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『風景資本論』から林業をおもう

「森林と市民を結ぶ全国の集い2022」の分科会で、初めて著者である廣瀬さんのお話しを聴きました。たいへん感銘を受け、プログラムの後すぐに注文。
 機械を使って山に入ると意識しなくなりがちですが、枝1本の置き方でも水の流れは変化することを思い出させてくれました。

 林業における収穫方法の一つである皆伐は、風景を破壊し、場所によっては他者の生命や財産を奪ってしまう危険性を孕んでいます。「今だけ、金だけ、自分だけ」のために仕事をすれば、そのリスクは増大します。もちろんそうではない、美しく、里を守り山の恵みをもたらす林業もあります。

 丸太を市場に出した時の価格は、認証制度などで多少上乗せもありますが、基本的には紙や建材の素材としての価値で決められます。(素材生産業という言葉は、林業が植栽から一連のサイクルを指すのに対し作られたものと思いますが、今や素材生産業が林業と認識されているのではないかと感じる時があります)

 でも、多くの人が森林に求めている価値は、水源涵養や生物多様性の保全、防災など丸太としての品質以外にあると思います。そこにいると気持ちがよく、水や特用林産物、はたまた空気といった恵みをもたらしてくれる森林。丸太の生産量は落ちますが、そのような森づくりをする林業も可能です。

 今はまだ、丸太以外の価値にお金を支払う仕組みがあまりないのだと思います。もしくは浸透していない。しかし全国各地の事業者さんが確実に様々な方法で取り組んでおり、それゆえ林野庁からも「森林サービス産業」という言葉が提示されたのだと思います。

 丸太以外の価値、特に空気や水などは捉えづらいものです。だからこそ、廣瀬さんのような目で丁寧に観察し、風景に手を入れていきたいと思うのです。

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