「障害」か「障がい」か

こんばんは。

毎回久しぶり記事になっております、もりともです。

さっきふと思ったことをさらっと書き留めたくなり書いています。

誰もいらない情報ですが、今はAmazonprimeで過去のKinkiのライブを見ています。

Kinkiのライブには行ったことないですがこんなにステージがかっこいいとは知りませんでした。


さて本題。

「障害」と「障がい」どっち論争

したことってありますか?

論争じゃなくてもトークテーマになったり福祉系の交流会なんかではわりと取り上げられるテーマーかもしれませんね。

障害がだめとされる理由として

障害者はじゃない!

という意見があるそうです。

そして都道府県によってどちらを表記するか決めているのです。

障害者は害じゃないから「障がい」ということについて、みなさんはどう思いますか?

こういう問題は正解がないので、どちらの意見の人がいてもおかしくないし当然です。

この問題について以下私の主観ですので、正解か間違っているかではなくて1人の意見として捉えてもらえるとうれしいです。


理学療法士としての意見

私たちは職業柄「障害」という言葉をよく使います。

これは人に対してより「感覚障害」「意識障害」というように症状に対して使うことが多いです。

これが「感覚障がい」「意識障がい」となるとちょっと違和感があるなぁ・・・というのが正直な感想です。

そして電子カルテで普通に「しょうがい」と打つと「障害」と出てくるからこの方が楽です。

いきなり楽かどうかの意見になっちゃいましたが、症状に対して使う場合はその症状は何かしら影響を与える状態であることが多いので「感覚障害」「意識障害」で良いのではないかと思います。

感覚がわかりにくいこと、意識が保てないことは日常生活において妨げになることが多いのでそれを「障害」と表記しても良いのではないかと個人的には感じますね。

むしろ妨げになったり困ったりしている事に対してやんわりした表現をされるより、しっかり障害なんだと認めてしまう方が好きです。

「好きです」って何?って感じですが・・・W


当事者としての意見

多分みんな聞きたいのってこっちですよね~。

結論から言って私は「障害」派です。

別に「障がい」と記載する人を非難したいわけじゃないし、この表記が好きな人はそれで良いと思います。

それを踏まえて私の意見、感じ方について。


「障害」派ですとさっき書いたけど実はどっちでも良い派です。

どっちでも良くない??

でもどっちをどういう理由で選びたいかを考えること、話し合うことって超重要だと思います。


私は自分が病気になってから、できないことや困っていること、不便なこと、辛いことを認めるって本当に大事だと思いました。

例えば私は一時期、杖を使って歩いていました。

このことについて

「杖使わないとまだ歩けないんだね」

という視点の人と

「杖使ってでも歩けるようになってすごいよ」

という視点の人がいます。

これ、「まだ、水が半分ある」か「もう水が半分しかない」かどっちで捉えますか?

みたいな話に一見似ていて、あるものに目を向けようとしたくなるんですよ。

私もずっとそうやってポジティブに捉えるべきだと思っていました。

でも病気を抱えた私にとっては前者の「杖使わないとまだ歩けないんだね」と言われた方が楽なんですよ。

というか違和感がなくすんなり受け入れられる。

意外ですよね?

何度もブログやnoteで書いたり、セミナーなんかでも言ってるんですが

無理矢理ポジティブにもってこうとしても

でもまだ思うように動けないし・・・

元の状態と全然違うし・・・

って気持ちが余計に強くなるんですよ。

そしていつまでもできない事に目を向けている自分が嫌になってきてだんだん「いつまでも引きずっててだめだな」って思えてくるんです。

だからいっそ「これはできないんだね」と言われた方が良いんですよ。

だってそれが事実だから。

こういう感覚で無理に「障がい」って書かれる方が

「差別なんてしないですよ、平等ですもんね」

と無理に平等を意識しすぎてなんか違和感なんですよ。


こうやって言うことで逆に不平等や理解されないことをイメージさせちゃうんですよね。

他の人もそうかわからないけど、若干ひねくれてるのか・・・私はそう思ってしまうんです。

障害者と言われる方の中には何かに困っている人もいれば困っていない人もいます。

でも無理矢理「障害があっても何でもできるんだ、健常者と一緒」という感覚だけを表面的に押しつけられても「困っている」、「不便」だと感じる気持ちは残るんですよね。

むしろ存在感を増してくる。

だから無理に言葉の表記を変えることが平等なんだとは私は思わなくて

だから「障害」でいいんじゃないかと思います。

少なくても私は痺れという感覚障害のせいで苦痛を味わったし、それは私にとっては「害」なんですよ。

でもそれが他人にとって、社会にとっては「害」ではないです。

しかし痺れを苦痛に感じたからと言って私が回りの人に八つ当たりしまくったら他人からしても「害」かもしれません。

必ずしも「障害」の存在自体が直接害になるわけではなくて(もちろんそういう場合もたくさんあります)その「障害」をどう扱うかで「害」となり得る場合もあるのです。


例えば車椅子で移動される方は段差があると困るけど、いつも絶妙なタイミングで助けてくれる人がいたら車椅子で段差を登ることは「害」ではなくなるかもしれません。


精神障害があっても周りが正しく理解してくれたら「害」ではないかもしれないし、逆に「障がいを持つ人に優しくしましょう」的なスローガンがある会社でも精神障害の症状を面白おかしく取り上げて馬鹿にする人がいたらそれはもう「害」ですよね。

結局言いたいことは・・・

障害も害も当事者本人にある場合もあれば周りの人や社会にある場合もあるということを認識する必要があります。

障害があるのに、そこで困っている人がいるのに表面上の「平等」を掲げるのではなく障害も障害で困っている人もいるのが当然として認め受け入れ、その上でどんな社会にしていくのか


「障害」か「障がい」かの問題でこういうことを考えていくのがとっても大事だと思っています。

それができるなら。障害でも障がいでも良いかな~って。

でもPCでは「障害」と打ちたいな・・・笑




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