賢い人が知っていて、愚かな人が一生知らないこと

 あたしはね、世間を憂いておりますよ。ええ、それはそれは憂いておりますよ。もうね、お先真っ暗でございましてね。争いますでしょ、人間は。奪いますでしょ、金品を。これはもうね、憂いておりますよ。憂い、憂い、憂いておるわけですね。
 そりゃもうね。何にでも反対でございますよ。腹立たしいでしょ、金持ちは。一部の特権階級がね、もう、許せませんのよ。安い賃金で働かせやがってね。ちっとも、ちっとも生活は良くなりませんのよ。働けど働けど我が暮らし楽にならず、ですな。分け入っても分け入っても青い山、みたいなもんですわ。
 これはね、理屈じゃございませんのよ。あたしはね、もうあたしの身の回りのすべて。だらしないったらありゃしませんから。無能なくせに高給取り、欠陥商品のくせに高値、声が高いけどお値段は安いジャパネットたかたを見習ってほしいもんですわ。あなたね、あのね、マルクスはご存知?そうよカール・マルクス。あたしはね、あれを支持しておりますのよ。資本論だかしっぽく論だか知りませんけどね、要するにね、モノが大事ってことですわね。平等に、だれにとってもパーラダイス。パラダイス銀河な社会を作るにはね、今こそマルクスですね。ええ、そりゃもうね、マルクスの唱えたとおりになれば、世の中マールクス収まるっていう。ええ?反対ですって!だったらあんたも消しちゃいます!この消しゴムで!えりゃ!えりゃ!えりゃ!

峯岸達夫『赤いおばはん』

 騒がしきは世間ばかりで、我が身辺は深き森のように静かである。至って平穏無事の日々にあって、考えるのは「どうすれば食った後に寝ないか」ということばかり。今日も仕事終わりに梨のアイスとコーヒーを飲んだ後で眠ってしまった。小一時間ばかりの睡眠の後で、ぼんやりサックスの練習を二時間ばかりして、今に至る。ジャズは良い。大変に体に良い。ジャズがあることで、私の人生の彩りが凄まじく輝きを帯びている。今まではギターを弾いていて、それはどちらかと言えばキャンパスの上部に彩りを与えていたが、ジャズ、とりわけテナーサックスがメインのジャズはキャンパスの下部に彩りを与えている気がするのである。人生の底の深みとでも言おうか。どっしりとしているが、湿り気を帯びた根の部分が深くなる気がするのである。ジャズは良い。とても良いのだ。
 以前、ギターの修理に関する日記を書いたときにうっかり書き忘れていたのだが、修理に出す前、映画を見る前にディスクユニオンに寄ってジャズのCDを探していた。ずっと前から気になっていたアルバート・アイラーの『マイネームイズ・・・』を発見して歓喜した。行くたびに、新しいサックス奏者を開拓しようと、ジミー・フォレストなる奏者の『アウトオブフォレスト』を購入した。
 そこで満足しておけばよかったのだが、うっかり新譜の棚を眺めてしまった。最近はうっかりがひどい。生まれつきうっかり症候群で、なにか大事な用事があっても、「しまった、うっかり」を繰り返している。うっかり八兵衛状態である。
 新譜の棚には、親の顔ほど見たジョン・コルトレーンの名盤中の名盤、『ブルー・トレイン』である。なんと65周年記念で最新デジタル・リマスターと2CDだというではないか。ああ、しまったぞ、これは財布のダイエットが始まってしまうぞと思いながら、日本版の価格を見てびっくり仰天。まさかの5000円超えである。しかし、向こうはジャズ界のスーパー・スター、ジョン・コルトレーンである。買うための言い訳が即座に頭の中で作り上げられた。そう、私はコルトレーンの名盤中の名盤、『ブルー・トレイン』をあろうことか、TSUTAYAでレンタルして保存し聞いていた男である。正直、印象は良くなかった。「そんなに音良くないな。これで名盤か」くらいに思っていたのである。それも全て、レンタルしたCDであり、音源もリマスターではなかったせいである。
 さすがに5000円払って大して読まない日本版のブックレットを買うのは無駄だと思い、さらっと海岸版を購入。こちらは良心的で3000円以下。財布も体型維持できそうなレベルである。
 リマスターという言葉に弱いのである。音楽マニアともなれば、やはり心の片隅に「めっちゃええ音で聴きたいんや」という気持ちがある。これはもはや良音欲である。はてさて、どんな良い音が鳴るのかと意気揚々な気持ちであった。
 で、結果的に、感動するほどの良音であった。痺れるほどに音質が良かった。それもそのはずで、TSUTAYAでレンタルしたCDはそもそも取り込み時のファイルがめちゃくちゃ圧縮されており、かつ、モノラルであった。今回、コルトレーンの『ブルー・トレイン』は、4タイプもCDが分けられている。オリジナル音源のみを収録したCDがモノラル・ステレオの2タイプ。別テイクを含む2枚組がモノラルとステレオで2タイプであった。私はモノラルにも大変な興味をそそられたが、そこまでマニアックに同じCDを買うほどの熱量は無く、ステレオの2枚組を購入した。
 かつ、取り込み時の設定も高音質での取り込みを行い、10年以上愛用しているイヤホンで聴いてみた。
 こりゃあ良い。。。
 うなるほど良い音であるし、今まで聞こえなかった音まで聞こえてるような勢いである。全曲、それまで聴いていた曲が嘘のように美しく聞こえ、そこで初めて「こりゃ、名盤と呼ばれるわけですわ・・・」と恍惚感に包まれた。
 もしも音楽に興味のある方がいれば、絶対に音質にはこだわった方が良い。聴いているときの感動が違う。思い出というのは、高画質であればあるほどより鮮明に、強烈に植え付けられるものなのだ。

 話は変わって、感動ついでに今日の菅前総理の安倍元総理に向けた弔事に感動した。国葬うんぬんは抜きにして、素晴らしい弔事であった。文章と菅前総理がお読みになられた動画を見た。どちらも素晴らしかったが、やはり文章で読むとグッと来るものがあった。
 私の場合は文章を読むと映像が鮮明に浮かぶので、焼き鳥屋での説得シーン、安倍さんからの「会いたい」のメッセージ。そして、『山県有朋』を読んでいるシーン。想像するだけで目頭が熱くなった。
 どんな論が沸き起こっていようとも、そこにあったのは亡き安倍元総理と、そんな安倍元総理を信じて突き進んできた菅前総理の姿であった。私達は知る由も無いことであるが、それでも、二人の強い関係性が凝縮された弔事であったように思う。
 メディアをふと見れば、視聴者を集めるために躍起になって有る事無い事を騒ぎ立てて、あらゆる人々の気持ちを煽動している。そのような騒ぎにすっかり興味が無くなってしまって、自分の中で信じられると思うものだけを信じていれば、声高に反論するとか、意見を言うことの陳腐さを感じるようになった。そんなことに一喜一憂して、自分には関係のないことを、ものすごく関係があるかのように思い込んで、無駄に人生を過ごすようなことをしたくはない。私は、私の身の回りだけ、手の届く範囲だけを磨き、輝かせていけば良いのだと思った。もちろん、こうして文章を書くことによって、私の手の届く範囲は強烈に広がって行くわけだろうけれども、この文章だって、「読んでくれ!」というようなものでは決してないのだ。
 読みたい人だけが読み、なにか言いたいことがある人だけがなにか言えばいいのだ。そんなゆるい関係性が一番心地が良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?