表されると思っている。

※5 昔の人は洗い物や洗濯を、この用水路の水を使って行っていた。そのため階段を設けて水際まで下りる必要性があった。「昔の人はここで家事をしていたんだなぁ」というように思いを馳せて、気づいたら階段を重点的に撮っていた。

※6 後述


このラーメン屋のおじいさんのことを未だに許せない自分がいる。バカにするんじゃないよと。たしかにお釣りの計算は難しいところもある。1の位まで細かい計算になるともうめんどい。

ただ10の位までの計算だったら俺だってできるよ。1010-910=100、くらいできるわ。店側だってそういう計算が煩わしいから、910円のつけ麺という分かりやすい価格にしてくれたんでしょうが。

客の会計に難癖、とまでは言わないけど、そこまで食い下がることある?俺だったらよおせんわ。たとえ小銭を沢山出す手間がかかったとしても「手持ちにお札しかなかったんだろうな」みたいにお客さんの目線に立って考えるし、そもそも怖いからすぐ引き下がっちゃう。

多分ああいう人の背景を考える能力に欠けたような人間が、ネット上で誹謗中傷コメントを残して裁判を起こされるんだろうな。「この人にも何かしらの事情があるんだろうな」という、思考停止にも見えなくもない静観の力が足りてないと思った。

それを夕焼けの田んぼ道がより空しく、より腹立たしくさせたのを覚えている。これは個人的な人生の送り方が影響している、おじいさんは関係ない。

学校でみじめな目に遭って、情けない気持ちになりながら片道2kmの登下校道を帰っていたことが多かった。今でも夕焼けに照らされると、青春の思い出が浮かんできてセンチメンタルになるのではなく、涙をこらえて歩いた日々を思い出してナイーブになるのだ。

小学生にとって片道2km、往復4kmの道のりは長すぎた。校区の端っこの辺鄙な位置に実家があったから、1人きりで延々と歩いていたのが身に沁みついている。

1泊2日の日程を、2日目の朝10時で切り上げて家に帰っちゃうのは、一人旅でしかできない荒業だろうな。スケジュールをそんなに詰め込みすぎず、緩い日程でとりあえず出かけたというのもある。

それ以外にも、この旅は大学時代の話というのが大きく影響していると思う。時間だけは有り余っていたから「その気になればまた滋賀なんて行ける」という余裕があったのだ。

働き始めてなかなか旅の日程が取れなくなると、珍しく旅に出れたのに行きたい場所に行けないまま帰ってしまうなんて、もったいなくて考えられない話である。

次いつ行けるか分かんないから、今行っておかないともう二度と行けないかもしれない。そう思うと軋んだ体を奮い立たせて、ケツの痛みにも耐えて、無理やりマキノにも大溝にも行っただろう。そういうもったいない精神が大学生には足りない。

じゃあ結局改めてマキノと大溝には行ったのかというと、結局行かないまま京都から引っ越してしまった。大学も卒業してしまった。やっぱり大学生にはもったいない精神が足りない。そういうとこだぞ。