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親戚の涙

小学校低学年くらいのこと、こんな事件があった。

確か長期連休のことだった。

いつものように、隣県の祖父母宅へ行くことになったんだけど、このときは珍しく、どう言う経緯でそうなったかわからないけど、叔母が迎えにきて、叔母と私で祖父母宅へ向かい、兄や父母より先に私だけ祖父母宅に滞在することになっていた。

その私と祖父母、叔母だけの祖父母宅で起きた出来事。

夕食になった。

その時、そのシチュエーションでの私は、両親兄もいなくて、1人祖父母宅にいるということで、いつもとは違う、変な緊張感やテンションの高さのようなものがあった気がする。

夕食は、祖母ではなく(祖母はあまり料理が得意ではなかった)、未婚で同居していた叔母が作った。

そこで出された食事のメインは、シチューであった。

そのシチューを見て、私はとても違和感を覚えた。

元々私は、祖父母宅で食事を摂るのが正直苦手であった。

田舎にある祖父母宅では、食卓に蠅とり紙が垂れ下がっており、その蠅とり紙にべったり蠅の死骸がついてるのを見ながら食事をすると言うのが、どうにも気持ち悪くて嫌だった。

また、口調が荒く、怒ったような喋り方をする祖父に、ご飯を食べろ食べろ、お代わりしろと言われるのが、プレッシャーのように感じ、どうにも苦手だった。

そんな祖父母宅での食事で、自分1人で食べるシチュエーションで、出されたシチューは、食べ終わりのカップヌードルの用器を洗い、使い回したものに入っていた。

祖父母宅では、割り箸なども洗って使い回す習慣があった。

正直、これが自分にとってはどうにもびっくりして、そして、食欲がなくなるようなものであった。

その時はうまく言い表せず、なぜかと言われてもうまく言語化できず、ただただ、食欲がなくなるような感じだったのだけれど、この誰が食べたかわからないカップヌードルの容器を使いまわしたものに、シチューが取り分けられていると言うのが、どうにも食欲をそそるものではなかったように思う。

蠅取り紙についた蝿の死骸や、蝿がたくさんいることや、割り箸を洗って使いまわしていること、また、食卓のすぐ近くにトイレがあり、そのトイレが汲み取り式のトイレであること…

田舎では、また古い家では当たり前の風景なのかもしれないのだけれど、これは、都内近郊の住宅街で育っていた、そしてまだ10歳に満たない私にとっては、どうにも不潔感を感じる、気持ち悪い、苦手な家のつくり、食卓であった。

また、夕食のときによく出てくる、祖母の作った味噌汁には、だし取りに使う煮干しが取り出されず、そのまま入っているのも苦手だった。後年自分で料理をするようになって知るのだけれど、その煮干しも、頭や腑が取られておらず、生臭さがして、どうにも食欲をそそらないものであった。

そして話は戻って、カップヌードルの容器に入れられたシチューが出された夕食の話。

詳しい内容は忘れてしまったのだけれど、家族の中で1人その食卓に入り食べることになった私は、その日いつもより多弁であったような気がする。

そして、そのシチューに対して、容器のことだか、味についてのことだから忘れてしまったのだけれど、不味いといったのか美味しくないといったのか、わからないけれど、そんなようなことを言った。

今考えると、味が特別不味かったり変な味ではなかったと思う。

ただただ、その使いまわしたカップヌードルの容器に入っていることへの違和感や不潔感というか食欲をなくすような感じ、嫌だという思い…そんな感覚を、その時はうまく言語化できず、違和感をおいしくない、シチュエーション含めて不味いとかおいしくないと表現したような気がする。

すると、それを聞いた叔母は、食卓で泣き出してしまった。

ショックを受けた。

そこで、祖父母がなんと言ったか何も言わなかったかはよく覚えていない。

自分がとても酷いことをしてしまったのかと驚いてショックだった。

そこから、この叔母の私に対する態度対応扱いが変わり、私は祖父母宅で過ごすのに、この叔母の存在がとても苦手になり嫌で、しかもこの叔母が同居していることで、祖父母宅にいるときの居心地はとても悪いものになる。

傷つけて、怒らせて、仕返しにネチネチというか、じわじわコツコツ意地悪をされたという認識だ。

自分が言ったこと、それは言葉の表現はキツかったり正確ではなかったのだけれど、本音と言えば本音で、本心といえば本心だったのだけれど、それを口に出したことで、大人を泣かせてしまい、怒らせてしまった。

仲の良かった友人宅で怒った事件と一緒で、また食事、食卓に絡んだことで、大人を怒らせてしまうという事件で、その後の居心地の悪さや、安心できない状況を作り出してしまった事件として、とても記憶に残っている。

②につづく

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