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【日本の伝統色②】赤の民俗学
ご無沙汰しております。
めくるめくめぐるの世界へようこそ、GAMABOOKS書店員の諸星めぐるです。
今回は色の歴史第2弾「赤」についてです。
第一回「黒」の歴史はこちらから
日本人にとって、赤色はどんな歴史やそれぞれの時代における意味が存在していたか、ご存じでしょうか。
今回はそんな「赤」という色について、解説していきます
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それでは、読む配信はじまります。
【色彩心理学】赤の心理的効果
まずは、一般的な赤色に対する知識を確認していく。
赤色は人間が生まれてきて最初に認識できる色と言われている。
赤色は暖色とも呼ばれ、赤色を見ているだけで暖かく感じ、赤で囲まれた部屋に入ると体感温度が上がるらしい。
これは赤の光が「交感神経」を刺激する事で脈拍を上げ、血流が良くなる為だと考えられている。(赤い下着等でも着用するだけでも冷えなどを抑えられるらしいぞ)。
【日本史】はじまりの色は「赤と黒」
古代日本のはじめの色は「赤」と「黒」だったとされる。
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赤の語源は「明るい」「明ける」であると考えられている。
対して、「暗い」「暮れる」が語源とされる黒。
太陽が昇った「明るい」状態、「明るい」「明ける」から「赤」が生まれたという。
このため、「黒」と「赤」は明るさにおいて逆の意味を表す。
太陽とともに生活していた人間にとって、はじまりの色はそこにあったといえる。
これが聴覚的、視覚的にわかる例として、
「い」をつけて形容詞化する言葉が、「白」「黒」「赤」「青」の4色だけであることが挙げられる。
この4色はもっとも古く誕生した色であるため、その由来が「明るい」「暗い」などの状態を示していたので、形容詞に変化する。
ちなみに「黄」と「茶」は「色」を伴って「黄色い」「茶色い」と形容詞化する。
(赤黒、そして白と青が誕生する!)
【民俗学】朱の呪力
ここからは、民俗学の観点から赤について見ていく。
赤の原点として存在しているのが「朱色」である。
この色は古代中国から呪力を持つ色として重宝されてきた。
そして、不老不死の薬の材料として丹(辰砂)は服用されることもあった。
古代日本でも、魏志倭人伝では当時の倭人は呪術的な目的で全身を朱で塗っていたという記載がある。
古代日本
とはいえ、朱色はいわゆる現在の「赤」とはいったん異なると考えてもらった方が良い。
この朱色とは、赤い色をした硫化水銀の辰砂(しんしゃ)を原料とする色である。
日本でも中国と同じように、縄文時代から一部の地域で死者に施朱(ししゅ)をおこなって埋葬する風習があった。ほかにも土器や土偶に朱を塗っていた事がわかっている。
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このように、古代日本では埋葬儀礼として水銀朱(辰砂)やベンガラが使われていた。
赤い色は呪術的に神聖視され「魔よけ」や「死者の復活」を願う意味があり、また防腐剤としての実質効果もあった。
この時期の朱の使用はまったく呪術的なもので、風習はその後弥生~古墳時代まで続いていく。
弥生時代の日本を記した魏志倭人伝の中には「日本(倭国)には丹(に)を体(顔)に塗る風習と、丹を産する山がある」ことが記されていて、当時の中国では日本で辰砂の採れることが知られていた。
ちなみに、体に塗っていた朱については、赤色顔料で、硫化水銀。丹は赤色の土の事を指す。
また、この頃日本(倭国)はまだ統一された国家ではなく多数の国に分かれていた。
2世紀の末~3世紀にはこれらの国の幾つかが統一され(邪馬台国)、その王として卑弥呼が登場する時代。そう、まさに呪術時代。
そんな卑弥呼が献上した赤い糸は絳(こう)。これは茜で染めた色の事で、ややくすんだ赤色をしている。
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平安貴族と赤
赤の染料はこれまでは茜や朱がメインだったが、5世紀頃「紅花(べにばな)」が加わり、より鮮やかな赤を表現できるようになる。
今様色は平安時代の紅花染による赤で、めちゃくちゃ流行った。
ただし、何度も染める必要があるなど、手間がかかり高価なため、平安時代まで濃い紅染めは禁色と呼ばれ使用禁止されていた。
他にもシルクロード、琉球を通じてスオウが輸入され、日本では奈良(なら)時代から海外から輸入して使っていた。
鎌倉時代になると男性的なはっきりした色が好まれるようになる。赤の染料に蘇芳(すおう)や禁色の紅も広く使用されるようになった。
鎌倉武士と赤
鎌倉時代には武士が力を持ち、武具の革などに褐色(かちいろ)と呼ばれる黒に近い藍が愛用されていたが、禁色とされていた濃い紅染めの赤も色糸威し(いろいとおどし)に使用されるようになった。
戦国時代になると、戦の中で強さと権力をアピールする色が好まれる。
中でも闘争心を思わせる赤は好まれ、武将の中には鎧から馬具、鐙など全て赤で統一した軍勢もいた。
この時代に猩猩緋(しょうじょうひ)と呼ばれる真っ赤な毛織物が渡来した事により、これまでに無い鮮やかな赤を得る事ができた。
猩猩緋はコチニール染またはケルメス染と言われているが、どちらだったのかは不明。戦国大名はこぞって猩猩緋を陣羽織などに使用した。
ちなみに、染料のコチニール(虫さんです)が輸入されるようになったのは江戸時代末期のことである。
ちなみに、赤×白は源平合戦がルーツと考えられている。紅白分かれるのは世界的にも珍しいらしい。
江戸浮世絵と紅嫌い
浮世絵が、独立した一枚の絵画として木版で制作され流通するようになるのは17世紀後期のことである。
黒一色の「墨摺絵」から始まり、その上に丹や紅で着色された墨摺絵のことを「丹絵」「紅絵」と呼んだ。
その後おおよそ100年ほどかけて、浮世絵版画は「墨摺絵(=スミ1色)」→「紅摺絵(=スミ+2、3色)」→「錦絵(=フルカラー)」と進化を遂げる。
ここまで、赤という色は鮮やかの代名詞というほどに望まれ、求められていたことの反動が生まれる。
その後、江戸の末期にはあえて赤を避ける「紅嫌い(べにぎらい)」風潮が生まれる。
皮肉なことに、江戸の赤は代表から退くことになっていく。
文明開化と赤
明治時代になると、海外から新たに発色の良い赤い絵の具が日本にもたらされる。
鮮烈な赤は、文明開化を象徴する色として、錦絵に多用され、錦絵は最盛期の幕が閉じられる。
旧時代代表の朱色や紅色はこのようにして廃れていき、現在の鮮やかな赤色の印象はここから始まっていく。
明治時代の赤を多用する作品は「明治赤絵(あかえ)」とも呼ばれ、明治錦絵の特徴の一つでもある色合いとなっていく。
【比較文化人類学】世界の赤
中国の赤
陰陽五行説の色として、朱(赤)は方位で南、仏説では火、四神の一つ朱雀(朱鳥)。中国では赤色を幸運・祝賀・召集といった意味合いで捉えている為であるとの事。
さらに朱が高位高官の名誉を表わす色で、中国の文物制度の渡来とともに、古代日本にも朱塗り、丹塗りの色彩文化が移植された。
その影響は宮殿、官舎や、仏寺の堂塔伽藍、日本固有の神社建築にまで及んでいる。
![](https://assets.st-note.com/img/1693288754596-mnWyFzNfN3.png?width=800)
各国の赤
南アフリカでは赤色を『喪』
ケルト民族は『死・来世』
キリスト教では『血、キリスト』をあらわす。
多くの国において赤は「血」をあらわし(現在の国旗もそうだが)そこからの派生で生命(死)を象徴するものとして不動で強烈なイメージを持っている。
いかがでしたでしょうか。
みんなの想像する以上に、赤は時代によってイメージされる色が異なっています。
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それでは、みなさん
さようなら×3