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<7日間のブックカバーチャレンジ Day6>

*ますます長く、ヘビーな仕上がりになってます。。やわらげるために?、最近お気に入りのすももアイスの写真足してみました。甘酸っぱくて、美味しい!
6冊目は、チェ・ウニョンさんの『ショウコの微笑』。表題作も含めて、7つの物語がおさめられている短編集です。
そもそも、わたしと韓国文学との出会いは、2018年の秋。京都の誠光社で見つけたチョン・セランさんの『フィフティピープル』がきっかけだった。韓国はとても特別な場所ではあったけれど、それまでほとんど韓国の文学って読んだことなくて。
『フィフティピープル』はタイトルの通り、50人の韓国のひとたちの50個の物語がつまっているすごい本で、韓国をもっと知りたいという気持ちを持ち続けていることもあって、とっても興味深かった。韓国文学ってこんなに面白い作品があるんだあと、大袈裟にいえばひとつ新しい世界が開けたような新鮮な驚きと興奮があって、それからちょこちょこ読むようになった。
親しい友人には何度もしつこく暑苦しく語ってきたと思うけれど、わたしにとって韓国、特にソウルはとても特別な場所で、第2の故郷とも感じている。母になって最初の4年間をここで過ごしたし、渡韓前の挫折で受けた傷から徐々に回復した時間でもあって。念願の院進学も実現できたし、大事な友人たちとの出会いもあった。
でも、その想いとはうらはらに、わたしの韓国語力は永遠に初中級にとどまっているし(恥)、昨年ソウルに戻ってきて以降も、横浜にいたときと同様、ツアー以外は基本ひきこもったり家にいてばかりで、特別何かをしているっていうわけでもなくて(汗)。
そんな有様なので、小説という媒体を通して、韓国の一側面を教えてくれる韓国文学には、それ以降ますます心惹かれている。
ちなみに今の現状はちょっと恥ずかしいなあと感じているので、本当の本当にマイペースながら韓国語の勉強はボチボチ続けているし、住んでいる場所との関わりをもっと深めたいなという模索中ではある。特に、できれば興味をもっている分野(教育、子供、若い世代のエンパワメントなど)でボランティアをしてみたいと思っているので、何かあればお声かけてもらえると、すごく嬉しいです:):)
(でも語学の勉強に関していうと、10年前に比べて集中力とか記憶力がガクンと落ちているのを痛感してる涙。10年て大きいんだなあ。。)
と、話が大幅にそれてしまったのだけれど、『ショウコの微笑』。どれもとても印象的なものばかりなのだけど、なかでも『シンチャオ、シンチャオ』が特別に心に残った。
舞台は1995年のプラウエンという元東ドイツの小さな都市で、物語の中心となるのはふたつの移民家族。一方は韓国から、一方はベトナムからで、それぞれ小学生の子供がいる(「私」とトゥイ)。彼らは週末に夕食を共にすることが習慣となっており、静かな心温まる交流を続けてきたのだけど、ある夜、「私」が発した一言で、その関係性は断たれることになる。
「韓国は他国を侵略したことがありません」
凍りつく団欒の場。止めようとする両親になおも「韓国でそう教わったもん」と続ける「私」に、トゥイが小さな声で言った。
「韓国人兵士が殺したって」
「彼らがお母さんの家族みんなを殺したそうだよ。おばあちゃんも、赤ん坊だった叔母さんまで皆殺しにしたって聞いた」
呆然とする「私」、「あなたは気にすることないのよ。あなたには関係ないことなの」ととりなそうとするグエンおばさん、必死で謝る「私」の母親に、トゥイの年齢のときに自分はその現場を見たと話し、「でも、そういってくださってありがとうございます」と精一杯微笑んだホーおじさん。
みなが必死にその場をやりすごそうと努力したけれども、それまで黙っていた「私」の父の言葉で、両家の亀裂は決定的になる。
「僕の兄もベトナム戦争で死にました。兄が二十歳の時でした。ただの傭兵でした」
「戦争だったのです」
「もう終わったことじゃないですか。謝って許しを請い続けなければならないと言うんですか」
今、書き起こしていても、ものすごくくるしいし、しんどい。最初にこの物語を読んだときも息が止まりそうになって、しばらく動けなくなった。
固有の戦争について語るとき、ひとはどうしても自分が属する国や文化から逃れられない。戦争の発端は常に国家同士のはずなのに、始まってしまえば、それがそのまま個人に覆いかぶさり、個人の命を奪い、損ない、決定的な傷を残す。どんな戦争でも、終わってみれば、その傷を負い続けなくてはいけないのは、自分の意思と関係なく戦争に巻き込まれた個人だ。自国の政府を前に個人は全員被害者だけれども、他国との関係性においては、加害者と被害者が生まれる。戦争というのは、すべからくそういう構造を持っているとわたしは思う。
だからどんな戦争でもその構造の枠で見ようとするのだけど、それが韓国となるとどうしたって胸がざわざわする。ベトナム戦争では一定のベトナムのひとから見たら加害者だったかもしれない韓国は、いうまでもなく、日本との関係性でいえば被害者であり、日本は加害者であるわけで。
戦後70年を過ぎだといっても、昨今の日韓関係をみれば火を見るよりも明らかにように、現在のありかたにもしっかり影を落としている。でも、このことにもっと触れるのは、また別の機会にしたいと思う。
『シンチャオ、シンチャオ』はとても哀しく、救いのない物語であるのだけど、終始一貫してすごく静かで透明感のある世界観がとても特徴的。だからこそ、最終的には損なわれてしまったといえ、ふたつの家族の間にあったあたたかい感情の得がたさ、尊さ、美しさが際立つ。おすすめです。
今日のバトンはMさんに渡します。修論執筆時に出会い、早6年。繊細な筆致でつづってくれる、Mさんの日常や考え事についての文章を楽しみにしています(ブログも復活させて欲しい〜)。また飲もうね〜🍻

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