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【映画メモ】キリング・オブ・ケネス・チェンバレン

2011年11月19日、早朝のニューヨーク。双極性障害を患うケネス・チェンバレンは、就寝中に医療用通報装置を誤作動させてしまう。安否確認にやって来た3人の警官に、ケネスはドア越しに通報は間違いだと伝えるが信じてもらえない。最初は穏便に対応していた警官たちは、ドアを開けるのを拒むケネスに不信感を募らせ、次第に高圧的な態度をとるようになっていく。


いつだって些細なことから大ごとになってしまう可能性はある。

そう考えるようになったのは経験からなのか年のせいなのか。この映画は何故こんな些細なことからこんな大ごとになってしまったのかを改めて考えさせられた映画だった。

子供同士の喧嘩だったり、恋人同士の喧嘩だったり、夫婦喧嘩だったり、会社同士の喧嘩だったり、国同士の喧嘩だったり、ほんの些細なことでもボタンの掛け違いで大変な事態になってしまう。もちろん、もともと深刻なきっかけという場合もある。

きっかけは些細なことでもそれを増長させてしまう背景を考えてみた。

1、先入観、偏見

ボロ家に住んでいるから、治安が悪い場所に住んでるから、黒人だから、、という悪い先入観で、8割ほどベースが出来てしまってるのではなかろうか。

2、プライド、意地

自分の方が偉い、優位な立場なのに何故思い通りにならない。こんなに時間かけてんだから何もないじゃ終わらせられない。
など譲ればいいのに譲れない何かで1割が追加。

3、集団心理、集団の力

みんながやってるから、自分1人だけじゃないから、で1割が追加。
おかしいと思っても、心理的にも物理的に止められない。


そして考えることはただ一つ。

一体どうしたら止められたんだろう。


先入観というのは、思想や歴史、情報だけではなく、自分の経験から学習から作られることもあると思うと、先入観を持つこと自体はいいこともある。
ただ、それが誤りの場合もあるということを視野に入れておくことが必要。

意地、プライドは厄介。感情のコントロールができず冷静な判断ができなくなる。特に人を束ねる組織の上に立つ者には冷静な判断が下せる者が必要。

感情的になった人達が集団になってしまうと止めるに止められない。転がりだした小石がやがて大きな岩を転がしてしまう。より大きなストッパーが必要。

この映画を見ていて、アメリカの警官しょうもないとか、人種差別ひどいとか、色々思うところがあるものの、私が一番終わってるなと思ったのは

「どっちがボスか分からせてやる」


というベテラン警官の言葉。動物の本能なのでしょうか。意地なのでしょうか。こういう一人一人のマウントのせいでことが悪い方向に進んでいったのではなかろうか。対等でいいじゃないか。

何はともあれ歪んだ偏見を埋め込んだ社会が生み出した悲しい現実であることに違いはない。それを正しい方向に導くには、組織のリーダーになる人物に正しく冷静な判断を下せること、そして子供の頃からの教育が大切だと改めて思った次第。

本筋とは逸れるけど、、
補聴器をしている方は大きな金属音によるダメージがこんなに大きいのとか、過去に何かあったり精神障害がある方はどうしても出来ないことがあるのかとか、

大人として配慮ができるようになるべきことも教えてくれた映画でした。

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