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【解説】日本の伝統色・黒ってどんな色?【民俗学】

はじめに
めくるめくめぐるの世界へようこそ!
書店員vtuberの諸星めぐるだよん

今回はみんなが知っているけれど意外と知らない「色」についての歴史を
日本の伝統色から解説してみようという企画の「読む配信」だよ。

今回は「黒」について!

さあ、みんなにとっての「黒」はどんなイメージでしょうか?
だいたい10分でめぐっていこう!

本編はこちら↓


黒の歴史と弥生時代


人が一番初めに得た「黒」は「墨」の色と考えられている。
ちなみに、自然界に完全な黒は存在しないとされているよ。

そんな古代の日本では魔よけのための「入れ墨」だった。
3世紀の日本の様子を記した魏志倭人伝には「男子は大小と無く、皆黥面(げいめん)文身(ぶんしん)す」と書かれている。
この、黥(げい)とは、顔に施す入墨のこと。
なので、黥面とは顔に入墨を施した様子を表している。

そして、文身(ぶんしん)とは体に施す入墨のこと。なので、顔だけではなく、全身に魔除けの意味を持つ模様のある入墨を施した様子。

つまり、古代の日本人にとって黒とは「魔除け」や「呪い」のイメージがあったと考えられる。
しかし、このままのイメージで行くかと思いきや、奈良時代には衰退しており、下級の者や罪人に科されるものとなっていく。


魏志倭人伝

黒の語源と飛鳥時代


「黒」という色名が使われるようになったのは、飛鳥時代だと言われています。
赤が「明るい」という語源であるのに対して、黒は「暗い」が語源だと言われている。(諸説あり!)

そう、日本において、【黒】の反対は本来、【赤】なのである!
また、日本の黒はいわゆる茶色の濃い色である。
日本語の「くろ」や漢字の「玄」は、「玄米」「黒砂糖」というように、翻訳においては、黒、茶色・褐色というのだ。
染色の際に、茶系の染料に含まれるタンニン酸が鉄分と結びついて化合し、黒く発色するのです。

圧倒的に茶色い「黒」砂糖!




ちなみに、身を飾るとして他にも「眉墨」、「お歯黒」が存在する。
平安時代に流行ったようだが、歴史としては魏志倭人伝の頃には既に存在していた。なんでも、虫歯予防にもなったらしい。
平安時代、眉描きとともに歯黒めが流行していく。
やがて公家や武士の間にも広まっていき、江戸時代には、身分にかかわらず既婚女性はすべておこなうようになり、みんなのお歯黒のイメージに貢献していく。

定期的に塗りなおしてたらしいね

海外の事情


古代中国では万物は水・金・土・木・火の5要素で構成されていると考えた思想が生まれた。これを五行説と言う。
この五行には色も当てはめられており、青、赤、黄、白、黒が正色とされた。
黒は水で、「冬」の象徴とされている。

ちなみに、ヨーロッパの文化では「白」の反対として「黒」が置かれ、たいていの場合黒は「悪い」側

そう、みんなのイメージする今日の「黒」はおおよそここら辺のイメージが共有されているのだ!!


身分と黒の関係性


初めに冠などの色で地位を分けたのは、みんな大好き冠位十二階(最も低い地位)。
その後何度か繰り返す改訂をへて、冠位四十八階(685年)では冠の色は全て黒となり、衣服のみ変化していく。
時は流れ、大宝律令を経て 養老律令(757年)には、奴隷階級の衣服の色の制限として使用されていく。
ここで大切なのは「黒」には染め方も含めていろいろな種類があったこと。
同じ黒であっても、養老律令では天皇の喪服の色に、身内であれば黒に近くなっていく色を選ぶように定められてもいる。
ちなみに、平安中期には衰退したが、平安時代には喪に服す時に鈍色を着用した。
なお、この時代の黒とは黒茶色に近い、くすみのある色が主流。というのも、染め色はすぐに落ちてしまったらしい。

冠位十二階

鎌倉時代と武士の「カッコいい宣言」


武将の中で、赤の対で黒(漆黒)が人気になる。武将のお歯黒もこの時代にはやる。染め方も変わったことで、死を覚悟し、カッコよく散る印象に黒の印象が変わっていく。
日本に水墨画が伝わったのも鎌倉時代。「墨に五彩あり」の名言にふさわしく、日本でも「鮮やかな」水墨画が流行する。

水墨画といえば、雪舟「秋冬山水図」よね



江戸時代と働く黒


江戸時代には新たに黒の種類が増える。
檳榔子(びんろうじ)という果実は奈良時代に中国から薬用として輸入されていたが、江戸時代末期に黒の染料として使用されるようになった。
檳榔子の場合は、生地が硬くなる事から切りつけても刀が通りにくいとされ、武士の黒紋付(普段着)として使用された。そのほかの黒も、上流の人々の粋な色として着用されるようになっていく。
染料に含まれるタンニンが刀を通さないほど絹地を強くし、護身用として使われたらしい。

漢方のビンロウジは吐き気、嘔吐、便秘、寄生虫の駆除などに用いられる


明治時代と西洋文明


そして明治に入り、西洋文明の影響を受けたため喪服はだんだん、黒になっていくのである。
それまでは、白もしくは白の反対の「生地」色だった。

白に対する黒のイメージも多くは明治から入ってきている。
今日言われる「黒≒悪い」のイメージはたいだい、明治以降につくられているといっても過言ではない。


すっかり喪服は「黒」のイメージ

今回はここまで!
ほかの色の歴史についても、シリーズとしてまとめていきたいと考えているよ!
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書店員vtuberの諸星めぐるでした!!
さよなら×3