違いを受け入れられない人々へ~オーストラリアのワーホリの真実~

一眼の化け物を捕まえて見世物にして稼ごうと企んだ男。
ところがどっこい、自分が捕まってしまう。
「おい!こいつ眼が二つあるぞ!」
一眼の人々はこぞって男を珍しがり
「よし、こいつを見世物小屋へ連れていけ!」

落語 『一眼国』

 オーストラリアにワーホリに行った人々が、仕事が無く生活に困っているという記事を良く目にする。その反面、出稼ぎでかなりの大金を稼ぎ「日本で働くよりも遥かに良い」という記事も目にする。
 どちらも真実であろうし、どちらの量が多いかというのは個人の判断でしかない。それでも、このような議論が活発にSNS上で繰り広げられるのはなぜだろうということを筆者は考えた。順を追って説明していく。

 仕事が無く生活に困っているという記事に対して、『努力をしていない人間が悪い』という考えがある。

 自分はこれだけ頑張っているのに、お前はそれだけしか頑張っていない、むしろ、全然頑張っていないのだから仕事が無くて当然だと考える人がいる。ほとんどの人はこの考えがあるから、記事を見ても「自業自得だろ」という結論に至る。
 このような結論に達する人たちはワーホリで稼げている側の人間である。英語がある程度話すことができ、それなりに努力と準備もして、仕事を見つけて稼げている側の人間である。いわば自転車に乗れる人間が自転車に乗れない人間の気持ちが分からないのと同じで、「自分と同じ努力をしていないのだから、それはお前が悪い」ということだ。
 『ワーホリで仕事が見つからない系の記事』に対するコメントのほとんどは、このような人々によって埋め尽くされている。どうすれば良いかという指針はほとんどなく、『日本人の恥』や『努力不足、リサーチ不足、能力不足』というような、「お前はダメ人間だ」という烙印を押して優越感に浸るものばかりである。
 そもそも、他人の人生に口を差し挟めるだけの知恵や知識を与える気もないのに、文句だけ言って何の解決策も見出さないのは不毛としか言いようがない。居酒屋で単に「あいつは本当に腑抜けな野郎だ」というのを横で聞いているような居心地の悪さがある。何ら建設的ではなく、むしろシャドーボクシングでもしているのではないかと思うほど、空虚で響かない。
 よって、このような人々の意見は何ら参考にならないので「そういう人もいるんですね、あはは」くらいに流しそうめんした方が得である。

 次に『日本人なんだから活躍してほしい』という願望勢もいる。

 日本人が海外に行くと、途端に「日本人として頑張ってほしい」とか「日本人のすばらしさを見せつけてほしい」と願望を口にする人々が現れる。特にワーホリで仕事が見つからず、闇落ちした人の記事などを見つけると「日本人なのに情けない」とか、「そんな恥を晒すならすぐに帰国しろ」という即席の愛国心で物事を言いたがる人がいる。一体どんな顔をしているのか気になるものだ。

 SNS上で文句を言う人は基本的に『分からせたがり屋』である。何か失敗した人がいると、すぐに『分からせてやろう』とする。だが、当の本人にとっては余計なお世話であるし、むしろ足を引っ張っていることの方が多い。
 日本人であろうとなかろうと、活躍できない人間は活躍できないし、活躍できる人間は活躍できる。誰もが活躍できるとは限らないし、誰もが活躍できないとも限らない。ところが、このような事実が容易に受け入れられない人々が一定数いることも事実である。
 そのような人は自分の心を満たしたいとか、誰かを貶すことによって優越感に浸りたいという願望が強い。つまりは『文句を言うことによって解消され、気持ちよさを感じられる何かがあるから文句を言う』のである。何とも幼稚な考えであるが、意外に多いのがこういう人たちである。

 さて、努力をしていない人間が悪い勢も、日本人なんだから活躍してほしい勢も、どちらも『文句言ってスッキリする勢』であると思う。いわゆる暴走族と一緒で、他者に対して迷惑をかけていることなど考えずに爆音で走ることによって爽快感を得ている勢と一緒である。
 筆者は、そのような勢とは違って、『方針を示す』ということに重きを置いた。その結果が本である。

 おかげさまで大勢の方に読んでいただき、ありがたいお言葉も頂戴しているが、中には無料版だけを読んで「こんなんネットで調べれば出る」という早計な馬鹿も現れた。そういう人は一生この本は読めないと思う。

 私がこの本を出したのは、溢れるワーホリのアゲ・サゲ記事に対して自分ならこのような行動をしたよと指し示すためであった。建設業は給料も良く、未経験からでも現場で働くことができ、英語力の向上、後のスキル向上など良いこと尽くしだったからである。にも拘わらず、建設業の情報は驚くほど少ない。これが不思議だったから、決定版を出してやろうと考えたわけである。そして、それは見事に叶った。
 たとえ日本以外の国に飛び出したとしても、生きていける人間を作りたい。そのためには、自分の見聞きした情報をまとめて本にするのが一番だと考えた。残念ながら、本を読めない人にとっては何の役にも立たないし、無料版しか読まない人にも役に立たない。だが、私はそれで良いと考えている。この本を読み通せない人はワーホリに行っても意味がないと思うからだ。あくまでもこの本は建設業に特化しているから、その目的に合わない人にもまるで役に立たない。
 しかし、建設業に関わりたいと望み、しっかりと仕事探しをしたいと望む人には、必ず役に立つ。逆に言えば、そういう人にしか役に立たないような本かもしれないとさえ思う。私自身がどのように仕事を掴んだか、どういうことをしなければならないのか。最低限の努力を知りたければこの本を読めば間違いがないという絶対の自信がある。
 世の中には、ネットに載っている情報でさえ調べられない人がいるのだ。実際にオーストラリアに来て初めて知り、そこで「ああ、困った困った」と悩む人だっているのだ。そういう人にとっても予防策となる本である。
 ついつい自分のレベルを基準にすると、「そんな装備で飛び込んでくる人がいるのか」と驚くが、世間にはそういう人がいるのである。そのような人との違いを受け入れられないと途端に「なんだ貴様は。楽して仕事を見つけようなんて甘い!」と喝を入れて優越感に浸るだけの存在になってしまう。

 そういう人たちに、もう一歩ステージを上げろ。と私は言っておこう。

 単に喝を入れることなら誰だってできる。重要なことは、後進に対して『どうすれば、君は僕と同じような生活ができるか』を指し示すことではないだろうか。それに沿って生きるも良し、「いやぁ、お前の話なんて信じない。俺は俺の道を行く!」と言うなら、それもそれで良しなのだ。
 
 少なからず、私の周りにはワーホリに来て仕事が見つからず、ささっと帰国してしまう人が多かった。そういう人たちは確かに努力をしていなかったし、目標もなかったし、だらだらと日々を過ごしていた。だが、それに文句を言おうという気は一切湧き起らなかった。それはその人がそういう選択をしたが故にそうなったのであると考えた。それでも、「建設業になら活路があるぞ」と私は提案したかった。そのための本だったのだ。

 私の体感としては、給料の良いオーストラリアに来て働いている人間よりも、圧倒的に仕事が見つからずに帰っていく人々の方が多いという印象である。それでもしがみつきたい人はUberなどの宅配系に精を出している。
 異国の地というのは、日本のそれとは段違いに厳しい環境であるということが、実際に体感してみないと分からないというのも事実である。さらに言えば、そのような厳しい環境をどの程度想定しているかによっても、ワーホリを楽しめるか楽しめないかは変わってくるだろう。そもそもワーホリなのだから、働こうがなかろうが自由なのである。だが、少なくとも働きたいと望むのならば、やはり最悪の事態をある程度想定しておかなければいけないだろうと思う。

 身体も細く、体力のない私ですら建設業に関わることができた。そのおかげで一年間、オーストラリアでワーホリを楽しむことができたのである。もっと言えば、身体が細くても、体力が無くても、私が書いた本を読んで実行すれば絶対に仕事を見つけることができるのである。
 本の宣伝になってしまったが、自分にとっては仕事を見つけたいなら建設業限定だが私の本を読んでほしいと思う。そうすればワーホリのアゲ・サゲ記事において、アゲ側の人間になれると思うからだ。

 と同時に、何を目的にワーホリに来るのかをしっかりと考えておくことも必要だ。これも本に記したことなので詳細は書かないが、目的がなければただただ漂流してしまうだけになってしまう。

 最後に、いずれにしても人生の選択はあなたにしかできない。
 だから、後悔のないような選択をしていこう。

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