見出し画像

2017.10.14 あの人、家出したって言ってるけど…

クラスのIさん ※ が文化祭の頃「今アタシ家出してんだよねー」と言っていたのが聞こえた。年頃の女子は親といろいろあるからなぁと思いながら聞こえてくる会話に耳を傾けていたら「今はじいちゃんばあちゃんの家にいるー」と続けていた。

今になってだが疑問に思った。それって家出じゃなくないか? 学生にとって家っていうのは、まだ親に生活を支えてもらってる場所じゃん。そこを出るということは「もう親の手なんか借りずに1人で生きていく!」ってことでしょ?

公園とか橋の下とか、あるいはお金を払って宿泊施設に泊まる感じじゃん。1人で生きるって、住み心地とかお金とかの代償と引き換えに、親からの解放を得るという等価交換みたいなもんでしょ?

それなのに自らはびた一文払わず、床と壁と屋根と寝具とメシがある場所でのうのうと暮らし、じいちゃんばあちゃんに支えてもらっているくせに「アタシにもう親なんていらない! アタシは親のいないところで生きていくのよ!」と勘違いして。

クラスメイトに「アタシは家出ができる、強くて自立したカッコイイ女なのよ!」というツラをして「家出してんだよねー」と語るのって…。ヘドが出るわ、気持ち悪い。


※ 軽音楽部時代に一緒のバンドだった女子。ギター担当だった、はず。


当時はこういう極端な家出像を考えていたが、よくよく考えれば学生の家出なんて、友達の家に転がり込むのが相場ではないだろうか。学生のうちから街中でホームレスとかネカフェ暮らしって、それはもうトー横キッズじゃん。ガチの社会問題じゃん。

ただ、家出=肉親との決別・1人で生きていくという宣言、という図式は今でも変わってない。Iさんに対して「なにをナメた口を…」と小馬鹿にしているのは今でもそう。

誰のお金で構えた家に住んでいるのか、誰のおかげで学費を払ってもらっているのか。そういうとこまで頭が回らないのかね。自分の立場をわきまえた方がいいんじゃないのかい?

…ということを思う一方で、6年前の日記を客観的に見返して、こういう思考回路に危険信号を覚える自分もいる。あまりよくない考え方だと、薄々感じている。

ノンフィクションライターの中村淳彦さんが書いた『ルポ 中年童貞』という新書がある。30歳を過ぎても真正童貞・素人童貞だという男性にインタビューした本である。

介護現場で働く、とある中年童貞の男性のことを書いていた。仕事ができない・怒られると逆ギレする・後輩にはいびり散らす、という役満そろったダメ人間の話である。「30歳を超えても童貞どころか彼女すらできたことのない男性の中には、そもそも人格が破綻している、というパターンもある」といった内容だった。

そして人格が破綻するに至ったバックグラウンドのこともちゃんと掘り下げていた。ただ「性格悪いやつ」で終わらすのではなく、なぜそのような性格になってしまったのかというところまで考えていた。

その男性には学校でいじめられる・職場でパワハラに遭うという過去があった。生まれながらにモテなかったり、境遇に恵まれなかったりしたからなのだろうか。

自分が受けてきたひどい境遇を「当たり前のこと」だと思ってしまい、その当たり前にのっとった結果、上の人からパワハラを受けてきた人が自分も下の人にパワハラをしてしまうようになるという背景があるのだ。

本ではもっと深く掘り下げてるけど、これ以上書くとネタバレになるのであとは自分で買って読んでほしい。

誰かに対する思考回路は、また別の誰かと接する時に深層心理として現れる。もしも自分が親なり上司なり誰かを背負う立場になった時に「誰が養ってると思ってんの?」「誰が雇ってやってると思ってんの?」という上からの姿勢になってしまうんじゃないかと、日記を見返して自分が怖くなったのだ。

家出するクラスメイトに「ガキが1人で生きていけるわけねぇだろ!」と思ってしまうということは、自らが親になった時に反抗期の子供に対して「俺ら夫婦のおかげで生きているんだろ!?」なんてことを思ってしまう危険性がある。

恩義や仁義を重んじる性格自体は悪くない。ただ、自分が与える恩は当たり前/自分が受ける恩は当たり前じゃないという区別ができないと、ああいう中年童貞みたいに傲慢な人間になってしまうのだろう。

あまり他人に対して身分をわきまえろとか思うのはよくないのだろう。どうせ破滅するのは俺じゃなくてその当人なんだから、ほっときゃいいのである。誰かに高圧的になるくらいだったら、自分の恩のことだけ考えてればいいのだ。

…でも。自分が一方的に恩義を与え続けるだけで一切の見返りを求めないのは、それはそれでやりがい搾取や奴隷意識に遭ってしまいそうで怖くなる。優しさと頑張りすぎの、いい塩梅が難しい。