オージーワーホリ道中記 近況報告編

 「ワーホリになんて来なければよかった」という声を良く耳にする。もちろん、そのほとんどはネガティブなものだ。特に金銭面やメンタル面で余裕が無くなり、わざわざワーホリで海外に行くよりも日本で暮らしていた方が遥かに楽で安全だと考えて帰国する人たちを数多く目にした。
 「ワーホリに来てよかった」と私が声を大にして言うことができるのは、日本では絶対に経験することが出来なかったことを経験できたからだ。海外で働くという経験。英語を使ってコミュニケーションを取る経験。色んな場所で働いて、色んな国の人たちと出会って、喜怒哀楽、山あり谷ありの経験。
 それまでは当たり前だと思っていたことが当たり前ではないという事実を肌で実感できたことも大きい。国によってはワーホリという制度そのものが無く、あの手この手を使って別の国で働くことを選択した人たちもいるのだ。
 私がワーホリで訪れたオーストラリアは、全国民の約半分を移民が占める国だった。特に私の住むシドニーは生粋のオーストラリア人よりも移民の人の方が多いというのが実感である。
 
 忘れられない体験というものがある。

 建設現場で働いていたとき、私はとあるアルゼンチン出身の女性に出会った。女性が建設業で働くのは稀であるし、日本だったら完全にセクハラ認定されるような扱いをされていたので、私は気になって「どうして建設業を選んだの?」と尋ねてみた。
 私が無意識に期待していた答えは、何かしら建設業に興味があったとか、そういう類のものだった。しかし、彼女の返事は違った。

「特に理由なんてないわ。働けて給料が良ければなんでもいいわよ」

 驚きだった。というのも、これは日本の特徴かもしれないが、会社に入社する人間というのは、何かしら『志望動機』なるものを拵えて面接に向かう。もっともらしい理屈をペラペラと並べ立てて、御社に貢献できる人材であることを会社にアピールする。
 ところが、アルゼンチン出身の彼女は志望動機なんてものはない。聞けば、自国の経済や治安が悪く、逃げ出すようにオーストラリアにやってきたのだという。
 そのような背景を持った人というのは、たくましくて力強い。ちょっとやそっとのセクハラには動じないし、ダブルワークも平気でこなす。生きるための活力が違うのだ。
 日本にいたら、安心安全な社会に慣れきって、生きるための活力というのを知らず知らずのうちに失ってしまっていたのではないかという気がする。今の日本は昔よりもさらに生きるための活力、生きている証みたいなものを感じづらくなっているのではないか。それは日本が豊かである証拠なのだが、その豊かさに胡坐をかいていては真の成長というものは失われてしまうのではないか。そのような危機感が私の心にずっと煙のようにモクモクと漂っていて晴れない。
 
 だからこそ、私は安心安定を捨てて飛び出した。
 後悔はない。むしろ挑戦した甲斐があった。

 私が経験したことは私の血と肉となって刻み込まれた。今は私が経験したことを誰かに伝えたいという気持ちでいっぱいである。だから建設業完全ガイドという本を書いたし、これからも私自身の経験を言葉にして本にしていこうと思う。

 オーストラリアの生活は総じて楽しいものだった。日本に比べると劣る部分はたくさんあるけれど。
 例えば酒を飲んだ後にコンビニで即席のシジミ汁を買って飲むことができないとか、納豆が気軽に食べれないとか、寿司がそれほど美味しくないとか、本当に細かなところで「ちょっと嫌だな」がある。だから私はオーストラリアに永住しようとは思わない。
 基本的に私はintrovertな人間だから、陽気な人たちと仲良く何かをするということに向いていない。一人で黙々と何かに取り組んでいる方が楽しくて、陽気な人が多いオーストラリアには向かない性格である。
 
 オーストラリアにワーホリで来ることが出来て良かったと思うことの一つに、移民国家であるがゆえのイベントの多さである。毎月何かしらのイベントがあって、様々な国に関連した催しに参加することでオーストラリア以外の国のことを知ることができた。特にインド系のお祭りであるHoli Festivalやアイルランドのお祭りであるPaddy's Dayなど、次に行ってみたい国の候補が出来上がる。その点において、オーストラリアは様々な国に飛び出すための扉を幾つも開けてくれた。

 振り返ってみれば、単純に私が幸運だっただけという結論に達するかもしれない。仕事が見つからず、不運な目に合い、親に借金をしてでも残っているという人の話も聞いた。私は単に運が良かっただけなのだ。
 それでも、なぜ運が良かったかと言われれば、きちんと目標を持ってきたからだろう。シンプルな目的だった。建設業に関わって内情を知って本を出す。それだけが一つの目的だった。その道中で、様々な場所に行き、様々な仕事を体験し、休日に様々な観光スポットに行ったり食事を楽しんだりして、どっぷりとオーストラリアのシドニーという場所を堪能した。
 知り合いがシドニーに住んでいたことも大きかった。おむすびチャンネルというプラットフォームで出会い、その縁を頼りにシドニーで生活をすることができた。色んな人に助けられて今の自分があるのだ。

 日本に帰りたいという気持ちは無いけれど、とりあえず日本には帰国する。残り約一ヶ月のオーストラリア生活をゆったりと楽しんで、次なる目標に向けて準備をする。
 オーストラリアでの一年を終えて、次は諸国漫遊をして、最後は日本で観光業に携わる。それが今のところの私の目標だ。
 日本には魅力的な場所がたくさんある。でも、日本人がまだまだそれに気が付いていないし、外国人を招致するということに振り切れていない気がする。もっともっと外に向けて発信していくことが私は重要だと考えている。


 さて、とりとめもなくつらつらと書いてきたが、ゆったりと文章を書きながら自分の考えをまとめていくことは楽しい作業だ。思い出しながら書いているので整ってはいないけれど。
 まだまだ様々なことに挑戦できるな、という気持ちがあるし、この気持ちはずっと変わらないだろう。会社を辞めたその日から、私は強い決意を持ってここまで突き進んできたし、これからも突き進んでいくのだ。


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