バルカン半島旅行記⑦謎のモニュメントを探して
普通の高校2年生が、あるとき、ユーゴスラビアに魅せられて、夏休みにバルカン半島を1ヶ月間旅した話。
謎のモニュメントとの出会い
いつだっただろうか。よく覚えてはいないのだが、
ある時、インターネットを漁っていて奇妙な画像を見つけた。まるで宇宙からやってきた使徒のような雰囲気を醸し出す謎の物体の画像。
インターネット上には変な画像がたくさん漂流しているが、この画像はとりわけ印象的だった。
気になって調べてみると、どうやらCGなどではなく実際に存在する物らしく、旧ソ連時代のロシアで大量に建てられたモニュメントの1つとのことだった。
(このインターネット上の情報は間違っていた。)
時が経ち、高校生になってたまたま旧ユーゴスラビアに興味を持ち、勉強していくうちに、どうやらユーゴでもそのようなモニュメントが建てられていたことがわかった。
あの奇妙な画像は、旧ユーゴのどこかで撮られた物だったのだ。
旧ユーゴのモニュメント「スポメニック」
セルビア・クロアチア語で、「モニュメント」を意味する「スポメニック」と呼ばれる建造物は、主に1960年代から80年代にかけて建造された。
第二次世界大戦の枢軸国による占領や、それを解放したチトーら人民解放軍の活躍を記録するために建てられ、旧ユーゴの各地に今でも僅かに残っている。
かつては数百ものスポメニックが存在していたが、その多くはユーゴ内戦で破壊されてしまったという。
スポメニックは、戦争記念碑として建てられたが、別の目的として、ユーゴが抱えていた複雑な民族問題を共産主義という1つのイデオロギーでまとめあげるというものがあった。
スポメニックは観光地どころか、現地人もなかなか訪れないという場所だ。情報収集に苦労するかと思われたが、スポメニックに関する情報は
Spomenik Database
(スポメニックに魅せられた物好きが経営しているデータベース)で集めることができた。
そして僕が昔見たあのモニュメントは、クロアチアの首都ザグレブ郊外のポドガリッチ村にある 「モスラヴィナの革命記念碑」であることがわかった。
ポドガリッチ村へ
7月28日、この日はザグレブから足を伸ばしてそのスポメニックを訪れることになっていたのだ。
山の上にあるという「モスラヴィナの革命記念碑」を訪れるには、まず朝早くザグレブで電車に乗り、山の麓のポポヴァチャ駅まで行き、そこから歩いていく必要があった。
しかしそんな日に限って僕は寝坊をしてしまったのだった…
田舎に向かう電車の本数は少なく、次の電車では時間的にザグレブに戻ってくることは不可能だった。でも諦めるわけにはいかず、他の方法を必死で考えた。
結局僕を助けてくれたのは大手配車サービスUberだった。Uberというのは、まぁ簡単に言えば白タクなのだが、決して安くはないし、通常は高校生が使う代物ではない。ただ、この時は初回利用が無料になるという特典が使えたので、使うことにした。
Uberのアプリを使ってドライバーを呼ぶ。
たまたまドライバーがすぐ近くで待機していたようで、すぐに乗車できた。ドライバーに行き先を告げると、かなり驚かれた。**Are you sure?? **(正気か!?)
目的地まで約1時間。気がつけば、車は曲がりくねった山道を走っていた。帰りは麓の駅まで歩くつもりだったのだが、だんだん不安になってきた。
ポドガリッチ村に到着。ドライバーに「本当に歩くんだな?」と何度も確認されたが、大丈夫だと告げると、車はザグレブへ戻って行った。(仕事とはいえ、こんな田舎に連れてきてしまってちょっと申し訳なかった。)
村を見下ろす小高い丘の上に例のスポメニックはあった。思ったより巨大で威圧感がある。荒廃した様子はない。
村の人によって管理されているのだろう。
Spomenik Database によると、この「モスラヴィナの革命記念碑」は、第二次世界大戦中、モスラヴィナとザグレブ地域でウスタシャに対抗した人々を記念して作られた。
ウスタシャとは、ユーゴを占領した枢軸軍によって建てられた傀儡国家クロアチア独立国の軍事組織で、国内にいたセルビア人などを標的に、ナチスドイツもドン引きするほどの凄まじい虐殺を行った。
(その凄まじさはバルカンのアウシュヴィッツと形容されるほどだった。)
モスラヴィナ地域の人々は占領軍に対して蜂起し、このポドガリッチ村には、野戦病院をはじめ様々な施設が置かれて抵抗運動の中心地となったのだった。
このスポメニックのデザインは、クロアチアの彫刻家ドゥシャン・ジャモニャによるもので、「死と敗北を克服する勝利の翼」を表したものだという。
開設式典にはチトーとその妻、政府関係者など数百名が参加している。
花が添えられたプレートによると、ここには戦闘で犠牲になった900名が埋葬されているようだ。
やはり実物を目にすると、色々感じるものがある。
突然、雨が降ってきた。
雨が止むまでスポメニックの下に座って本を読むことにした。
雨が止んだ頃、遠くから小さな車がやってきて、中から夫婦のような人達が出てきた。
全く知らない人だが、こういう時は挨拶しないわけにはいかない。
彼らはこんな田舎に1人でいる外国人に興味津々のようだった。
日本から来た高校生であること、個人的にユーゴスラビアについて勉強していることを伝えると、少し驚きながらも、好意的にいろいろな話をしてくれた。
ザグレブまで帰るのは大変だろうから、ということで、山の麓の駅まで送ってもらうことになった。
こういう親切はかなりありがたい。
車の中でもいろいろなことを話したが、特に印象的だったのはクロアチアの現状の話とユーゴ内戦の話だった。
旧ユーゴの中では豊かな地域と言われているクロアチアだが、全ヨーロッパの中では貧しい部類に入る。
国内の経済状況は悪く、「仕事がない」「給料が安い」と言った理由で、より良い生活水準を求めてドイツへ移住する人が増えている。過去5年間で20万人が国を去ったとか。
車を運転してくれたマリオも、大学を出てからエンジニアの仕事に就くまでかなり苦労したらしい。
クロアチアの現政権には不満があるといい、「できるならユーゴスラビアの時代に戻りたいよ。」と言っていた。
次に、ユーゴ内戦の話だが、内戦の最中に生まれた世代である2人の体験談はやはり生々しいものだった。 詳しくは別に記事を書く予定なのでそちらを読んで欲しい。
麓のポポヴァチャ駅に到着。
次の電車は1時間後だ。無人駅は寂しい。
ここでかとうゆうたろうから電話がかかってくる。
ちょうど良いタイミング…
突然激しい雨が降り出した。
↑車窓からのスラヴォニア平原の景色
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とりあえず旅行記打ち切ります!
書くの疲れました!!!!!!!
詳しくは別の記事を見てください。
ありがとう御座います