【環境学入門】ひっくり返しの環境学

【環境学入門】ひっくり返しの環境学

環境とは何か、環境学は何をする学問が・・・と論じるとややこしい。新参の学問で、混乱している学問でもあるから。妙な定義などしないで、否定神学・・ひっくり返しの論法を使うと分かりやすいかも。

1 環境問題とは、人間がいるために地球に起きる良くない事のすべて。

2 環境とは、人間以外の地球のすべて。

3 環境学とは、人間がいるために起きる良くない事をなくす方法を探る倫理学。

としてみると簡単になるかも。

公害、気候変動、砂漠化、資源枯渇・・・無数の環境問題を解決するには、どうしたら良いか。簡単である。

4 人類がいなくなれば、すべての環境問題は解決する。

(補足)人に改変された生き物とか、二次自然などは、ちょっと困るのだが。

では、人類がいなくなるには、どうしたら良いか。次の方法がある。

A ほっといて滅亡を待つ。

  実はもうすでに環境問題で多くのの人が死んでいるし、感染症の拡大とか、気候災害とかは、ほっとかれたために起きている理論的帰結。数理生態学で、生物の数の時間変化を計算できるが、食料の奪い合い係数とか、自ら出す 自家中毒物質(汚染物質)などを数値化して計算すると、どこかで消滅するグラフになる。競い合いとか、いろいろ人類の数は、単純な数理法則の上にあるようだ。

B 人類の一部のみを残し、他を絶滅させる。残るのは

  b-1 特定の国だけ残る。

  b-2 特定の民族だけ残る。

  b-3 優秀な人だけ残る。

  b-4 特定の思想集団だけ残る。

  b-5 金持ちのみ残る。

という方法などがある。それぞれ

  b-1 戦争 南北問題

  b-2 選民思想 差別 民族浄化

  b-3 優性思想 反福祉思想 経済戦争

  b-4 社会の分断 セクト宗教 政情混乱

  b-5 富の集中 貧富の拡大

等など、主要な社会問題がそこに現れる。社会問題は実はすべて環境問題なのだ。地球のリソースを奪い合い、なんだかんだ言って特定集団のみ生き残ろうとしてきたのが人類の歴史であり、現代の社会そのものだ。

さて環境学とは何か。このように人類が地球上で、どう滅びていくか価値観をもたずに、記述だけするとすれば、それは「環境科学」になるだろう。科学は どうあるべきか は考えずに、真理のみを記述する学問だから。

でも、それは良くない。好ましくない・・・として

C 全人類がひとり残らず地球上で生き延びるべきである。

という「定法命題」を意志としてたてるのが環境倫理学であり、環境学である。倫理学とは医学や農学や工学のように人類の幸福を求める方法論を追求するがくもんで、環境学もそのひとつ、いやすべてを包含する倫理学だろう。

D 環境問題は、人類の知識・技術・文化などすべてに起因する。

ということも歴史から分かるだろう。大半の環境問題は、人類が何か技術や科学的発明をする度に生じてきた。文化そのもの、人類の存在そのものが環境問題の深因につながる。

なので、環境問題は、「良い事が同時に悪い事」という、「両義性」をもつことになるので難問ばかりなのだ。

さて、環境問題を解決しようとして、環境学はいろいろなあがきをしている。エシカル、レジリアンス、エコファーミング・・・など、無数に提唱されている。人類の「あがき」と言えるのだろう。

あがきの類型として、

  (1) 人類の進歩がよくないので、自然に回帰する・

     → 自然志向の方向性。

 (2) 進歩の欠陥をさらなる進歩で修正していく、 

     →人工志向 再生 の方向性

 (3)その中間で、もやもやあがく。妥協と戦略思考。

     → 大部分の環境政策など

 (4)人類も生物と考え、対立させず共進化できると考える。 

     →共進化思想

などいろいろ。

さて、環境問題を 否定神学的手法でひっくりかえして再構築してみたが、いかに難問であるか分かったと思う。環境問題を解決するには、人類全員の生き残りを命題とすれば、すべての知識を総動員しないと解くことが出来ないわけだ。B-1からb-5までの超難問を解かなくてはいけない。安楽死とか医療倫理や、紛争と宗教とか、難問が含まれるのが環境学だ。環境学を甘くみてはいけない。そして、それらがすべて人の知識の問題に行き着とすると、人の知識…意識を変える方法としての環境教育学が、どれほど困難で、そして大切な学問かわかるだろう。

ひっくりかえしの環境学として否定神学手法で論じた。次、これを転換して肯定神学としての環境学を考えてみたい。

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