アベプラの”【ヴィーガン】なぜ店舗の前で抗議?動物愛護団体PETAの主張とは”を見た感想

 今日、”【ヴィーガン】なぜ店舗の前で抗議?動物愛護団体PETAの主張とは”を見た。少なからず気持ちが晴れるようなものではなかった。
 ヴィーガンである 今井レイラ(動物権利団体 PETA Asia)さんが田村淳さん、市原えつこさん、佐々木俊尚さん、田端信太郎さん、平石直之さん の5人、計6人で議論を行う動画である。

率直な感想

プラスを感じない。
なぜならコメント欄も出演者もレイラさんを嘲笑、馬鹿に、揚げ足をとるようなことばかりだから。


もちろんヴィーガンじゃない人たちからしたら急に今までの常識が間違いみたく言われたり批判されたりするのは心地よいものでないということはわかる。そして、ヴィーガンの人たちが小学生などに対して生々しいものを見せるような抗議はよいものとは言えないと思う。でもそれに対して事実を自分で調べず、みんなが批判しているから自分も批判しようというのは少し違う気がする。全員がそうでないというのは百も承知だが。


 ここでは敦さんのコメントに対して自分が思うことを書いていく。
 敦さんは仮に自分がヴィーガンの抗議団体に子供といるときに出会ってしまった場合、”あの人たちは動物性を取らないという選択をしていて自分の家は違うと教えなくてはならない”言った。たしかに、家族で出かけていて楽しい時間の時に動物が殺されているプラカードを見たくないしそれを意図せず見えちゃうような抗議活動はよいものとは言えない。だが、敦さんの言った”教えなくてはならない”という発言に少し違和感を感じる。なぜなら自分は動物を食べることに対して自分自身で考える時間を作ることは価値のある、大切な時間だと思うからだ。その機会をただ単に”自分たちは肉を食べる”で終わらせていいのか。ただ思考停止に陥らせているだけではないのか。と思った。
 また、敦さんは動物は”マサイ族の村に行ってご飯を食べるためにヤギを捕まえ窒息死させお肉を食べた”、”僕は動物の命をいただいて自分の命を長引かせる”、”どんな動物であれ狩猟されるときに苦しい思いをする”、”それは僕がサメに食べられるときにも苦しい思いをするだろう、そこは理解している”(15:00前後)と言っていた。
でも、、実際にサメに食べられる確率はほとんどないわけで(敦さんは芸能人だからあるのかも??)、そのような極端で非現実的な例を出すのも違和感を感じる。そして、確かに敦さんの言う通り動物は殺されるときに苦しい思いをするだろう。だが、実際には生まれた時から人間のために殺すつもりで生かされる、しかも悲惨な環境で、、。この状況とマサイ族での暮らしの中での動物を狩るということは比べられることではないと思う。なぜなら日本での畜産は明らかに動物たちが逃げることができないのに対しマサイ族の生活では自然に生きている動物を狩るという点で違いがあるからだ。


たしかにじゃあなぜ植物はいいのかという言葉には自分も答えられない。なぜなら自分は環境問題を第一に置いており畜産の環境負荷を減らすために菜食中心の生活を送っているからだ。
植物には痛覚がないと言い切るヴィーガンの方もいるが自分が調べたところ痛覚の役目を果たすものがあるという最新の研究結果を見かけた。その場合ヴィーガンの方はどうするのか。
おそらくどこかでどこまではいいのかを自身で線引きする必要がある。
それについてみんなが考えるきっかけとなる抗議方法をしたらいいのかと思った。そして反ヴィーガン勢力はみんながばかにする、批判するから自分も批判、中傷や嘲笑をするのではなくどのような事実があるのか、どのようなことが起こっているのかを自分自身で調べ自分の解答を見つけ出してから自分の意見を言うべきではないのだろうか。


それでも自分は恒常的に動物がと殺されてしまう世の中はおかしと思うし実際に小さいころ自分がこの現実を知ったら純粋になんで罪のない動物を殺しちゃうの、可哀そうじゃんというと思うから自分ができる範囲で動物を摂取しない生活を続けていこうと思う。その選択ができる時、場所に自分は生きているから。そしてそれが次の世代に持続可能な地球を受け渡すことにも貢献すると思うから。


 それでもやはり、互いが互いを高圧的に、揚げ足の取り合いをしても何も生まれないなと。互いが互いを理解しようとしあい、尊重し、できるだけ心地の良い、プラスでポジティブな気持ちが感じれるようになればいいなぁと思いました。
 でも自分自身のこのNOTEもどちらかというと負のほうかなと思うから難しいな。できるだけ心地のいいと感じる瞬間が多くなる考え方にシフトしていきたいなぁ。

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