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オーストラリアの牧場で暮らしたかった高校生時代

高校時代は苦しかった。地獄みたいな毎日だった。

何で苦しんでいたかというと、自意識過剰、人目が気になる、人にどう思われるかみられるか気になる、気になって仕方がない…。

そんなことで苦しんでいた。


学校は私服。私服だと、オシャレかどうか、どんな格好をしてるか、いけてるかどうかで、階層ができている感覚があった。

自分はイケてる格好がしたかった。が、目立つのも怖く、また、当時はネット通販もないし、リアル店舗での買い物は苦手、都内に出て買い物するのも怖くて勇気がなく、どんな格好が似合うか、どんな格好をしたいのかもわからなかった。

地元のアメカジ屋にたまに行って買い物したり、近郊のデパートに行って買い物をしていた。

また、成長期だけれど、運動もしていなく貧弱な体つきで、何を着ても似合わないような気がした。

とにかく、私服が嫌だった。キまらないから、イケてないから…

高校一年生のクラスに入って、元々、引っ込み思案で内気で人見知りなので、すぐにクラスに馴染めなかった。

周りをキョロキョロしてばかりだった。

少し話す友人もできたが、中学までは、勉強ができる子というアイデンティティがあったり、仲の良い友人と話をしていて、面白いことを言う奴みたいなアイデンティティがあったりしたけれど、それも、高校ではすぐに通用しなくなり、勉強もしなくなり、自分は何にもない子、ただの大人しくて引っ込み思案で、ヘラヘラと笑ったりしてるけれど、自分もなく、1人浮くのも怖がっている、本当にダメダメな高校生だった。

でも、それまでの学生生活があったり、自分は本当は面白いやつなんだ…という変なプライドと上から目線はあって、心の中では、このクラスはつまんないんだ、中学時代のクラスメイトからしたら、つまんないくだらないやつしかいなくて、自分が馴染めない、注目されないのはそのせいだ…なんて、周りのせいにしていた。

そんなことを思いつつ、一匹狼や我が道をいくというふうには過ごせず、周りをキョロキョロしたり、周りにどう思われるか、格好悪いと思われる、いけてないと思われるのはすごく嫌だと思っていた。

今考えると、全部他者からの目線、評価に自分自身を委ねていて、自分がどうしたいか、何がしたいか、何が好きか、どこへ向かいたいかなんで何にもなかった。

それも当然と言えば当然だ。

高校自体もそういった自分軸で選んでいなくて、ただ、偏差値や周りの大人の物差しを気にして選んだだけなのだから…

今思い出しても、苦しい、辛い、胸が苦しくなるような時代だった、特に高校一年生時代は。

その頃よく思っていたのは、オーストラリアかどこか広い牧場みたいな所に行って、人目を気にせず、人からどう思われるかを気にしないで生活してみたい、暮らしてみたいということだった。

留学でもしたいと思ったこともあった。

でも、そんな勇気もなく、ホームシックになるのがオチだっただろう。

何が、と、うまく言い表せないけれど、とにかく苦しい時期、暗黒時代だった。

理想の自分と現実の自分とのギャップ…に苦しんで辛かったのかもしれない。

でも、その埋め方もわからず、埋める努力もしていなかった。行動することなく、嫌だ嫌だ、違う違うと思い、自分の殻に閉じこもって、授業が終わるのを必死で待ち、終わるとすぐに家に帰宅して、自分の世界に閉じこもって生きていた。

本当に、暗黒な、思い出しても辛い時期だった。

うまく言い表せないのだけれど。

そんな自分の支えとなった、少し救いとしてあったのは、雑誌を読むことと、映画と、高校2年生の時にはじめたバイトだった。

つづく

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