数ヶ月で4回、パニック発作で救急搬送される

前回noteの初投稿でパニック症のきっかけとなった朝風呂ののぼせ、そして初めてのパニック発作のことを書くに当たり、リアルに当時のことを思い出したせいか、この数日何度か不意に息苦しくなり少々焦りました。

しかし苦い記憶にフタをするのではなく、苦い記憶の執着をやめ、誤ったとらえ方を正すことがパニック症を克服には必要で、当時のことをこうして記すことは、事実関係を整理するうえでとても大切だと考えます。


初めてのパニック発作で自ら救急車を呼んで以来、半年いや数ヶ月の間に少なくとも計4回はパニック発作で救急搬送されました。うち1回は駅長室に駆け込み、駅員に救急車を呼んでもらいました。今回はその時のお話をします。

その日は週末の金曜で、仕事を終えた私は中学の同級生と地元でお酒を飲む約束をしていて、地元へ帰るべく小走りで駅へ向かっていました。駅の階段を駆け足で登り、ホームに止まっていた電車に飛び乗りました。少し息は乱れましたが、気にも留めませんでした。

数分後、呼吸のリズムは元に戻ったのですが、少し疲れた感じがします。そんなことは何度も経験しているので、気にすることもないのですが、なぜか気になりました。気にすれば、気にするほど疲労感の度合いが大きくなり、しばらくすると息を吸えない感覚に陥り、窒息しそうになり、立っていられなくなりました。

目の前の席が空いたので、すかさず座り、息を整えようとするのですが、益々悪化していき、じっと座っているのが逆につらく、席を立ち、扉付近に移動しました。それでも一向に気分は緩和されず、次は車内の空間が狭く感じ始め、広い空間に出たい衝動に駆られ、停車した駅で思わず飛び出るとホームにしゃがみ込んでしまいました。

「こんなところにしゃがんでいたら乗降客の邪魔になる」と何とか立ち上がり、ふらつきながら階段を降り、その先にある駅長室に倒れ込むように入り、駅員さんに救急車を呼んでもらいました。救急隊員に担架で運ばれたところまでは覚えているのですが、その後の記憶は無く、気づくと病院に母と弟が駆けつけてくれていました。すでに体調は回復していて、点滴もすることなく、弟の運転で実家へ帰宅しました。

後日、病院で精密検査をしたのですが、とくに異常は見つかりませんでした。発作が無いときは至って健康で、頻度も忘れた頃にやって来るといった感じだったので、単なるストレスくらいと安易に考え、その症状を追求することはありませんでした。まだ30代と若く、健康には無頓着だったと思います。

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