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3人グループだと急に話さなくなる自分

こんにちは、こんばんは。モロヘイヤです。

自宅マンションの外壁工事の音がうるさく、コメダ珈琲に避難中。工事は仕方ないとはいえ、工事の音で起こされる土曜の朝にちょっとでもイライラしない者はいるんだろうか。

さて、今日はこないだふと気づいたーいやずっと前から気づいていたー自分の特徴について書いてみようと思う。特徴というよりも劣等感を抱いているところ、と言った方がより適しているかもしれない。

友達と3人で集まることがある。多分誰しもあるだろう。
ただ、よくあることではない。年ももう25を数え、学校に属していた時よりも大人数で過ごすことは減ったし、貴重な休みを過ごすのは、気心知れた仲の友人と過ごすことが多いため、私がよく過ごすのは2人が多い。私と友達の2人。もちろん、いっつも仲の良い友人ばかりと会うのではなく、たまには新しいコミュニティーに顔を出してみたりして、いくつになろうとも新しい刺激を求めていきたい気持ちはあるが、今日はそんな話は一旦置いておく。

3人は大人数ではない。でも私にとって、2人と3人ではまるで違う。

私は、友達3人で集まると口数が少なくなるという傾向がある。本来の自分を発揮できなくなってしまう。(あくまで傾向だあって、すべての3人に当てはまることではないということを添えておく)

中学生の頃から薄々気づいていたし、なぜなのかは以下にまとめるようになんとなく分析できているのだけど、直らないし、直そうとも思っていないのかもしれないし、そんなこともひっくるめて自分の好きになれないところの一つだ。

理由の一つは、3人でとっても仲良しということがまずあまりないことだ。あくまで私にとっては。
3人という数で集まると、AとB、BとCがそれぞれかなり仲良くても、AとCは実際のところそこまで仲良くないって場合がある。そこそこ仲は良くても、2人でしょっちゅう会う間柄でなかったりする。
それをわかってるから、3人を成り立たせているのは表面上の仲の良さなのだろうなんて考えて、ソワソワするというか。私がAの場合、「Cは私のことどう思ってるんだろう」とか「Cは私とBの関係をどう思ってるんだろう」とか考えちゃう。よく言えば繊細な人間と言えるかもしれないけど、私は多分、おそらく、かなり面倒な人間なのかもしれない。

理由のもう一つは、会話を俯瞰してしまう癖があることだ。
3人兄弟の真ん中で育ったからだろうか、昔から一歩引く癖がついてしまっているように思う。兄弟とは割と仲がいいから、昔から3人でわちゃわちゃ騒ぎ、私が一番おふざけ者だったりはするのだが、無意識のレベルで一歩引く癖がある。兄と弟に挟まれ、兄のことも弟のことも一番観察しやすい立ち位置にいるからだろうか。3人兄弟で育って、人間関係のバランスを取ろうとする癖ができたのかもしれないなと思うのだ。真ん中っ子なら共感してくれるだろうか。

そんな癖が抜けないからか、友達と3人で集まると、私はひたすら聞き手にまわり、大袈裟に言えば無口の子になる。3人で過ごしながら、自分でもいつも気付くのだ。「あれ、今日全然しゃべれてないな」「いつものモードに入っちゃったな」と。兄弟ほどの気を使わない関係性であれば話は別で、一歩引くといったって私も話すし、ストレスを感じることはない。ただ、兄弟と友達では別。3人という関係性になると、「しゃべらないモード」が顕著に発動してしまうのだ。

2人で過ごすと、目の前の友達と向き合わざるをえないから、その子の話を聴いて、自分の話もたくさんして、会話のキャッチボールが楽しめる。

なのに、3人になると、そのキャッチボールが急に難しい。ボールをもらうことができても、自分から投げることができなくなってしまう。私はただただBとCのキャッチボールを眺めることしかできなくなってしまう。

難しいというよりサボっているとも言える。私がボールを投げなくても、私意外の2人がキャッチボールをしていれば、その空間でキャッチボールは成立している。実際には成立していなくて、成立しているように見えるだけなのだが。

当然、キャッチボールを眺め続けるのが楽しい訳はなく、心ここにあらずの状態が続いて、楽しめない自分がいやになる。2人のせいでは決してなく、楽しもうとしなかった、自分からボールを投げようとしなかったのがいけないのだと1日の終わりに反省することになる。

だからって、次3人で会う時はこうしようとか、変わらなきゃとか、そんなつもりでこの文章を書いた訳ではない。なんやねん。自分でもそう思う。

ただただ、自分の好きになれないこの傾向を文章にして、一度自分でさらけ出したかった。誰かにわかってほしい訳でもない。ただただ書き残したかった。遠くの遠くにいる私が知らない誰かがちょっと頷いてくれたらちょっとは救われるかもなあ、という程度のもの。

そんなことを思ったのは、こないだ読んだ以下のことばの影響だと思う。今日も私の好きな「ことば」で締めくくろう。

以下は私の好きな新聞コーナーの一つ、朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)から。

自分の書く言葉は、届けと思って届くより、自分から遠く離れたところで、偶然のように届いてほしいと思う気持ちがある

『ひとりになること 花をおくるよ』


2023/05/27 モロヘイヤ





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