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日本縦断を終えて自宅までどうやって帰ったか

「ゴール!」の熱が冷めないうちに旅行記を発表するため、道中ちまちま書き溜め、8〜9割できたところで知人たちに送ってフィードバックをゲット。最後の登山も無事に終わり、帰りのフェリーも手配済み。やはりおれは旅が上手い。最後まで抜かりなく終えられると思っていた。

しかし、穴はあった。北海道を公共交通機関で移動するのにどれだけ時間がかかるか、よくわかっていなかったのである。知床から苫小牧まで、途中で2泊もするなら、ゆったり観光しながら行けるものと思っていた。

車道最短でも400kmを超える

お目当ての場所はどうにか回って、予定通りの船に乗れたのだけれど、かなりバタバタしていた。日本縦走本編の計画性は見る影もない。

ホテル「地の涯」のおいしい朝食

9月28日、地の涯から送迎車でウトロのバスターミナルまで送ってもらい、バスで網走へ。ここまでは考えてあった。予約してあった北海ホテルに荷物を預け、「さぁここからは気ままに行こう」と、網走駅前で網走監獄行きのバスを待つ。

定刻に来たバスに乗り込むと、運転手から刺々しい声で「どこまでですか?」と聞かれた。「監獄ですけど……」「行きませんよ」「うわぁすいません」。別路線であった。もちろん間違えたのはこちらが悪いし、間違って乗り込んでくる観光客に辟易しているであろうことは察するけれど、そんな言い方をしなくてもいいではないか。毎日ブチギレながら働いていて人生楽しいのか……と、悲しい気持ちで正しいバスに乗車。

ゴールデンカムイで見たやつ

網走と言えば監獄である理由すら知らずに行ったから、とても勉強になって面白かった。かいつまんで言うと、開拓の尖兵として送り込まれたらしい。それなりに野外活動をしているから、荒野に道や田畑を作るのがどんなに大変か、少しは想像できる。登山道でさえちょっと荒れただけでずいぶん歩きにくくなるのだ。我々現代の登山者は保護されている。

たくあん3切れで重労働

筆舌に尽くし難い苦役であっただろうし、当時のことだから冤罪も多々あったろうけれど、説明書きがなんとなく「罪人」でなく「不当に拘束された可哀想な人々」みたいな論調であることは少々引っかかった。

それはそうと、中途半端な時間に見終わってしまった。網走駅行きの次のバスが来るまで2時間近くある。歩けば4km強。毎日30kmとか歩いていたのに、もうスイッチを切ってしまっており、さらには冷たい雨が降っていて、たった4kmでも気が乗らなかった。

仕方ない、待つかとバス停に行き、ちょうど来たバスで閃く。そうか、逆方向のバスで流氷館に行けばいいのか。なぜそんな簡単なことに気付かなかったのか。行き当たりばったりの視野の狭さ、恐ろしい。ともあれここで躊躇なくバスに飛び乗れたことで、時間を無駄にしないで済んだ。

マイナス20度の部屋で本物の流氷を見学

JR沿いの市街地とは言え、東京のようにひっきりなしにバスや電車が走っているわけではないのだから、やはり細かく計画を立てねばならぬ。ホテルに戻り、明日の交通手段を確認。北見から旭川までは電車よりバスが良さそうだが、予約が必要と知り慌てて取る。

そんなことをやっていたら、うっかり夕食の時間に少し遅れてしまった。係の人が天ぷらを温め直してくれて、ありがたいやら申し訳ないやらであった。大変おいしかったです。

ごちそうさまでした

ちゃんと考えておいたおかげで、9月29日はまあまあうまく動けた。計算外だったのは、北見の焼肉屋でランチ営業が盛んでなかったことぐらいだ。

キタノステラなど色々とお世話になっているチヒロさんに網走〜旭川間のおすすめを聞いたら「北見で焼肉を食べたい!」とのことだったので、勇んで来たのだけれど、東京や盛岡の焼肉屋は当たり前のようにランチをやっていたから、てきとうに行けばありつけるだろうと思い込んでいた。

認識が甘かった。どこもやってねえ。運良く、一軒だけ昼から営業しているところを見つけ、ジュージュー焼いてバクバク食べた。

おれはサガリが好きだ

北見にはもう一つ用事がある。ハッカ記念館である。Googleマップでその名を見た時から、ここにはどうしても立ち寄らねばなるまいと思っていた。

展示されていた世界各国のハッカ製品

僕はたぶん、依存症なのだ。「好き」で言い表せるレベルではない。メントスのミントもサクマドロップスのミントもキシリクリスタルも、途中で止めることができず、あるだけ全部食べてしまう。学生時代、通学時にメントスを食べ続けたことで、歯を悪くしたし腹も出た。砂糖の塊を毎日のように噛んでいれば奥歯の一本や二本当然抜ける。

食べ始めると食べてしまうので、いつからか買わないようになった。もはや怖い。好きとかじゃない。あの爽快感に吸い込まれてしまう。僕は自分の意志があまり強くないことを、ハッカのおかげで知った。タバコに手を出さなかった理由はここにある。味を覚えたら、重度のチェーンスモーカーになっていただろう。

ハッカは「薄荷」と書く

そんな因縁のハッカ記念館は、網走監獄とは打って変わって、観光客の姿はまばらであった。

かなり複雑な工程

そもそもハッカという物体をどうやって作るのかまったく知らなかったから、すごく面白かった。旅程は考えて来るべきだけれど、コンテンツ単位では予習して来ないほうが楽しめると思う。スッとする香りの中で、製法や歴史を学んだ。黄金時代は短い。夜通しのお祭り騒ぎとなる蒸留の作業を経験した人はあまり多くはないだろう。

前段で用いた「そもそも」という語をまた使ってしまうが、そう言わざるを得ない。そもそも、この植物からこうやってハッカ成分を取り出す方法を、誰がどのようにして考えたのか? 考えて作り出せるものなのか? 神に教わったとしか思えないのだけれど、実はハッカ以外にも僕が製法を知らない物体はいくらでもあるのだから、僕が愚かなだけで人類は結構賢いのかもしれない。

屋外には歴代のハッカが植えられていて、指でこするといい香りがした

旭川に着くと、もう夕刻であった。北見に滞在していたのは3時間ほど。待ちを含めて計7時間の電車・バス移動であった。そんなに乗り物に揺られて、まだ札幌にも着かないのだ。北海道、広過ぎる。そして明日は15時に札幌駅前から苫小牧行きのバスに乗らなければならない。逆算すると、旭川で12時半時の高速バスに乗ることになるから、旭山動物園には9時半時の開園から行っても小1時間しかいられないことになる。

それでも来た

さすがに慌ただしかったが、僕は風景も動物も「ずっと見ていられる」ということはないので、案外悪くなかった。何かの折に他人が「ずっと見ていられる」と言っているのを聞くと、少し羨ましく思う。さぞ豊かな時間であろう。僕は短時間で満ちてしまい、次へ行きたくなる。

印象に残ったのは、キタキツネであった。

かわいいお顔してる

キタキツネは生後半年ほどで子別れの時期を迎えます。それまでの間は親や兄弟とよく遊び、たくさんのことを学びます。「なる」は遊び相手がいないので飼育スタッフに遊びを求めてきました。この時期に求めに応じ、遊びたいという欲求を満たすことが心の成長に必要だと考えます。人間に育てられた「なる」ですが、成長と共に距離をとることで一人前(?)の「キタキツネ」になれるのです。

旭山動物園

という説明書きでジーンと来てしまった。登山者としては「エキノコックスを媒介して生水を飲めなくする困ったやつ」という認識だったのだけれど……

エキノコックスさんサイドも人間に住み着きたいわけではないようだ

旭川へ戻り、仕事の電話をしながら軽食を買って、ホテルに預けていた荷物を回収し、札幌行きのバスに乗車。降りたらすぐに苫小牧行きの乗り場を確認。フェリーは乗り遅れたら「しまった」では済まない。

札幌の窓口で受け取ったセット券

「パシフィック・ストーリー」というプランを予約してあった。札幌から苫小牧のバスと、苫小牧から大洗までのフェリーと、大洗から東京駅までのバスがセットになっている。バラバラに買うより4000円ほどお得らしい。

さらば北海道!

偶然にもその日は「さんふらわあ さっぽろ」が旧体制で走る最終日(10月1日から商船三井フェリー株式会社と株式会社フェリーさんふらわあが合併)で、ミニライブ・テープ投げ・ガラポンと、様々な催し物をやっていた。人生初で最後かもしれないテープ投げはなかなか壮観であった。

夜風に踊る

船旅は「酔ったら終わり」である。以前、東京から徳島へフェリーで行ってひどく酔った時は、下船から丸一日半死状態だった。酔わないためには、飲まないことだ。

しかし、なんと、大浴場がある。風呂上がりに大海原を眺めながらの酒は最高に美味いだろう。けれど、飲まずに耐えた。半年間の旅の締めが吐瀉物にまみれるのは避けたい。

+3300円でツーリスト(大部屋)からコンフォート(小個室)にランクアップ

鋼の意志で酒を自粛しても、旭川からバス・バス・フェリー・バス・バス・電車と、連続20時間も乗り物に乗り続けると、家に着く頃にはさすがにぐったりしていた。人体はずっと座っているようにできていない。歩きの旅は行く先々で驚かれたけれど、歩いているほうが生命体としては自然だと思う。

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